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 声が、聞こえる。
 寝ている場合か。なぜ目覚めない。なぜ自分の身体は、動かない。
 そう、アオイの意識が覚醒しかかり、そして耳にやたら響く話し声に意識が移った。どちらの声も聞き覚えがある。アオイにとっては、そのどちらもが自分を責め立てる声だ。
 お前は何をしたいのか。お前は何をするつもりなんだ、と。

「――やがて世界一の剣豪になる男の首と思えば、取って不足は――」
「そんな――がありながら、お前は――」

(海賊狩り……? それからこれは)

 そこまで思考できるようになって、一気に脳と心と、そして耳が糸のように繋がる。
 そうだ、先ほどまで自分は、バーソロミュー・くまと戦っていたはずだ。確かルフィの首を差し出せと言われ、全員が頑として譲らなかったところまでは記憶している。
 アオイは身体に力の入らない自分を認識して、せめてこの状況を把握せねばと唯一まともに機能しそうな耳に神経を傾ける。目も開かないことはなかったが、視界はぼやけて定まらない。

「ルフィは、海賊王になる男だ!」

 だが瞬間、アオイの心はひらけた。目で見えたわけではない。それなのに見えたシルエット。くまの前で、両手をつくゾロの姿。――まさか。

(ダメだ、海賊狩り!)

 どうしてそう思ったかは、本能としか言いようがなかった。曲がりなりにも背中を預けた一味だからか、アオイは気付いた。その会話の目的に。ゾロの叫びの、その理由に。

(お前がそれをして、船長は、クルーはどうなる!)

「ぐ……や、やめ……!」

 起き上がろうと、全体力を振り絞ろうとした時。
 トン、と肩を押された。――いや、抑え付けられたと言った方が、正しいか。

「……てめぇはそのまま、起きるんじゃねェぞ」

 囁くように、耳元で被さって言われて。アオイは必死に顎を浮かせ、その人物を振り仰ぐ。利くようになった鼻から伝わる、煙草の苦い香り。

「コ、コック……」
「喋るな。お前にできることはもう何もねェよ、アオイ」

 そうして、ようやくまともになった瞳に映る彼の目が。いつも以上に優しいことに、アオイは愕然とした。そして、この間際で名前を呼ぶとは一体どういう了見だ、と。――震えるのは、憤りからだ。

(お前、それじゃまるで、死にに行くみてーじゃねぇか!)

「ふ、ふざけんなよ、コック……!」

 ぐぐぐ、と腕で上半身を持ち上げるが、それを待ってくれるサンジではない。蹲って動けないアオイをジッと見てから、サンジは意を決したように側にあった瓦礫を蹴飛ばした。

「……待て待てクソヤロー」

(クソヤローはてめぇだ!)

 そう叫びたくても、声帯が疲れ切っているのか、それとも腹筋が使いものにならないのか、叫ぶことすらままならない。
――これほど、無力を感じたことがあったろうか。目の前に、命を賭ける人がいる。賭ける価値のある人がいる。それなのに自分はこうしてくたばって。いつだってそうだ。言ってることと、やってることが釣り合わない。麦わらの首が欲しい、戦いたくない。船に乗りたくない、乗りたい。逃がしたい、逃がせない。

 助けたい、助けられない。

(クソヤローは、俺か)

 今だって、ゾロの代わりに自らを差し出すサンジを遠く見ることしかできない。ゾロがそれを制するためにサンジの傷をわざと殴るのも、涙を流して見ることしかできない。

 だが、やれることは、あと一つだけある――
 こいつらになら、使ってもいいだろうか。役に立てるだろうか。大嫌いなこれだけれど、この血だけれど。
 アオイはストールの下に手を滑らせ、首にかかるそれをきゅっと握りしめて取り出した。手を開けば、この絶望の淵と相反する朝焼けの空に照る、重たいブルー。どこまでも遥かに意識を誘うそのプリズム――
 久々すぎて、感覚も覚えていない。だがこれで麦わらの一味が終わるだなんて。この一味が誰かの犠牲の上に立つなんて、そんなのは。

(それは絶望なんだよな、モリア)

 仲間を失うことが、地獄なら。

(俺はその淵に、柵を立てるぞ!)

 息を吸い込む。肺が痛んではあばらがみしみしと鳴り、思わずむせそうになったのを歯を食いしばって耐える。吸った息を腹にそのまま溜め込んだ、目を閉じる。そうしてから、滑らすように奏でた。

「――時流れの青、綻びの刻。命の純度の高鳴るほうへ。一廻の三……“構築”――」

 目映ゆい金色が青から放たれる。アオイの祝詞の最後は切れ切れになり、その瞬間にアオイも意識を深淵に飛ばしたのだった。



「失敗したようだな」

 聖書を片手に、くまは倒れこむアオイの横に立つ。胸元に燦然と存在する金色は収縮し始め、本来の青の色がアオイの白くなった顎の裏を照らしていた。

「青の一族が虹の名を持つなど……それは本懐ではないだろう」

 だが――

「……そうあるのが、幸せかもしれんな」

 しゃがみこみ、その石をストールの中にサッと隠すと、くまはその場を静かに立ち去った。

(20170201)
Si*Si*Ciao