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星とチョコレート
紺碧の波は穏やかで、頭上の空は漆黒。そこに散らばる満天の星空は、まるでカーニバルだ。宝石箱からぶち撒けられたかのような、色とりどりの星屑――
「どうだ、見えたか?」
マグカップを2つ乗せたトレイを片手に、ダイニングから出てきたコックはそう声をかけてきた。
「どうだろう。まだみたいだけどな」
「ナミさんとロビンちゃんの言うことなんだから、間違いはねェはずだ!」
「いや俺も疑っちゃいねーよ、べつに」
今日の夜、流星群が観れるらしい。
そう、昼にナミとロビンから伝えられて、ここのクルーたちが黙ってその機会を見逃すはずがなく。
午前1時。秋島と冬島の間のこの海の夜だ。みないつもより防寒して、ワクワクとした顔で非日常を語り合った。海をこよなく愛する海賊たちが、今ばかりは空を穴が開くほど見つめている。
ウソップとルフィ、そしてチョッパーのいつもの戯れあいを遠目で見て、俺はくすりと笑った。
「そいや、みんなに飲み物は?」
「先に配ってきたから、お前が最後。おら、受け取れ」
「……ふーん」
最後というところに少しだけ不機嫌になるも、こうして差し出された飲み物が極上なのを俺は知っている。そうして、目の前のこのやけに整った風情の(シックなグレーのマフラーと、ロングコートがやたら似合う!)男は、俺がこいつの出すそれに弱いことを知っているのだ。
そこでふと漂った香りがコーヒーでも紅茶でもないことに驚いて、俺はマグカップの中を覗き込んだ。
「あれ……もしかしてこれ、ココア?」
「ココアっつーか、ホットチョコレートだな」
「ほ、ほっとちょこれーと!」
「――なんだよ、嫌いか?」
少しだけ眉を寄せながらタバコに火をつけるコックは、どこか自信なさげに見えた。俺はそんな奴を一瞥してから、胸いっぱいにその甘い匂いを嗅ぐと、ほぅ、と白い息を吐く。初めての感覚。――この吐息にすら、この甘い味が溶け込んでいそうで。
「……ホットチョコレートは飲んだことない」
「お、マジか。ココアは」
「嫌いじゃないけど、みたいな……」
寧ろ、このチョコレートの甘い香りには、頬が緩んで――
「…………」
「…………」
「…………」
「……おい、好きなんだろ」
俺の無言に呆れたように笑うと、コックは紫煙を燻らせた。なんだかやっぱり子ども扱いされてる気がして、頬がカッとする。
「冬になると、飲みたくなるだけだ!」
「共感するが――何でムキになるんだ、そこで」
「別に……甘いモノ好きなの知られるとか、何ていうか……」
もじもじとマグカップを回していると、コックの鼻で笑う気配がした。
「今更か? だいぶ前からおれ、知ってるし」
「え」
「デザートの反応で分かるし」
「……な、なんだと」
「甘いの全般食う時、お前ふにゃけてるからな」
「ふにゃけ!?」
心外な! とコックのマフラーを引っ張っても、奴は少し驚いただけで、その余裕そうな笑みを崩しはしなかった。
「いいからそれ、飲んでみろよ。おれ特性のホットチョコレートだぞ。そんじょそこらのとは違うぜ」
「ココアよりも?」
「よりも」
断言だなんて。よっぽどの自信作に違いない。
ゴクリと喉が鳴る。俺は滑らかな表面を眺めて――ゆっくりとマグの縁に、口づけた。
(う、わ)
甘さが、滑らかさが。
この、優しさが。温かさ、が。
「……どうだ?」
「……美味しすぎて、飲むの勿体無い……」
「バカ」
本当に美味しい。こんな飲み物が、この世にあるだなんて。
今日みたいな夜。寒くて肩が強張って、ワクワクと少しの刹那さを待つ、凛とした夜には――これ以上ないほど、ピッタリな飲み物だ。
なんでこんなに、色々なことがバレているのだろう。いつの間に知られてしまったのだろう。どこか不安にもなるし、照れ臭くもあって。
「……濃く甘く、まったりとしてそれでいて――」
「…………」
「しつこい口当たり」
「なんでだよ! そこは“しつこくない”だろうがっ!」
「あぁ、ごめん嘘」
「てめ、」
「――最高です」
それを聞いたコックは、いつもより表情を崩してから――少しだけはにかんだ。
素直には言えない。でも、本当に、差し出された物があんまり俺好みだったから。手袋越しに触れるマグカップが、あんまりにじんわりと、温かかったから。そしてきっと、他のクルーへの飲み物もそうなんだろうと、容易に想像がついたから。
コックの頭上からキラリと流れた星線。それはきっと、空からの奴へのプレゼントに違いないと、思った。
(ちょぉぉお! 見えた! 今見えた!)
(肩叩くな痛ェ! マジかよ、何でだよおれ見えてねェぞ!)
(…………)
(おおおー!)
一味の歓喜の声が一斉に上がって、俺は嬉しくって、ホットチョコレートを口に含んだ。
この一味に、この優しい彼に。
降り注ぐ星々の幸あれ。
「ちなみに」
「うん?」
「そのホットチョコレート、今回ので品切れにつき、飲んでるのお前とおれだけだからな。他の――特にレディ達には内緒だぞ」
「えっ、お前それでいいの!? 女優先じゃ……」
「あー、ナミさんにもロビンちゃんにも、前に飲んでいただいてるからな。てめェはどうだろうかと」
「え? 他の男は?」
「はぁ? 何であいつらに飲ませなきゃなんねェんだ」
「え?」
「あ?」
「お、俺はなんで、」
「――お子ちゃまは絶対これ好きだろうと」
「てめぇぇぇえ」
(優しさからじゃないのかよ!)
(結果オーライだろうが! なんだよ、ホットチョコレートはお気に召されず?)
(め、召されたけどさぁ……)
(だよなァ。……ま、次の島で質の良いチョコ調達して、これからもたまには作るか)
(賛成!)