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 その彼は、ナイトメア・ルフィというらしい。気を失ったゾロたちの身体を保護した集団に聞くと、どうやら「その」ルフィは様々な影を身体に取り入れ、その力を借りて一時的にパワーアップしている、とのことだった。
 なるほど、それならあのオーズを吹き飛ばした力も分かるというものだ。また自分の知らないモリアの能力だ。
 どうやら敵ではないという、その保護した――本人たち曰く、被害者の会――に言わせれば、今こうしてモリアに一矢報いている麦わらの一味は“希望の星の一味”だそうで、それを聞いた途端アオイは「分かる分かる」と思わず膝を打った。

「なんつーかこう、後ろに光が見える瞬間があるんだよな」
「おいおい坊主! 自分の一味を自画自賛か?」

 側にいた被害者その一に笑われて、アオイは複雑そうに眉尻を下げた。

「いや、傍観者としてさ」
「ん? お前は麦わらの一味だろ。手配書は見たぜ」
「あーっと、そうだな。少し微妙な立場で――」
「――あら、一味よ。ねぇ?」

 いつの間にか真後ろにいたナミは、一瞬般若面と見間違えるほど表情に怒りをたたえてそこに立っていた。アオイは思わず「ヒィッ」と後ずさりしてから彼女を二度見する。

「あんたァ、ここに来てまで……」
「はははははは」

 なんとか誤魔化してから笑いを零し、そそくさとその場を後にした。背中にナミの、罵声を浴びながら。

 いくら船長のルフィに任せている状況とはいえ、何も出来ないのどうも落ち着かない。天井を見上げれば、夜明けがもうそこまで迫っているのが分かる、有明の月。その背後に聳える空は、闇からインディゴライトのような――紺碧と深いブルーを重ねたような色に変化している。刻一刻と変わる空の波模様に、自分の消失の瞬間が近いのを悟る。影のない足元から、死は確実に忍び這い上がってきているのだ。
 もし、ルフィが間に合わなかったら――ルフィを疑っているわけではないが、最悪のケースを想定しなくてはならないはずだ。

 本来なら、決して使わない手だ。またここの敵であるモリアにこれを悟られた場合、尾を引いて付け回されるだろうことは明白だった。
 だが、自分は一味全員を脱出させると宣言したのだ。そしてまた、この先の自身の誓いも果たさなければならない――アオイはストールの下に忍ばせた麿い石に静かに指先を当てると、手袋越しにその温度を確認するように、ジッと触れた。

「……頼むよ、船長」

 船長命令の間は、待つしかないのだから。
 だから、勝ってここに戻ってきて。

「もう夜明けも近いわ! この数分がこの島中の犠牲者の命運を決めるのよ!」

 被害者たちの叫びに似た祈りが、雄叫びが、夜明け前の空に吸い込まれていく。アオイも祈るように胸の前できゅっと手袋を合わせ、静かに目を閉じた。



 吹き飛ばされたオーズが城壁を破って雪崩れ込んできた時には、恐らく既に勝敗は決していた。
 ルフィから影が抜けていく。それから地に沈みゆくオーズ。見守っていた皆が、一斉に立ち上がった。

「やったわ……あいつったら……本当に勝ってくれた」
「やったぞ希望の星ー!」
「スリラーバークが! 落ちたァ〜!」

(――本当に?)

 喜びに水を差すわけにはいかずアオイは黙ったままだったが、冷静な視線を壁にめり込んだオーズへと向けた。
 本来の目的は「仲間の影の奪還」の筈で、その通過点として打倒オーズがあっただけだ。
 アオイはチラリと気を失って倒れるルフィを見やってから、そこにナミ達が駆けつけたのを確認すると、浮き立つ輪から一人離れた。オーズのコクピットに寄って、気を失って倒れているモリアをこの目にして、ようやくアオイの顔もほころぶ。これなら、問題ないはずだ。
 あとの処理は誰に聞くまでもなく知っている。モリアに、例のセリフを吐かせること。

(こいつの影遊びに付き合ったのが、こんなところで役に立つだなんてな)

「おい、モリア――」

 後ろで、犠牲者の会の声が聞こえる。ルフィにそれをやってほしいという声。そんなこと考えてないでやるしかないという叫び。アオイの言葉の続きは、ぷつりと切れた。
 一人で闘っていた時は効率が最も重要で、「こうあるべき」なんていう、セオリーは持たない主義だったけど。決着が早くつくなら、それに越したことはないと思っていたけれど。

「……とりあえず、船を降りるまでは。流石に船長の面目を立たせるべきかな」

 「美味しいとこ取りは怒られるか」とアオイが笑いながら呟いて、オーズから少し離れて背を向けた、その時だった。
 希望を砕く地鳴りだった。力なく倒れていたはずのその化け物が起き上がって、アオイは振り向いた途端呆然と立ち尽くす。金切り声が、断末魔のような叫び声が一斉に飛び散って、アオイの隙だらけな鼓膜を遠慮なしに劈いた。

(そんな、まさか)

「オーズがまた立ち上がったァ!」
「あれだけ攻撃を受けりゃもう体は動かねェんじゃねェのかよ!」

(こんなことって、あるか!)

 先にモリアを動かすべきだったのかもしれなかったが、もう遅い。残った一味で、なんとかできるのだろうか。やはりゾンビなんて相手にするだけ無意味だったのだろうか。どうせ、倒せやしなかったのか!

「諦めよう!」
「暗い暗い……光の差さねェ森へ……!また帰ろう……」
「おい、お前も逃げるぞ! 影ないんだろ!」

 影を取られた者たちが、立ち尽くすアオイに声をかけるも、うまく反応できなかった。
 どうして、何度も。喜びと絶望は、すぐに去来するのだろうか。
 逃げ惑う他の海賊たちは、自分の横を走り去っていく。アオイの足は、鈍い意志を持ってそこから動かなかった。

(ダメだったか)

 ならば。
 そう、ストールに手をかけた。

「おいてめェ、まさか勝手に一人終わらせてんじゃねェだろうな」

 隣に立つゾロに驚いて、アオイは目を見開いた。

「海賊狩り……お前」

 アオイがぼんやりと呟けば、ゾロは眉根を寄せ、息を落ち着かせてから言葉を続けた。

「ルフィに何が起きたか知らねェが……充分な追い込みだ」
「その傷で動くつもりか!」
「……は、だからテメェをクルーと見るには腑に落ちねェんだ」
「はぁ?」

 何を、とは続けられなかった。その強い瞳を見れば。

「おれらはまだ誰一人として、この状況を諦めちゃいねェ」

 顎で示されて、怪我のため寝かされていたはずのクルーたちが、全員そこにいないと知る。被害者の会たちが彼らが逃げたと騒いでいる中で、ゾロとアオイの2人は無言でそれを見つめた。

「まさか……」

 チラリと視線を送る。その視界の真ん中に、満身創痍になりながらも立ち上がった麦わら帽子が映って。信じられないという気持ちと、ややあってやって来る何か確信した気持ち。

(そうだった。こいつらはきっと、そうやって、きっと)

 司法の島で、感じたものが込み上げた。

「テメェがうちのクルーを名乗る以上、勝手に落ち込むヒマはねェぞ!」

 一味とは。仲間とは?

「……うん、そうだな」

 光の中に、今、自分がいるのかもしれないと思ったら。今までにない、感じたことのない昂りを、少しだけ覚えて。
 アオイは一人、震える胸をつまらせた。

(20161220)
Si*Si*Ciao