▼ ▲ ▼

 本格的に朝日が漏れて、アオイの身体も肩が一瞬、消えかけた。だが、麦わらの一味は誰一人としてそこを動かない。影を取られているゾロやロビンでさえそうで、被害者の会の船長のローラが言う通り、勝機を捨てていないその立ち姿には、こちらの覚悟を試されているようだった。アオイも一味全員を逃すと啖呵を切った以上、力になると決めた以上は、もちろんそこを離れるなんていう考えには至るはずもなかったし、なによりそれが“ケジメ”だ。
 だが、ここにきて、それ以外にもアオイを立たせる理由ができた。

(モリア、暴走したか……)

 自らの船を、島を割るその姿。悲しい狂気の、命の成れの果て。

「悪夢を見たきゃ勝手に見てろ、モリア! おれはお前に付き合う気はねェ!」

 ルフィの言葉に、アオイの血の気は引いた。さすがは核心を突く船長。そう、モリアは悪夢から、呪縛から覚めていないのだ。囚われたままここにいる。命に縋り、そして投げ出しているのだ。今この状況を引き起こしたのが例え怒りやプライドによるものであったとしても、そこの根源には必ず負の記憶があるはずなのだ。
 ただしそれは、ルフィからしてみれば切り捨てられるべきもので。アオイはそれはそうかと、どこか遠くにそれを見た。

(希望の星、だもんな。暗闇なんざ似合わねーよな)

 どこか反芻してしまうのは、自覚があるからかもしれない。なぜならアオイには、モリアの心に共鳴するところがあるから。
 アオイは麦わらの一味の背中をジッと見つめた。きっと皆一様に同じ気持ちを、希望と確信の白い光を共有しているだろうに――

(もちろん一味は、船長は絶対負けない。そんなことは分かってる。正義が勝つことなんて、分かり切ってるんだ)

 だからこそ、そこに黒くドロリとした液体を一筋、自分が垂れ流している後ろめたさに、吐き気がした。

「“ギア セカンド”!」

 消失と自滅の戦い。
 モリアが好きなわけでは決してない。寧ろ嫌悪すらある。それなのに切なくなる思いに蓋をして、アオイはモリアと激闘を繰り広げるルフィの背中を見た。

「“ゴムゴムの、ギガントの、ジェットシェル”!」

 ルフィは無茶苦茶な負担をその身体にかけているはずで、一味から悲鳴が上がる。それでも、海賊王になるためには――
 モリアのそばから離れろと自身の影に言う、ルフィ。
 希望の星。光。司法の島で見たものと何一つ変わらない色。それなのに、決定的にそこに交われない自分を深く痛感して、アオイはうな垂れた。引導を、渡された気分だった。

 モリアが島を割った余波で建物が崩れ、自業自得とでも言うようにモリア自身を押し潰す。影たちがモリアの口から一気に溢れ出て、終わりが近いことを悟る。
 だがモリアは、最後の最後に――声を絞り上げて叫んだ。

「麦わらァ〜! てめェ……! 行ってみるがいい! 本当の“悪夢”は、新世界にある……!」

 瞬間、朝日がアオイの目を焼くように広がった。

(あぁモリア、お前のその言葉、決して無駄にはしないよ)

 決して。



「はっはっはっは……いやぁ……生きてたな、見事に」
「一瞬天に昇る気持ちだったわ」
「それもいいな! ロビンちゃんとなら一緒に天に昇りたいぜ!」
「笑い事か、アホ共! 本気で死んだかと思ったわ! 頭スッ飛んでたんだぞおめェら!」
「そうなんだ、俺も見たかったなぁ」
「ホラーと知ってなぜ見たい!?」
「恐いものみた〜……」

 モリアが倒れた。影が戻った。半べそをかいて激しくツッコミを入れるウソップの証言から、存在が消えかけたのと同時に間一髪で影が戻ったとロビンが解説をして、影を取られた全員が足元を見る。アオイも元に戻った自分の影にひとまずはホッとして、何度も影の形を確かめてポーズを決めてみたりした。
 それから視界に入った、白目を剥いたモリアを一瞥する。アオイはピタリと動きを止めて、静かな瞳でその姿を見つめた。

「安心しろ、もう影が体から離れるなんて面白ェ事件は起きねェよ」

 座り込んで笑うゾロを少しだけ振り返って、アオイは苦笑する。一味にとっては、もはや今の出来事それが“過去の面白かった出来事”なのだ。
 誰しもが全身の力を抜いて、緊迫した雰囲気から解放されたように息をつく。アオイも静かに付近の瓦礫に腰を下ろし、気配の少なくなった周辺に耳をすませた。
 ふと視線を上げれば、神妙そうな表情のサンジがいて、アオイはどうしたんだと訝った視線を送る。サンジもアオイのそれに気付くと、タバコを噛み締めて言った。

「この島に入ってからの奇妙な生物や出来事は、全てモリアの見せた“幻夢”。あいつが倒れた今、この島には何も残っちゃいねェ……! 悪ィ夢から覚めた朝みてェに」
「悪い夢、か……」
「みんな消えちまった。全くタチの悪ィオバケ屋敷だった……!」

(オバケ屋敷)

 その一言で済ますこともできる。現に、ここで起こった出来事は確かにそれだけだ。モリアの描いた幻想、仮初めの命に踊らされただけだ。だが、アオイにはモリアの言葉以上に、その響きが重くのし掛かっていた。

 ――地獄――

 モリアにとってのそれは、仲間の喪失だった。

 ぼんやりと、明け方の空を見つめる。空には既に闇の気配はなく、この一味にお似合いな光が雲を突き破って光を散らしていた。
 だがそんな彼らも、倒れ込んだルフィの戦闘法についての心配をしている。少しこれまでとは違った、光の中に濃い影を一粒落としたその雰囲気に、アオイはどうしてか目を逸らしてしまった。
 その逸らした視線の先に立つモノ――想像だにしないモノのせいで、それまで沈鬱としていたアオイの思考は一瞬で真っ白になった。
 気付いた時には、思い切り叫んでいたのだった――



「やっぱりお前、オバケだめなんじゃねェか」
「うるさいうるさいそうじゃねぇ! 急な登場に驚いただけだ!」
「いーや、てめェは戦いの間でも冷静な方だと分かった。オバケ見た時だけだろうが、女みてェな悲鳴上げるのは」
「な……!」

 ニヤニヤと笑うサンジを、アオイは羞恥に顔が赤くなるのを自覚しながら睨みつけた。

「例えが余計だ!」
「あぁ悪ィ悪ィ、あんまりお似合いだから、つい」
「くそ! てめぇやっぱ一回ブチのめさねぇと気がすまねー! 表出ろ!」

 まさかゾンビがまだいるとは思っていなかったのだから、あの老人の登場は不意打ちだった。アオイには仕方ないことだと思えても、あそこまでの悲鳴を上げたのはクルーのうちアオイ以外誰一人としていなかったため、大変に居心地が悪い。
 被害者の会に混じって礼を言う老人はスポイルというらしく、なんでも被害者の会名誉会長だそうだ。ローラと一緒に真摯に頭を下げるその姿に、間違えてしまった罪悪感を少しだけ感じはしたが、それでもなぜ貴方はその姿なんだと憤りを隠せない。

「そういえば、アオイは最初から物凄くゾンビを怖がってたよな」
「ヨホホホ、私のことも怖がってませんでしたっけ?」
「なんだよ、てめーらイジメかよふざけんな!」
「ち、違うぞ! だってアオイは他の敵とか、モリアにだってそんなに物怖じしてなかったから、不思議だなと今思ったんだ」

 慌てながら無邪気に殺傷力のある言葉を次々放るチョッパーに、アオイの顔は引き攣った。これだから天然は!

「……だからな、チョッパー。前にも言ったけど、俺は説明のつかない非科学的なものに理解が及ばないだけで、なにもオバケが怖いなんてことは――」
「アオイが怖がる――ん?」

 アオイは急に固まったナミを0.1秒だけ不思議そうに見て、すぐに自身もピシリと固まった。弾かれたように彼女の思考を直感した。体温が一気に下がって、身体がブルリと震えた。

(どうして忘れられてたんだ……!)

 側にいたサンジが、自身を腕で抱え込むアオイの様子に目を見開いた。

「おいクソチビ、それにナミさんも……どうした!?」
「そうだ私……! 大変なこと忘れてた……!」
「お、俺も……」

 尋常じゃない雰囲気を感じ取って、一味がざわつく。ウソップとロビンがナミに振り向いた。

「何だ?」
「どうしたの?」
「それが! 大変なの……!」
『成程な』

 急にその場に降ってきた聞き慣れない声に、全員が急いで面を上げる。

『悪い予感が的中したというわけか』
「――そのようで……!」
『やっとクロコダイルの後任が決まった所だというのに、また一つ“七武海”に穴を開けるのはマズイ』
「誰だありゃあ!」

 ナミとアオイ、そして常に冷静沈着なロビン以外の誰しもが混乱している中、それを鎮めるように、また自分自身も冷静になれるようにナミは浅く息をすると、「落ち着いて聞いてよ」と静かに切り出した。

「モリア達との戦いの最中で、言いそびれてたんだけど……この島には、もう一人、いたの……」

 ざわめきは、一味以外にも伝染して。

「“七武海”が……!」

 これが悪夢の続きなら、いつ覚めるのか――
 覚めない夢はないはずなのに、絶望しかないと。アオイはバーソロミュー・くまから、目を離せずにいた。

(20161220)
Si*Si*Ciao