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 キュッと音を鳴らして、シャワーを止める。髪の毛を覆う水気を手で軽く切ってからタオルをあてると、アオイは鏡の中の、首から青色をぶら下げる自分を下から見上げるように睨んだ。
 さっきは、動揺してしまったけれど。たかが男の着替えなど直視して動ぜぬくらいのことが出来なくては、この船でなくとも生きるという意味で今後やっていけないだろう。アオイは冷静になろうと、冷たい水を顔にかけ、そうしてようやくバスタオルを体に巻いた。
 気分を落ち着ける冷気が心地いい。ふぅと一息ついて、いざバスルームから出ようとしたその時。扉を開けるための手が、ピタリと宙で時を止めた。アオイは落ち着き払ってシャワーのハンドルを開放し湯を出すと、扉向こうの気配の動向を静かに探った。

「――アオイ、まだなの?」

 ナミだ。何の用があってここまで来たかは分からないが、警戒度は最大、アオイの心臓は跳ねる。この一味の女性陣の勘の鋭さは尋常ではないのだ。ここまで男装が悟られていないのは奇跡と言ってよかった。
 ナミが脱衣所までは入って来ないことを確認して、アオイはひとまず胸を撫で下ろすと、「もう出るとこだけど」と声を上げた。

「お前に覗きの趣味があったなんて意外だよ、ナミ」
「アホぬかすな! シャワー出たら中庭に来てくれる? お宝の選別手伝ってほしいのよ」
「あぁ、なるほど」

 あの財宝の鑑定をしろということか。七武海のモリアの宝(正しくはペローナだが)なだけあって、遠目からにも悪質なものはそうないだろうとアオイは既に判断していたのだが、細かくの鑑定は久々だ。腕の見せどころだと、くすりと笑みを浮かべる。

「分かった。すぐ行く」
「よろしくね」

 向こう側でパタパタと駆ける音が遠ざかるのを耳に収めてから、アオイはようやくバスルームの扉を開けた。下着を身に付け、さらしをしっかり巻いて、髪を乾かす。それからサンジに借りたシャツを手に取って広げてみて――アオイは顔を痙攣らせた。

「ピンクって、あの野郎!」

 慌てて男部屋を出てしまったことを後悔する。恐らくこちらを気遣って使用感のない物を選んだのだろうが、よりによってこんな女性的な色とは!
 アオイは頭を抱えたが、さらし姿のままここを出るわけにもいかず、渋々とそのシャツに袖を通した。ピンクとは言っても、まだ燻んだ色合いで助かった。シルク素材のそれはつるんと滑らかに肌に馴染んで、なんとも着心地が良い。襟の上品なディテールも洒落ている。確かに、デザイン性も含めて自分の持つ服よりも格段に上だ。
 それからさっきまでサンジが着ていた黒のジャケットを羽織れば、煙草の香りに包まれて、アオイは少し変な気分になった。

(風呂上がりだし、匂いが付きやすそうだな……)

 うんざりするものの、ナミ命令とあらば逆らうのは賢明ではなかった。諦めたように嘆息し、余る袖を捲ってカーキ色のデニムパンツを穿き、ストールをぐるぐると巻いてから最後にポシェットとキャスケット帽を身に付けた。
 そうしてしゃんと鏡に映る自分の口端が知らず上がっていたのを認識して、アオイは慌てて口元を引き締めた。

「……意外と、悪くない、かな」

 誰かさんには、馬子にも衣装だとかほざかれたが――
 アオイは堪えきれず笑うと、中庭まで足を運んだ。



 ダイニング前まで出れば、自分を呼んだナミは宝の山にその身を埋めて、いつ死んでも悔いはないというような顔をしていた。アオイは苦笑いを浮かべ見やってから、すぐに彼女の近くにいたルフィを目にとめて、思わず虚を衝かれて立ち止まる。

(なんでんなピンピンしてんだ、あいつ)

 昨日の激闘など露程も感じさせない元気一杯の彼を凝視して、アオイは首を傾げた。そんなアオイに気がついたルフィは、「あー!」と声を出すと、大きな笑い声を上げて手を振った。

「おーアオイ! お前、もう大丈夫なのか!?」
「お陰さまでな。……船長の方は、何やら傷も全快に見えるけど」
「そうなんだよなー、何でかわかんねェけどな、なははは!」

 ぐるぐると腕を回して自分の身体の回復ぶりを見せつけるルフィに「まぁ元気ならなによりだ」と小さく笑う。ふと視線を後ろにいたウソップに逸らせば、彼もまた片手を上げて、アオイに笑いかけてきた。

(そういやぁ、ウソップには悪いことしたな)

 モリアの件で揉めた時、掴みかかってきたウソップをのしたことを思い出したアオイは、あとできちんと謝ろうと心に決めつつ、同じ動作をして挨拶を交わした。
 それからふと、アオイの鋭い瞳はルフィの腕にあるバンドをとらえる。 ――光物にすぐ目がいくのは、宝石職人の性だ。

「船長。それって財宝の?」

 手摺に頬杖をつきながら指を差せば、ルフィは自慢げに腕を高く上げた。

「かっちょいいだろ! ナミが宝石ついてねェからってくれたんだ!」
「なるほど。ガラスだもんな、それ」

 笑いながら言えば、ルフィはどこか不服そうに口をひん曲げた。

「ガラスは価値が低いのか? こんな綺麗なのに」
「製造方法による。中には宝石より価値のある綺麗なガラスだってあるさ」

 階段を下ってルフィの腕を取り、虹色の反射をさせてからガラスに指を当てた。

「――うん、さすがはモリア。これは古くからある有名なガラス細工の作品だ。虹色の屈折率、表面処理ともに申し分ないな」
「……なんかよく分かんねェけど、すげェのか!?」
「そういうこと」

 キラキラと輝くガラスを拭いてから手を離せば、ニパっと満面の笑みになったルフィが、ナミの元へと駆け寄る。

「おい、聞いたかナミ! おれのこのバンド、良いやつだってアオイが!」
「あら良かったじゃない」

 ムクリと起き上がったナミと、ばちりと視線が絡む。ナミはアオイを文字通り上から下まで値踏みするように眺めると、満足したのかウィンクを寄越した。

「いいわね、似合うじゃない。やっぱりサンジくんに服借りて正解だったわ」

 ナミの微笑みに、アオイは羞恥が募り耳が赤くなるのを自覚する。傍で財宝の物色をしていたウソップが、驚いた顔をして振り返った。

「おぉ、ほんとだ! なんか見たことあると思ったらサンジの服だったのか。前よりイカしてるぜ、アオイ!」
「……どうも、ウソップ」

 それはつまり、以前の自分のファッションへのダメ出しということになるのでは――という言葉は、認めるのも癪なので言わないでおいた。

「しっかし、サンジが野郎相手に自分の服を貸すなんてな〜」
「ナミ命令だからな」
「それにしても、だ」

 腕を組んで小首を傾げるウソップに、ルフィが闊達な声で笑った。

「ししし! ナミの言った通り、サンジはアオイに甘いんだな!」
「はぁ?」

(誰が誰に甘いって?)

 何のことだ、とアオイが素っ頓狂な声を出せば、ナミがニヤリと口角を上げた。

「あら、本人は自覚なし?」
「……確かにコックは優しいけど、俺には嫌味のオンパレードだぜ? さっきだってこの服、馬子にも衣装とか言われたしな。俺よか船長のが甘やかされてるだろ」
「そりゃ、おれは船長だからな!」
「ていうか、船長と比べられる時点で、男のクセにあんたってサンジくんに甘やかされてる証拠だと思うんだけど」

 ジッと向けられる視線がなんとも居心地悪い。アオイは話はこれでお終いとばかりにチッと舌打ちをすると、ポケットから取り出した手袋をはめながらズカズカと財宝に近づいた。

「おら、そんなことよりナミ! これ鑑定すればいいんだな?」
「え? あぁ、そうそう! ローラにもっと分けてあげたいからね、しっかり頼むわよ」
「……ローラ?」

 不思議に思って振り返った先にいるのは、さっきからそこに立つ、例の被害者の会の女船長だ。この戦いの最中、彼女のことはよく目にしていたが、どうにも既視感がある――

「……ってまさか、あのローラ!?」

 弾かれたように目を見開けば、横のナミが嬉しそうに頷いた。

「ね、頑張り甲斐があるでしょ」
「……そうだな」

 アオイが柔らかく笑むと、ローラが近寄って顔を覗き込んできた。

「あんた――ちょっと女々しい見た目なのが難点だけど、いい笑い方するじゃない。結婚してあげてもいいわよ」

 言われた言葉にキョトンとしてから、アオイは思いっきり笑い声を上げた。

「本当にローラだ! ――だが、お前には俺は手に負えないぜ。きっとな」

 アオイはにこやかに、財宝へと手を伸ばした。その手は優しく、優しく宝石に触れていた。

(20170207)
Si*Si*Ciao