眠れなかった。
間近にある暗闇を見つめる。視界に彼は、入らない。気配もない。息遣いを聞き取ろうとして――やめた。なんだか彼の領域を無断で侵してるみたいじゃないか。そんな無粋なことはしたくないと私は大げさにタオルケットを頭上までひっつかむと、隠れるようにすぽりとくるまった。
咽ぶ彼を放っておくわけにもいかず、秋風に肌を擦らせながら壁にもたれ考えた。若すぎる死という報いを受けて尚、こんなにも苦しむために彼は霊魂となり復活したんだろうか。海賊としての狼藉さえなければ善良にも見える彼を、天は死をもってしてもまだ赦さないということなのか。仲間を巻き込んだ張本人の自分が終焉を迎えられないだなんて、なんという苦しみだろう。
けれど、慰める? 私が、彼を? 彼がこうして人並みに泣くことを知らなかった私が、さも知ったような顔をして、無責任に何を言えるだろうか。どうしてそんなことが出来るだろうか。
考え巡っても行き詰まる思考回路が点滅を始める。ふぅと吐き出した息は思いの外夜の空気に馴染まずに浮いた。
いつの間にか泣き止んだ彼は、ふと私に目を向けるとばつが悪そうに俯き、テンガロンハットを深々と被った。ただでさえしゃがんでいて小さくなっているのに、また小さくなったみたいだった。
「……秋の夜を侮るな。風邪引くのが嫌なら、中入れよ」
「あなたがそこでそうしているから、私はここから動けないんですけど」
正確には、動けないことはない。本音を言えば、この空気をどうすればいいのか分からず、手持ちぶさただっただけなのだが。
憎たらしい言葉しか出てこない私に、彼はキョトンとして目をしばたいた。それからふっと久々にあの笑みを浮かべると、またいつものように肩を竦めて「それもそうか」と陽気に振る舞って見せた。
私はといえば、温度なんて感じないはずの彼の気遣った言葉にまたあの違和感を覚えかけたけれど――そう言う彼に妙に納得してしまったのだ。
温度を無くしても、彼は。人の温度を忘れる人ではないんだろう。それは、船長を亡くした事実に泣く彼を見れば。
彼が立ち上がったのを視界の端にとらえ、私も背を起こして扉のノブに手をかけた。
「ありがとな」
ぽつりと。背後から短く、細く呟かれた言葉に、硬く目を閉じて。
「……別に、涼めてちょうど良かったです」
また必死に、可愛いげのない台詞を返した。この距離が、私に出来る精一杯だったのだ。今更もう逸らすことも諦めた彼の目の縁が赤らんでいたことも、そばかすが散った頬に涙の跡が残っていたことも、全てに気付かないふりをする、それでしか、彼の傍にはいられないような気がした。
――涙にだって、熱があることを。
たとえ風の冷たさを感じなくても、滲んだ瞳の熱さを、彼が感じ取れていたらと。
それくらいは、この寂しい魂に許してやってもいいでしょう、神様?
「起きてますか」
「……なんだ、寝てないのかよ」
返ってくる返事に、なぜかほっとした。もぞもぞと仰向けになり、真っ暗な天井を見つめる。
「あなたは、寝ないんですか」
「まぁ、眠くはないからな」
「……それは、霊だから?」
「そーじゃないのか? 生きてる頃は所構わず寝てたからなぁ」
「はい?」
ちょっと待てと言わんばかりに言葉を切れば、生きてる頃の彼はいつも食事中に居眠りしていたこと、海賊は酒飲みばっかりだから食事はいつも賑やかで宴会騒ぎだったこと、その中でも酔わないクルー――一番隊の隊長らしい――に無理矢理飲ませて、逆に呑まされたことなど……いつもよりも饒舌に思い出をつぐむ彼の弾んだ声が部屋に穏やかに流れる。彼からこうして自分のことを話してもらうのは、初めてかもしれなかった。
「それにしても、食事中に寝落ちするなんてマナー無さすぎです」
「メシは楽しむのが一番だろ? 堅ェこと言うなって」
「……これだから、無法者は」
呆れてそう言えば、彼は朗らかな笑い声をあげるのだ。
「海賊だからな」
無理にでも笑ってほしかった。その目を、暗闇から引き剥がしたかった。
私の中の「彼」のイメージ壊さないでいてくれる彼を、穏やかに過去を語る彼を、心から拒絶する気には――私はもう、ならなかったのだ。
「あの、もっと聞かせてください」
「え?」
「……海賊のこと」
思い出とは、敢えて言わずに。
「楽しい話を」
秋の夜は長いから。