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『世界政府より特命を下す……!』

 それに「容易い」と答えるくまを、アオイはもう本当に終わりかもしれないと見上げた。震える身体を、また体感する。くまと会うときは、いつだって最初は恐怖で震えてしまっていたことを思い出す。それがなぜかは、分かっているが――

 だが、アオイには野望があるのだ。捨てられない。投げ出すわけにはいかない、為すべきことが。
 それに、光に守られたこの一味は。この一味だけは必ず救うと。そう、決めていたから。

(死なすわけにはいかないんだ、くま)

 今ここにいる一味で、まともに戦えそうなメンバーは自分以外あまりいない。みな既にゾンビやアブサロム、オーズ、モリア戦で負傷しているし、主戦力のゾロに至っては満身創痍のはずだ。

「そんな、“七武海”と連戦なんて……!」
「お前ら下がってろ……おれがやる!」

 絶望しかない現実に頭を抱えるウソップの前に立ったゾロは、刀を構えて臨戦態勢を取った。ゾロの身体はもう限界なのを、知っている。本人がそう、自分に言ったはずだ――あれ以上はヤバかったと。アオイは拳を握った。今しかない。
 
(くまと話せるのは、俺しかいない!)

 震えている、場合ではない!

「海賊狩り。てめぇの出る幕はねーよ」
「ぁあ!? 弱ェ奴は下がってろ!」
「今にも死にそうな奴に言われたかねーな」

 ゾロの肩をぐいと掴んで、横に立つ。
 ナミがくまの能力について断片的なことを説明したが、今のアオイにそれはどうだっていいことだった。くまが本当に、世界政府からの特命を遂行するつもりであれば。

「なぁ、くま。降りてこいよ」
「……アオイか」

 静かに答えると、くまは崩れた塔の上から瞬時に姿を消し――人だかりの中にパッと現れた。

「お、おいおい。まさかお前、あいつとも知り合いなのか!?」
「そ、そうよアオイ! そういえばどういう繋がりなの!? さっきも知った仲みたいに話してたけど……!」
「ウソップ、ナミ。詳しい話はあとでな」

 前のめりになって、険しく――そして困惑した表情でこちらを見る2人を片手で制すると、アオイはナミの耳元でぼそりと言った。

「他の海賊を、今のうちに逃がせ」
「…………!」

 ナミはハッとアオイを見る。先ほどまでの震えはなくなって静かに自身を見つめるアオイに、ナミは何も言うことができず、こくりと頷いた。
 ナミが被害者の会たちのところまで駆けていくのを見てから、アオイはゆっくりとバーソロミュー・くまに向き直る。

「……なぁ、くま。さっき話したこと、覚えてるか」

 アオイが一歩前へ出る。麦わらの一味は自身の混乱を抑え込むように、固唾を飲んでその様子を見守った。間に入ろうにも、何が何だか分からなくて、誰一人言葉を挟めない。

「……お前の、希望的観測の話か」
「そう、それ。その観測は――今でも有効?」
「いや、無効だ」

 あっさりと返され、アオイは苦笑する。

「今、新たに命令が下ったばかりだもんな」
「そうだ」
「その抹殺対象に、俺も含まれてるんだな」
「お前は今や、麦わらの一味だ」
「青キジだっけか。それも、お前ら世界政府が勝手に作った“お話”の一つだ。……的を得てるだろ?」
「…………」

 そうアオイとくまが話す間にも、七武海と向き合う恐ろしさからか、勇気とは異なる衝動でくまに挑む海賊たちがいて、アオイは歯噛みした。ナミの言葉にもローラの制止の言葉をも振り切っては、呆気なくくまの能力に潰されていく。奥歯が鳴る。

(死に急ぐなよ)

 そう思う自分は矛盾しているが。

「なぁ、くま。お前の本心はよく分からねーけど。今の俺の本心はこうだ。“麦わらの一味を見逃したい”」
「……第三者が作った“お話”の割には、随分な入れ込みようだな」
「それは、そうさ。それはくま、お前になら分かると思うけど?」

(俺の思った通りのくまなら、分かってくれる。分かってくれる、はずなんだ――)

「……お前の言いたいことは、分かった」

 くまの静かな言葉に、アオイがホッと安堵の息を吐いた直後。

「――だが、お前の言葉からでは、全ては判断できない」

 そう言って、くまはパッと姿を消すと、いつの間にかアオイの横にいるゾロの背後を取った。ドクンと弾む心臓ままに、アオイは振り返る。

「“海賊狩りのゾロ”。お前から始めようか……」

 アオイはすぐにゾロの前に立ち、両手を広げた。もちろん、それを許すゾロではない。

「いいから下がってろ、チビ! ご指名はおれだ、聞こえなかったのか……!?」
「ふざけんな! お前こそ覚えてないのか!? お前ら全員、ここから脱出させるって言った俺の言葉を! おいくま、お前なら話がわかるはずだ! ……たとえお前が世界政府の人間だとしても!」

 アオイが必死の形相で前に出た時だった。
 目の前にくまがいる。
 手を構えた。
 トン、と腹を軽く押された時には――
 彼方へと吹っ飛ぶ自分を自覚した。

「ぐッ……!」
「アオイ!」
「お前の話は、分かったと言っているんだ、アオイ」

(嘘だろ……)

 くまは、くまだけは。

(分かってくれてたじゃないか)

 俺の、やりたいことを!

「……鷹の目の子。まさかそれでは倒れまい」
「え……!?」

 その場が凍りついた。まさか全く言うつもりはなかったことをこんな大勢の前で暴露されて、アオイの霞む意識も一気に覚醒した。こちらを見るクルーの瞳は、驚愕に瞠目している。サンジは口元からタバコを落としているし、ナミは口元を手で覆っていた。普段表情をそこまで(特にアオイのことに関しては)変えないゾロも、こちらを向いて固まったまま動かない。アオイは「くそ」、と吐き捨てるのと同時に、口までこみ上げた血を吐き出した。

「――てめぇ、くま、この野郎……!」
「このまま麦わらの名が上がれば、いずれ分かることだ」
「アオイあなた、まさか、鷹の目のあの養い子……!?」

 引き攣った顔で呟くロビンに、ナミは「ロビン、知ってるの!?」と勢いよく振り向いて尋ねた。それに黒髪をさらりと揺らして頷いてから、ロビンは慎重に言葉を選んでその整った口を開いた。

「私も噂で耳にしただけよ。……鷹の目の男、ミホークは数年前から小さな男の子を連れて旅をしていると聞いたわ。その子は、世界会議――レヴェリーの場にも姿を現したことがあるって」
「……さすが、ニコ・ロビン。クロコダイルに聞いたか」

 アオイはゆっくりと立ち上がると、渇いた笑みをこぼした。吹っ飛んだキャスケット帽を見つけて、パンパンと砂埃を落とす。

「だが、話を盛らないでほしいな。……そんな大層な者でもないんでね、俺は」

 グレーのインナーに刻まれた肉球跡を見て、アオイは「こりゃあ捨てだな」と呟くと、口元の血を袖でガシガシと拭った。前にアブサロムに一発食らったところそのままを打撃されたせいもあって、くらっと目眩がする。
 そんなアオイを様子にようやく我を取り戻したゾロは、また険しい顔に戻るとくまに向き直った。

「チビ、てめェがどこのどいつか知らねェが……ケンカは買った。加勢はいらねェ。恥かかせんじゃねェよ……!」

 その言葉には、結果として自らの代わりに吹き飛ばされてしまったアオイに対しての怒りが含まれている。だが言葉を向けられたくまは、アオイの反応も一味のやりとりも気にすることなく、少しだけ感嘆を馴染ませた声色で言った。

「……なかなか評判が高いぞ、お前達。“麦わらのルフィ”の船には、腕の立つ――できた子分が数人いるとな」

(おいおい、また調子に乗ることを……)

 深刻な空気はどこへやら、全員が照れる様子を遠巻きに眺めて、アオイは首を振る。だが、くまの様子は本気だった。まずは懸賞金の高いゾロに声をかけたところからして。彼を副船長と見て、まるで試すかのような口ぶりで言うからには。

(壊滅、抹殺するなら、すぐにでもやれる力が奴にはある。なのに……)

 いたぶる趣味は、奴にはないはずだ。アオイはくまの本心を探るためにも、ゾロの戦いを見届けるしかないと、その瞳に影を落とす。自分の言葉では、伝えきれなかったということだ。だが、くまは「分かった」と言ってくれたのだ。望みは、ある気がした。

 アオイは綻んだストールを巻き直すと、帽子を深く被り直して、真っ直ぐ一味を見つめた。全員がすでに、ゾロの背を――傷ついたその身体を、苦しげに息を潜めて見守っていた。

(俺は、俺の立場で守る。それだけさ)

(20161223)
Si*Si*Ciao