▼ ▲ ▼
「あんたのその宝石って、一体何なわけ?」
ナミは、既に仕舞われた青い石を透いて見るように――ストールに包まれたアオイの喉元を、じっと見つめて言った。その顔は訝っていて、どこか険しい。
「いくら綺麗で今みたいに光るからって、宝石でしょ? それに対して世界政府が動くなんて、普通じゃまずありえないわ。豪商じゃあるまいし、金にだってそこまでしないのに……ものすっごいワケがありそうよね、それ」
くいと顎で尋ねられ、アオイは緊張で肩を強張らせる。すぐさま誤魔化すように横を向いて、縮まった吐息を滑らせた。
(本当に、勘の鋭いやつ)
だからこそ、本当にこれから先は危険だ。
「前にも言ったろ。俺のこの石は、武力に使われるかもしれない。そういう危険性を孕んでるんだ」
幾分か静かな口調で説明すれば、チョッパーが「あっ」と高い声を出した。
「その話覚えてるぞ! 確かその時はオリハルコンとミスリルって、アオイ言ってた」
「そう。よく覚えてるな、チョッパー」
短い手を挙げて可愛らしく言うトナカイに、アオイは柔らかく微笑んだ。
「まぁ、その2つの石が伝説っつーのは本当で、俺自身興味はあるんだけど。前話した時はこいつのフェイクとして使わせてもらった」
ストールの上から、トン、と指先を添える。それからふぅ、と一つため息を、地に落とした。
「そういう経緯もあって、俺は世界政府に直接潜り込むか、革命軍を経由して情報を得るか、その二択で考えてた。間違ってもお前たちみたいな、一海賊なんかと手を組むつもりはなかったんだ。考えてもみろ。てめーらは俺を仲間にすることでそのうちこの石と関わってることが世界政府に知られ、しかも、ニコ・ロビンほどとは言わないまでも古代文字解読者っつーオマケまでついてくる」
アオイは椅子に浅く腰掛けると、態とらしく肩を竦める。
「そこへきて更に俺は、自ら進んで敵の懐に飛び込むっつーんだからさ……お前らだってそんな自爆装置抱えんの、いやだろ?」
これ以上の話は無駄だ。
「そういうことだから、船長。俺と一緒にいて、お前らの得になることは一切ないんだ。だから俺はこの船を――」
「それだけか?」
「え?」
「本当に、目的はそれだけなんだな?」
一切の邪念のない瞳で強く問われ、アオイの呼吸は無意識に鈍くなった。目的は、本当。その先のことは。
(それこそ、一味には関係のない話だ)
「……あぁ、やりたいことっつー意味では、これが真実だよ、船長」
きちんと述べれば、ルフィは安心しきった顔をして破顔する。
(――なぜ笑う?)
いやな予感しか、しない。
「なんだ、じゃあ世界政府に石を返してもらうだけか! それくらい、おれたちが一緒に行って奪い返してやる! 仲間の用事に損も得もねェからな!」
にかっと歯を光らせ、更にあろうことか「決行はいつにすんだ? 明日か? あ、でも魚人島が先だからな! やっぱ明日はダメだ!」とあっけらかんと(むしろワクワクとした表情で)言い放つルフィに、アオイは絶句した。
――こいつは何を、言っているんだ?
「このドアホー! 何勝手に安請け合いしてんのよ!」
蒼ざめたナミの拳でダイニングテーブルに思いきり沈められたルフィは、けれどすぐに起き上がると「なにすんだ!」と口を尖らせた。キャパシティオーバーのアオイはそれを、流れる景色の一部としてしか認識できない。
「ナミ、お前だってアオイの事情知りたがってたくせに、冷たい奴だなー」
「それはそうだけど! でも私たちにはロビンだっているのよ!? 迂闊に今、世界政府に近づけるわけないでしょうが! 何が明日よ、遠足じゃないのよ!」
「だから明日は無理って言った」
「屁理屈言うな!」
ようやくハッとして、アオイは拳を握った。
「……ナミの言う通りだ! 船長、お前、馬鹿か!? 馬鹿なんだな!? お前は一味の安全を第一に考えろ!」
詰め寄るも、ナミとアオイ二人がかりでの説得も柳に風、全く堪えずといった調子で、ルフィはふんと腕を組んだ。
「あのなー、二人ともぜんっぜん分かってねェ! おれは海賊王になるんだぞ! 遅かれ早かれ、いつか世界政府とケンカすんのは当然だ」
「…………!」
「こいつはまた、核心を突くことを……」
フランキーが感心しつつも苦笑いを浮かべて言う。確かにその通り過ぎて、アオイは二の句が継げない。唖然とした色を浮かべるアオイの瞳を射抜くように見つめて、ルフィは口を開いた。
「世界政府に殴り込む時は、絶対に来るんだ。その時に、アオイ。おめェの目的を果たせばいいだろうが!」
明るく澄み渡る。
単純明快。
そうではないと、明確に否定したいのに――
光に焼かれて、
「――男前すぎるだろ、船長……」
強気な言葉を発するつもりが、焼かれた喉は震えて、素直な気持ちが吐露されてしまった。その事実に泣きそうになって、アオイは鼻の奥がツンとするのを感じた。決壊を必死に耐えるため、意味もなくルフィを睨むかたちになってしまう。
それでもルフィは、ただ躍然と笑った。
「シシ! アオイおめェ、考え込んでたわりには大したことじゃなかったなー!」
「……っふざけんな、何言ってんだお前……! 相手は世界政府だぞ、畏怖すべき絶対権力の中枢だ!」
「まぁ、エニエス・ロビーの一件で、基準がおかしくなっちまったんだな、おれたち……」
ウソップが半ば放心しかけて呟いたところで、アオイは唇を噛み締めた。
(冗談よせよ……っ!)
ルフィにバシバシとキャスケットを上から叩かれれば、さらに顔を上げることができない。
――たかが石探し。そう言ってしまえば、確かにそれまでだ。けれど、石を取り返すというそれだけの話で済めば幸運。それは一筋縄ではいかないはずで。
瞼を閉じる。ヂリヂリと余韻の残る目の奥に映るのは、あの頃。
あの時、そのために生きることを決めた。そのために、あの男の手を取った。それを手放して、今。また誰かの手を掴むなんて。光に焦がれたからといって、それをなかったことになんて――
アオイはギリリと音がなるほど手のひらに指を食い込ませると、落ち着かせるように、再度ルフィを見つめた。
(流されるわけには、いかないんだ)
たとえ、受け入れてくれたとして。
「……お前のその気持ちは、嬉しいよ。ほんと、俺には、勿体無い言葉だ」
一呼吸。
「だが悪いが、俺には一族との約束がある」
(生きる理由がそこにある。それを捨てたら、“私”は――)
それだけは、たとえこの一味の光とて。焼失させるわけには、いかない。
「――すまないけど、俺の航海の理由がそれである限り、お前らに約束の内容を全て話すことはできないし、クルーとしてこの身をこの船に委ねることはできない。お前らに何かがあっても、俺は俺の事情を優先してしまう。それはきっと、クルー失格……だろ?」
伺うように言えば、ポカンとした一味の顔がそれぞれそこにあって、アオイは分かりやすいなと苦笑する。なんてハッキリ言うのだろうと、呆れているのだろう。
答えは、もうすぐそこだ。軽くなる気分が少しの痛みを連れてきたが、アオイは無視をして、静かに胸に手を置いた。
「でも……今話した全て。これが、俺が今。お前らに渡せる、最大の誠意であることは、わかってほしいんだ」
節目だ。これが、最後だ。
後悔はない。きっと、互いにかかっていた霧はもうないはずだ。霧が醒めた今のまま、別れたい――
「あー、お前の誠意は分かったが。その前に、そもそも無理じゃねェか?」
張り詰めた静寂を、ゆるく壊される。戸惑ったように言うウソップに、アオイは雰囲気が台無しだと片眉を上げた。
「無理って。何がだよ」
「だから、お前がおれたちより自分を優先するって」
「あ?」
「だってお前ェ、普通におれたちと一緒に死にそうになってたじゃねェか」
自分自身を優先するなら真っ先に逃げるだろ、とウソップが言えば、他のクルーたちも「うんうん」と腕を組んで頷いた。
「あんたって、自分のこと分かってないタイプ?」
「ふふ、ハッキリ言っちゃダメよ、ナミ」
「おれ知ってるぞ。それ鈍感って言うんだろ!」
「ルフィ。てめェに言われちゃ、そのチビもおしまいだな」
ゾロがハッと鼻で笑い、アオイを見た。
「一味に迷惑かけたくないからって、懇切丁寧にその“極秘の”身の上話までおれたちに聞かせるてめェが、一味を利用するって? ンなことできるタマかよ」
「――なんだと?」
「なっはっは! アオイお前ェ、おれたち置いて逃げるなんて、出来もしねェことよく言えるなー」
「な、バカにしてんのか! やるときゃやるぞ、俺は! いいのかよ!」
「いいのかって。実際お前ェに利用されたところで、きっと痛くも痒くもねェけど、おれ」
(痛くも痒くもない?)
世界政府相手の話だというのに、あっけらかんと宣う船長に、真剣に語っていたアオイは理解されない苛立ちがふつふつと茹っていた。
(しかも、俺が、てめーらを利用できないだと?)
それじゃあ、情に絆されやすい奴みたいではないか。確かに、このままいたら情が移ってマズいとは思ってはいた。けれど――
まるで自分を、どこも危険ではないとでも言いたげな、軽い雰囲気。
忠告は散々した。そればかりか、心を開かないとも宣言した。にも関わらず、受けて立つとばかりに――こちらの覚悟と思いやりを、笑い飛ばすと来た。
(バカ一味め。見てろよ――)
売られた喧嘩は、買う主義だ!
「……いいぜ、馬鹿船長に馬鹿クルーども。こうなったらとことんてめーら利用して、船長、てめーを盾に世界政府つっこんでやるからな! それに、内緒事はずっと内緒だ。ぜってーお前らには話さないから! 一生! それでもいいんならこの俺を乗せてみろよ!」
「望むところだ、やってみろよバカアオイ! ぜってェお前ェの思い通りになんてならねェけどな!」
アオイとルフィの罵り合いを、チョッパーが嬉しそうに眺めて言った。
「エッエッエ! アオイの本音、聞けて良かった!」
その言葉に困惑してアオイがクルーを顧みれば、ウソップはホッとしたように表情を緩めていたし、ゾロやフランキーなどは話は終わりだとばかりに既に食事を再開していた(そしてゾロは普通に肉を平らげている)、女性陣(主にナミ)は「世界政府への殴り込みはその時が来たら、だからね。いいわね」と正気を疑う言葉を言うし、サンジは――アオイと目が合うなり、ニヤリと口元に弧を描いた。
「はは、こいつらにいいようにやられたな」
フゥーと煙を吐き出すと、サンジはタバコを揉み消した。
「この一味の裏を、お前がどんだけかけるか。お手並み拝見といこうじゃねェの」
賽は、投げられた。
(20170702)