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「おいゾロ待てって、無茶だろ絶対! 骨のズイまでボロボロじゃねェかよ、お前!」
「災難ってモンはたたみかけるのが世の常だ。言い訳すればどなたか助けてくれんのか? 死んだらおれはただ、それまでの男……!」

 仲間の、ウソップの煩慮の声を、誇りと漢気を持って突き返すゾロの背中を見て、アオイはまたエニエス・ロビーでの出来事を思い出していた。
 麦わらの一味を助けようとして阻まれたのは、確かアレが最初だった。チョッパーは、自分を失ったまま仲間と信念のために死ぬのを厭わず、CP9に闘いを挑んでいた。
 ゾロは3倍以上はある背丈のバーソロミュー・くまに、微かにも怯まない。その構えから、張り詰めた背から伝わる鬼気迫るものを見れば。

(この一味に、骨の髄まで浸透しているものは)

 きっとそう、信念ではないだろうか。

 ゾロの二刀流を皮切りに、お互い激しい技の応酬が始まる。だが、余裕のあるくまに比べて既に体力の消耗が著しいゾロは、その巨体に技一つ当たらない状況の今から息が上がっている。相手からの攻撃を避けるので精一杯だ。
 元々の実力差と相まって、かなり分が悪いのは明白だった。

「何なの!? あいつの能力って! ガレキについた“マーク”なに!? アオイあんた、何か知らないの!?」

 ナミに叫ばれ、アオイはふらりとする身体を整えてから、静かに口を開いた。

「……あいつの掌を見ろ」
「てのひら?」

 一味が視線をくまの手に向けた時、ゾロから渾身の技が放たれるも――斬撃はいとも容易く、まるで柔らかいものに弾かれでもしたように――ぷにっと、横へ逸れた。
 逸れた斬撃の威力はそのまま建物を崩壊させるが、くまの掌――肉球には傷一つつかない。

「――それがてめェの能力か!」
「あらゆるものを弾き飛ばす能力……! おれは“ニキュニキュの実”の、“肉球人間”……!」

 その名称にドッと沸く一味の反応は、致し方ないと言えばそうなのだが。これの威力の恐ろしさを前にしても和み系だの何だのといった会話ができることが、既に麦わらの一味の精神性というのは尋常でない域なのだと改めて悟る。

(俺なんて、未だに震えるのになぁ)

「コイツもしかして大したことねェんじゃねェ……」
「おいやめろ変態っ……!」

 そうアオイが蒼白した時には既に、隣にいたフランキーはくまの手から放たれた「何か」によって後方へと弾き飛ばされた。
 フランキーの強度に対して「その程度か」と言えるのは、世界中探してもそうはいない筈で。

「もしかして“大気”を弾いてるんじゃ……普通の砲弾はフランキーに通じない筈」
「そうかもな。俺もあいつの能力について、詳しく知ってるわけじゃないんだが」

 アオイは鷹の目の養い子ではあったが、決して彼らの仲間だったわけではなかった。くまに肉球と能力の一部を、それこそモリアと同じように遊びで見せてもらった。その程度のものだ。
 能力のある者ほど、爪を隠す。それを先のモリア戦で痛感している。

「“圧力砲”という……光速で弾かれた大気は、衝撃波を生み突き抜ける!」

 待った無しだ。
 それからの互いの怒濤の攻撃は、思わず目を瞑りたくなるほどの壮絶さだった。一味の中で絶対的な強さを誇ったゾロが始終押されているその姿に、見ている方の心が今にも悲鳴をあげる。
 なんとか力づくで勝てる相手でもなければ、運良く――ともいくわけがない。そんな甘い相手ではない。現にゾロが上手く攻撃をかわしたと思っても、くまの手はすぐに迫る。

 胃が潰されそうな苦痛の緊迫の中、遂にゾロが片膝をついた。ついで、アオイの呼吸が固まる。
 くまが、彼の後ろを。

「ゾロ後ろだ、逃げろォ!」
「そこまでだ!」

 現れたのは、金色。

(あぁ、これも。見たことのある光景だ)

 こうして仲間を助ける彼の目立つ稲穂の色は、極めて目に眩しく映る。

「粗砕(コンカッセ)!」

 サンジの蹴りが思い切りくまの顔面にミートし、そこにいた全員がそこに勝機を見た。
 だが――サンジ自身に、反動がきている?

「コック!」

 震えて叫べば、やはりサンジの蹴りは彼自身に跳ね返りダメージを負わせたらしい。呻き声を上げながら地面に落ちたサンジを目の端にとらえ、アオイは無意識にホルダーを構えた。

「“黒足の……サンジ”。お前がそうか……」
「蜘蛛の捕食場(スパイダー・ロード)!」

 ワイヤーを飛ばす。
 くまの足元にワイヤーを巻きつけ、一気に巻き取る。

「…………!」

 ぐらりと重心が傾いたくまを確認して、叫んだ。

「崩れたところを狙え!」
「よ、よし! ひ……ひ……! “火の鳥星”!」

 すぐさま援護射撃を放つウソップから、火が舞い踊ってくまを襲う。アオイはただ視線をそこに置いた。
 ――が、燃え盛る炎をくまはものともしない。グッと体制を立て直したかと思うと、火のエネルギーそのものを肉球に吸収してしまった。

「“狙撃の王様”……大それた通り名だ……」

(しま――!)

 瞬間、意識は真っ赤に焼かれて、視界一面に横たわった。

(ウソップの火……!)

 炎が直撃し叫び声をあげる麦わらの一味にくまは背を向けて、辛辣に言い放った。

「……やはり、これだけ弱り切ったお前達を消したところで、なんの面白みもない」

 怪鳥を思わせる長い両腕を開く。

「政府の特命は、お前達の完全抹殺だが……」

 うようよと集まる大気のボールは幾層にも重なった。これまでのものとは明らかに比重の異なるマズい代物だというのが一目で分かって、アオイの唇が恐怖で震えた。

「“肉球”で弾いて……大きな大気の塊に圧力をかけてるんだ……」

 あんなに小さく圧縮されていく……!
 細い声で叫ぶナミに続き、ロビンが口を開く。

「あれ程の大気が元に戻ろうとする力は……例えば物凄い衝撃波を生む爆弾になる……!」
「爆弾!? ……要するに、爆弾作ってんのか?」

 くまが両手を広げたくらいの直径のそれは、徐々に小さくなり――やがて手のひらサイズに収まった時。くまから思いもかけない言葉が放たれた。

「お前達の命は……助けてやろう。その代わり、“麦わらのルフィ”の首一つ、おれに差し出せ」
「なんだと……!」

 思わず出た声は、アオイが本来放つそれからは想像もつかないくらい、地を這う響きを持っていた。だがくまは、そんなアオイやざわつく周囲を微塵も気にしないで、未だ目を覚まさないままのルフィをちらりと見た。

「その首さえあれば、政府も文句は言うまい」
「! ……仲間を売れってのか……」

 ウソップの声が、ピンと張りつめた空気を揺さぶる。この見えない糸の揺れは、緊張感?
 ――いや、そうではない。

 怒り、だ!

「さぁ……麦わらをこっちへ」
「断る!!」

 そこにいる全員が。一味も何も関係なく、全てがバーソロミュー・くまに牙を剥いた。

(くま、お前の考えなんて知らねぇ! こいつだけは……麦わらだけは失っちゃいけないんだ!)

「残念だ」

 その言葉を最後に。
 眩く広がる光が、アオイの意識を劈いた。

(20170201)
Si*Si*Ciao