3日目(AM)
コケコッコー
朝、か。
いつも以上にやたら頭に響くその鳴き声に、私の神経が覚醒し始める。だが、まだ微睡んでいたい気持ちのが強い。
コケコッコー
五月蝿い。けど起きなきゃ。でも眠い。面倒。
いつもなら習慣で難なく目を覚ましているというのに、今日はなぜだろう、全く起き上がれる気がしなかった。
コケコッコー
「……あぁ、もう」
パチリと目を開けば、満面の笑みの奴がいた。
「お、ほんとに起きたな」
「…………」
「鶏の鳴き声で起きるっての、マジなのか。面白ェ」
ゆっくりとカーテンの向こうを見る。まだ夜明けには遠いようで、射し込む光はなく、家の中の影は濃く。
「あ、ちなみに今は3時半ってとこだ」
「…………」
「わりーわりー、まさか起きるとは思わなくて」
「死にさらせ」
今ここで殴り飛ばすことが出来ない奴の身体を、こんなにも恨めしく思ったことはない。
「だから、悪かったって」
「別に気にしてませんから。所詮は下劣な海賊のなしたことと思えば、これくらい可愛いものですから」
いつもより一時間は早く覚醒してしまった私の脳みそに対し、この悪名高き男が責任を取れるとは思わないし、無論慰めになることだってない。
だからと言って二度寝をすれば、再度起きれなくなるのが目に見えている私は、ランプに灯を点し、普段はあまりしない部分の掃除を始めた。
時間を有意義に使えないことが、何よりも不快なのだ。
「しかしお前、朝っぱらから働き者だよなー」
心底感心したように腕を組み、なぜか偉そうな監督ばりにベッドにどかりと座り込む奴を無視し、私はといえばドアや窓の上の桟の埃を落とすため、マスクをしてダイニングにあるイスを引きずっていた。
だが、埃を落とすくらいはいいものの、雑巾がけとなると厄介だ。無駄に背丈のあるこのドアたち、私で手が届くかどうか。
「そんな所に座ってるんだったら――」
そこでふと思いついた言葉を吐き出したが、慌てて口をつぐんだ。
手伝って。
出来るはずが、ない。後ろの奴は何にも触れることが出来ないのだ。あの無駄に逞しい身体も意味をなさない。
……ため息しか出ない。
「――使えない」
「おい、聞こえてるぞ」
だけれど、仕方ない。私は不機嫌そうにする奴をスルーし、もう一つイスを持ってきて重ねた。……うん、我ながら危ういバランスのような気がするが、なんとかなるだろう。
そこへよじ登ろうと壁に手をついた時、背後からどこか不穏な空気が漂ってくるのを感じた。
「……おい。まさかお前、それに乗っかるつもりか?」
苦言にうんざりと振り返れば、「それはまずいだろ」とでも言いたげな、片手で口元を覆う奴とバチリと目が合い――
そうになる。
「……っぶねぇえ!」
「そう、危ないだろう。なんだ、自覚はあるんだな」
冥界へ誘われるところだった。本気で危なかった。
これは一刻も早く供養してもらわなければならない。いや、一刻では遅い、一秒でも早くこいつには成仏してもらわないと。
気合いを入れ直し、奴の助言など耳も貸さず足を乗っけた。上手いことバランスを維持し――
「……ふふふ、見なさいよ悪党! 私、立ってる!」
「なんか、柄の悪いク○ラみたいだな」
「あなたの口からクラ○が出てくるとは思わなかったわ」
よいしょ、と絞った雑巾を広げ直し、畳む。そうして桟に手をかけた所で、足元から体の軸を揺らされるような――
「――あ、おい!」
奴の声は、遠く。
……そうして私が次に目を覚ましたのは、本物の鶏が鳴いて数刻経った頃だった。
「だから危ないって言ったろ」
「…………」
「人の有り難い言葉を無視するから」
「…………」
「どう見ても運動してるようには見えないからな、お前」
「五月蝿いですね、運動くらいはしてます」
「お、やっと口利いたか」
「…………」
怒りに任せジョウロを振り乱す。が、地面に全く水がいっていないのを見て我に返った。いけない、いけない。野菜にぶつかってどうするんだ。美味しく育てなければ。私の大事な子ども達。
朝の柔らかい日差しを受けて爽やかに光る葉っぱの上の露の玉。そう、これだけで私の胸は幸せに震えるのだ。毎日が同じ毎日でも、森の木々から射るようにこちらを覗く夕焼けとか、澄んだ星空とか、そんな些細な。
「――町に出ますよ」
空っぽになったジョウロを定位置に戻すと、奴はポカンとした顔をしてこちらを見た。
慌てて顔を背ける。
「町?」
「そう、町です」
教会へ、いざ参らん。
私の安らかな日常を取り戻すために。