取引

「じゃあ、こいつはこの世界の人間じゃないっていうのか」
「……そうとしか、考えられないわ」
 あれからアジトに一旦戻り、彼女について調べた。彼女から溢れ出る記憶の異質さに、パクノダの思考が停止したからだ。見計らったクロロが、落ち着いて再度アジトの中で試すよう諭すと、パクノダはようやく冷静になった。
「彼女の供述は真実。おおよそ私たちが知らない国で、私たちが見たことのない忍術と呼ばれる技を使い、それは契約がいるものもあるけど、基本的に制約と誓約がなく、念に似ているけれど決して念ではない……ああ、説明するのが面倒くさい」
 パクノダは理解するのも説明するのも煩わしいほどに酷く疲れきっていた。口頭での説明を諦め、メモリーボムを撃とうかと懐に手を入れると、クロロが無言でそれを制す。
「パクノダ、順に整理してみろ。こいつの基本的なプロフィールは?」
「……彼女の名前はヒュウガ=カナタ。年齢は18。合ってるわよね?」
「ヒュウガ? 男みたいな名前だな、おい」
 途中で口を挟んだノブナガに、ヒュウガと呼ばれた彼女は心外だと言わんばかりに牙を剥いた。
「失礼ね、それは姓よ。カナタが名前で、年齢はそれ。合ってる」
「姓と名前が逆なの?」
「私たちの世界では姓が先で、名前を後ろにつけて名乗るのが通例なの」
「まるでジャポンだな」
 顎に手をやり、クロロは記憶の引き出しを迷いもなく選ぶと、すぐに思い立った憶測へたどり着いた。
「ジャポン?」
 聞き返すカナタに、クロロはちらりと目を向ける。
「極東の島国の名称だ。そこではお前が今言ったように、姓が先で名前をあとにつける習慣があると聞いた。実際オレも目にしたわけではないが……お前、カナタといったか」
「ええ」
「自分の名前をここに書いてみろ」
 近くにあった紙とペンを渡すと、カナタは少しだけ怪訝な顔をしたが、素直にさらさらとペンを走らせた。
「あ、縦文字だ」
 シズクの言葉に、クロロは頷く。
「やはりな。ジャポンの文化と一致している」
「ちょっと待って、私の国はジャポンなんて名前でなければ、極東の島国でもないわよ」
「それは今パクノダの調査で分かった。あくまで関連性を調べてみただけだ。ジャポンは独自の文化を持ってはいるが、文明的には先進国にひけを取らない。識字率は高く、縦文字と同様に世界共通文字もほとんどの国民が習うはず」
「なるほど。OK、ちょっと待って」
 クロロのやらんとしていることを察すると、シャルナークは本棚に積まれた古い一冊を引っ張り出し、適当にページを開いてカナタに近寄った。
「えーと、カナタ、でいい?」
「なに?」
「この文字、読める?」
 ばっと見開きにされたページを暫く見つめると、カナタは眉根を寄せて首を振った。
「全然。一文字も知らない」
「これでほぼ確定だな。こいつはこの世界の人間ではない」
 クロロはシンプルに結論付けた。
 ソファに座り込むと、後ろで控えるメンバーに意味ありげに振り返る。
「こいつほどの腕を持った人間が、国外に出るのにハンター文字を読めないというのは考えにくい。パクノダの調査結果から言っても、やはりこいつは異世界から来たとするのが自然な流れだろう」
「ようやく納得してくれたわけ」
 やれやれと遠くを見るカナタを興味深そうに見つめながら、フィンクスはそれでも思慮深く口を開いた。
「だとしたら、こいつの能力は未知数。顔を知られ声も聞かれたオレたちとしては、野放しにするのもどうかと思うんだが」
「その通りだ」
「殺すか?」
「いや」
 フィンクスの言葉を軽く否定すると、クロロは一旦瞳を伏せた。それから暫く思考を巡回させ、一つの結論を導き出す。
 あるいはそれは、始めからその選択肢しか見えていなかったのかもしれない。
「カナタ」
「なに」
「お前、旅団に入れ」
「団長!」
 声を張り上げるウボォーギンと、ゆらりと立ち上がるフェイタンをフランクリンが片手で制す。クロロは視界の端にそれを確認はしたものの、何事もなかったかのようにそのまま続けた。
「未知の力。そしてその体術と度胸は、他にやるには惜しいとオレは思う」
「オレも団長に賛成」
 シャルナークが片手を挙げて和やかに笑う。その瞳は好奇心に満ち溢れ、カナタを見ていた。
「いいじゃん、その子。どんな能力があるか分からないし、さっきの様子からいって確実に幻影旅団のパワーの底上げに繋がる。逆にどっかのめんどくさい組織とかに持ってかれるより、唾つけておいた方がいいと思うんだよね」
「唾って」
 カナタが苦笑いを零すが、クロロは気にするそぶりも見せず旅団たちに顎で問う。
「他はどうだ?」
 静かに事の成り行きを見守っていた面面が呆れた表情をしていた。
「あたしはどっちでも構わないけどね。団長はそう言ったら聞かないだろ」
「団長の欲しがりは今に始まったことじゃねぇしな」
 マチとノブナガが仕方なしに言えば、数名を残して皆概ね同意した。
 次に視線を向けられたパクノダは少しだけ躊躇すると、しっかりとカナタを見た。
「……この子の記憶を見た限りでは、暗殺の腕は確かだし、素直で……私は好印象よ」
 このセリフが決め手だった。クロロは立ち上がると、カナタに向き直る。
「こちらは可決、あとはお前次第だ。どうする?」
 覗き込んだ瞳は、変わった色をしていた。
「……貴方がリーダー?」
 それは確信を持った質問だった。今更答えるまでもないだろうと思ったが、取引をする上で、最初が肝心である。クロロは求められるがままに返答を送った。
「団長はオレ。基本的にオレの言うことは絶対だが、だからといってオレが最優先というわけではない。優先順位は旅団が第一。――何か問題でも?」
「……私にどこまで求めるのか。その旅団とやらへの忠誠が必要なのであれば、私に入団は無理ね」
 陰鬱なアジトの空気をざくりと裂く淀みない声は、ただ凛としてその場に存在した。それを押し潰すような圧力が周囲から流れ始めるが、気にせずカナタはクロロだけを見つめた。
「私には忠誠を捧げた人がいる。それ以外に命はかけられない」
 だから、これは提案。
「私もこの世界が分からず困ってるの。ギブアンドテイクでいきましょ。旅団には入らない。けど、私が元の世界に戻るまでの間、私は実質旅団の協力者。いかなる時もメンバーのサポートをさせてもらうわ。その代わり、衣食住の面倒はみてもらう。どう?悪くないでしょ?」
「条件つき、ということか」
「不満?」
「いや」
 クロロは心底可笑しそうに口元を歪めると、カナタの瞳を見つめた。
「旅団を"使う"奴なんて、今までにいなかったと思っただけだ」
 二人は暫く無言でお互いを見て、不適に微笑む。それは、取り引き成立の証だった。
Si*Si*Ciao