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 ガラスが零れ落ちそうな夜空だった。
 アオイは、墓石にあけた窪みに最後のオニキスを丁寧に埋め込むと、彫り留めで固定し、サッと表面を掃いた。そこに並ぶたくさんの黒い虹の輝きは、夜空の星屑にも劣らない美しさだ。
 我ながらいい思いつき。いい仕事をしたと、アオイは満足げに全体を眺めた。

(喜んでくれるといいな)

 もうこの世にはいない人たちに、この命の温もりは届くだろうか。例えば星の光が、何万光年の彼方からここまでそれを届けるように――この煌めきも、届けばいいと思う。
 軽く伸びをして、それからしゃがみこむと工具を片付ける。月明かりが手元を明るく照らしてくれたおかげで作業が捗り、なんとか今日中に終わらせることが出来た。高揚とした気分のまま散らばった物を拾い集めていると、こちらに近づく気配がして、アオイは手を止めた。この足音は――

「どうした、ウソップ」

 振り向いて声をかければ、必死な顔の長っ鼻がそこにあって、アオイは上機嫌も手伝ってクスリと笑った。

「すげー顔」
「うるせー生まれつきだおれの親に謝れ! それよりアオイ、完成したんだな?」

 息を整えるウソップに柔らかく頷くと、アオイは立ち上がって墓石にそっと手を這わせた。

「月明かりでお披露目ってのもオツだけど、また明日、太陽の光の下でガイコツに見せよう」
「あぁ、まァそうだな」

 アオイの言葉にウソップは無意識に覗き込んでいた顔を慌てて背けると、「要件はそれじゃない」と言って表情をかたく戻した。

「ゾロが、目を覚ました」

 気持ちが凪ぐ。

「みんなこれから集まる。行こうぜ」

 それは、ついにきたということだ。
 出航のすべての条件が整った今、残るは「何をどう」出航させるかだけである。それは、正に自分自身のことだ。アオイはジッとオニキスの輝きを目に収めてから、目を閉じた。涼しい風が、そっと瞼の表面を撫でる。

(正直に)

 でも、核心に触れない程度に。

「分かった、行こう」
「……大丈夫か、お前」

 夜だからではない、顔色の悪いウソップにアオイは吹き出すと、お腹を抱えて笑った。

「はは! 俺の心配してんのか、一味であるお前が?」
「お前はいい奴だって知ってる。それにおれァ……なんつーか、こういう尋問くせェ雰囲気は好きじゃねェ」

 渋い顔をして深刻に言うウソップに、アオイは「甘いな」と苦く笑った。

「なし崩しでそのままいていいのか? それじゃダメなのは、一旦離れてたお前が一番分かってるんだろ、ウソップ」

 だからこそ、彼はこうして自分に甘くなるのだろうと、アオイは分かっていたけれど。

「そうだけどよ。……けど、結果としてみんな無事だったんだ。お前だって頑張ってた。だから、おれが言いてェのは――誰も、お前を拒みゃしねェってことだ」

 力強く言われ、思わず視線を合わせる。いつもはヘタレのくせに、こう言う時にバッチリと決めるウソップという男は、どこまでも男らしい。

「ふ、なんか惚れそう。かっこいいな、ウソップ」
「おおよ、なんたっておれァ泣く子も惚れる、キャプテーーーン!」
「さて」
「ウソーップ!」

 ポーズを決めるウソップは見なかったことにして、アオイは散らばった工具を年季の入ったアルミ製の箱に詰めていく。最後にブルックから渡された紙を優しく一番上に乗せると、ガチャンと閉じた。

「そういえば、ウソップ」
「なんだ?」
「あの時は、ごめん」

 あの時が、何か。ウソップにそれだけで通じるかは分からなかったが、そこはやはり賢い彼のことだ。すぐに閃いたらしく、丸い目を更に丸くしてから、今の時間には似合わない笑顔を浮かべた。

「なんだ、そんなこと。今更気にしてねェよ」
「そっか。……うん、ありがとうな」

 キャスケットを深くかぶる。
 金色の月は穏やかだ。夜は優しい。
 大丈夫。正直になると、決めたのだから。



「身体はどうだ、海賊狩り」

 アオイがゾロの様子を伺いに行くと、ハラハラ見守るチョッパーとは対照的に、ゾロ本人はなんとはないとばかりに医務室のベッドに腰掛けていた。
 ゾロはアオイを横目で一瞥したと思うと、素っ気なくプイと逸らした。

「問題ねェ。寝すぎたくらいだ」
「身体がそれだけ休息を求めてたってことさ。無理は禁物だ」
「……あぁ」

 アオイのスッキリとした表情とは対照的に、ゾロは訝った顔をする。その顔のまま、チョッパーにボソリと語りかけた。

「何かあったか? アイツ」
「え? アオイのことか?」
「あぁ。今までと表情がちげェ」
「確か、サンジと仲直り――」
「おい、聞こえてるぞ、普通に」

 目の前に本人がいるのに内緒話か、とアオイが引き攣った笑みを浮かべた時、コンコンとノック音が空気を叩いた。

「コック」

 現れたサンジはチラリとアオイを軽く見てから、すぐにゾロへ視線を移して腰に手を当てた。

「おい、ゾロ。こっち来てみんなとメシ食えるか?」

 くいと親指でダイニングを指すサンジにチョッパーは青ざめたが、ゾロは至って平気な様子で立ち上がった。

「あぁ、腹減った。早く食おうぜ」
「さ、サンジ。ゾロはまだ動いたばかりなんだ。できるだけ消化のいいもの作ってくれ」
「了解、ドクター」

 そう、至って普通の、一味のやりとりだ。扉の向こう、ダイニングへ消えて行く一味を見送る。

「お前も早く席につけよ」

 サンジに言われ、その瞳とかち合う。少し心配そうに揺れる眼差しに、アオイは気にするなと言うように笑い返した。

「おーアオイ! おれの隣来いよ!」

 既にその口に肉を頬張り始めているルフィ。

(あぁ、やっぱり、――)

 その光が、アオイのすべてを狂わせた。満面の笑み。闇なんて一滴も混ざらない、すべてを焼き尽くすのではないかというほどの、遠慮のない輝き――アオイは敵わないな、と嘆息して、言われた通り席に着いた。

「船長、どれが美味い?」
「全部だ、全部!」
「あー、まぁ、そうだよな」
「ルフィに感想なんか聞いちゃダメよ、アオイ。“うめェ”か“めっちゃうめェ”しか言わないんだから、こいつ」
「はは、まぁコックの料理に関して言えばそれで正解だろ」

 だがナミの言う通り、料理は区別なくまるでトルネードの如くルフィの口に吸い込まれて行く。豪快なその光景は見慣れてきたところだが、もしかしたらこれも、最後かもしれないのだ。
 アオイは笑みをそのままにして、ナイフとフォークを手に取った。だが、そのまま停止する。

(ダメだ、誤魔化しちゃ)

 そして――何かを取る前に、もう一度静かにそれらを置いて、すっと背中に力を入れた。お腹のあたりが緊張して、心臓が痛かった。

「……みんなに、話すことがある」

 一言。
 いつも通り騒めいていた食事の席が、一気に静寂で張り詰めた。あのルフィでさえ、ピタリと動きを止めて、横で静かにアオイの続きを待った。
 そこまでを確認して、アオイはゆっくり呼吸をすると、頭を整理しながら言葉を繋いだ。

「まず、先に詫びを入れたい。事前にモリアの情報をお前らに伝えなかったこと。これは、完全に俺の判断ミスだ」

 こうべを垂れ、そして上げる。だがこちらを見るクルーたちの瞳には、アオイが思い描いていたような不信感はなくて拍子抜けした。ゾロでさえただ真面目に聞いている、という風だったので、用意していた残りの言葉が消化不良気味になったが――

(伝え、きらなきゃ)

 息を吸い込んだ。

「信じてくれと言っても、無理かもしれないが……前も言ったけど、正直に言えば、モリアとは関わらないで済むかもしれない、と思った。最悪の結果を想像できなかったのは、お前ら一味に対して、俺がまだ距離があったからだ。自分の事としてとらえられなかったから。これに尽きる」
「あー、あのねぇ、私たちもうそこ疑ってないから」
「……え?」

 気怠げに肘をつきながら手を振るナミを、アオイが何を言っているんだと怪訝な顔で見つめる。ナミはちらりと他のクルーたちに目配せをして、それから続けた。

「一番の危機――つまり消えそうになった時に一緒にいたんだもの。それなのにあんたをモリアの仲間だとか疑ったら、私たちの方が恥ずかしいわよ」
「そ、そういうものか……?」
「だから、私たちが気になってるのは、あんたと私たちの今後よ」

 そうストレートに言われ、アオイは口を噤んだ。
 決めてきた。どうするか、どうすべきか。それをこの人たちが受け入れてくれるかは分からないけれど。それでも、この運命を請け負わせることだけは、絶対に出来ないのだから――
 アオイは凛と視線を上げると、これ以上ない、真っ白い出来立ての布のような、柔らかで静かな声をひろげた。

「俺は――船を降りる」
「いやだ!」

 間髪入れずに拒絶を入れ立ち上がったルフィを、隣に座りながら「落ち着けよ」と諭す。

「それは、さっきの罪悪感からか?」

 冷静なゾロに問われ、アオイは目を伏せ首を振った。

(そんな単純なものだったら、俺だってこんな、悩まない)

「あのな、船長。落ち着いて聞いてほしいんだけど、いいか」
「おれは落ち着いてるぞ!」
「じゃあ一先ず座ってくれ。船長を立たせるなんて、俺の立場じゃおかしいことなんだ」

 そう優しく言えば、ルフィは渋々と言ったようにぞんざいに座りなおした。片足を組み、身体ごとアオイの方を向いて、ぶっすりとした顔をしている。

「アオイがどんなこと言っても、おれは頷かねェからな!」
「手強いな。けど、案外その言葉、後悔するかも、だぜ」

 え? と一味が顔色を変える中、アオイだけが冷静に、色のない声で静寂を貫いた。

「――俺は、お前たち一味を利用しようとした」
 
(20170615)
Si*Si*Ciao