諧謔

 目的の真珠にうっとりと目を細めるクロロを不気味に思いながらも、カナタは同じように淡く光を反射させる乳白色の雫を見つめた。なるほど、人魚の涙と形容されてもおかしくないその儚いまでの美しさは、まるで人々が恋い焦がれ手を伸ばす望月。これを手に入れたのだから、甘美に打ち震えるのも判るというものだ。
 クロロは横から覗き込むカナタに目を遣ると、すぐに興味を元に戻した。
「どうした」
「パクノダたちから逃げてきた」
「そうか」
 カナタがこうして旅団の元で生活するようになって丸2日。その間に基本的な知識は叩き込まれ、それでも足りない部分は丸1日かけての「散策」で学べと言われ、都市部に無理矢理連れ出されていた。散策という名の、主に女性陣の買い物やらである。
「世界地図と文字さえ覚えたら自由にしてくれるって言ってたのに、なかなか離してくれないのよね」
「それだけ異世界のお前を気遣っているんだろう。有り難く思え」
「勿論それはそうだけど。でも私、自分で言うのもアレだけど、あんまり印象良くないと思ってたから、これだけ構ってくれるのが不思議でしょうがないの」
 それはクロロ自身にも謎だった。主にパクノダがカナタの面倒を見ているが、それも誰かが押し付けたわけでもなく、至って自然な形で世話係に落ち着いた。それに合わせてシズクやマチがボケとツッコミという役割で二人を見守っているらしい。
 なぜパクノダがこうも得体の知れないカナタに親身でいるのか、旅団のリーダーであるクロロですらその真意は読み取れない。
 ただ、カナタと手を組むと決まった時、パクノダが一瞬詰まったのは確かだった。
(何かを読み取ったのだろうな)
 この娘の、その過去を。
 カナタから漏れる薄暗い過去の気配を、クロロは共に居て感じていた。そもそもあれだけ卓越した術を持つ人間が、平々凡々な人生を送ってきたとは考えにくい。そこには周囲からの一種の畏怖があって然るべきだ。彼女は恐らく、その道を暗鬱にも歩んできたに違いない。
 その彼女といえば、先日姿を現した真っ黒な服(本人曰く、忍び服というそうだ)ではなく、至ってシンプルな、今流行りなのであろう丸襟のブラウンのブラウスに、膝丈のスカート、その下には紺のタイツをスラッと着こなしており、その姿はおよそあの超人的な動きをしたカナタと同一人物とは思えないほど、一般人のなりと相違ない。
「そうしていると、まるで隙だらけだな」
「いっつも気張ってちゃ、疲れちゃうでしょ」
「違うだろう、お前は知っているんだ。隙だらけであればあるほど、人はお前に隙を見いださないと」
「貴方って難しい人ね」
 単純なことを、わざわざそんなに考え込んで、疲れないの?そう言いたげな瞳に、クロロは諦めた苦笑いを溢した。
「お前は能天気だな。能力に見合わず」
「あのねぇ、仮にもまだ出会って2日目の女の子に言う台詞と態度じゃないわよ、それ」
「お前のその横柄な態度も、年上相手に褒められたものじゃない」
「年上って言っても、そう変わらないでしょう。二十歳とか?」
 言われた年齢に、クロロは思わずニヤリと笑みを貼り付ける。
「そう見えるか」
「うん」
「残念、26だ」
「ふーん……って、ええ!? 26!? うっそ、見えない!」
 詐欺だ! と叫ぶカナタを尻目に、クロロは尚笑みを絶やさなかった。オールバックだった髪は、今はラフな感じで落ろされていて、肌は白くきめ細かいし、黒い瞳は大きく吸い込まれそうなほどだ。
「世の中を舐めてるわね。不公平だわ」
「この世に公平なんてありはしないさ」
「それは、そうだけど。だから、あーもう」
 苦々しい顔はそのまま、カナタは黒い髪をパサっと翻すと、クロロから一歩離れて扉へと向かった。
「どこへ行く?」
「なんだかまた難しそうな話になりそうだから、退散するわ」
「パクノダたちに追われてるんじゃないのか」
「あ」
 こうして話していると、昨日一昨日の彼女が嘘なのではないかと思えてくる。あの時対峙した彼女は、色で表すなら黒を背後に忍ばせる灰色だった。それが今では、その無邪気と形容出来る表情、雰囲気……まるで汚れを知らないかのようだった。
 カナタはというと、どうしたものかと扉の前で突っ立っていた。
 クロロはゆっくりと近寄る。そのまま扉に手をつき、カナタの耳元にそっと囁いた。
「パクノダたちを撒きたいのなら、オレと取り込み中だと思わせればいい」
「取り込み中?」
「そう、取り込み中」
「なに言って、」
 ゆっくりと塞いだ唇は、思ったより自然と自分のそれに馴染んだ。クロロは気を良くし、もっと深く、抉るようにカナタを貪った。
「やはり隙だらけだな」
 他の蜘蛛は、きっと来ない。
Si*Si*Ciao