どうかきれいにわすれてほしい



人それぞれである手段を否定したいわけじゃない。

どうしたって良く届く声は、そんな、私が不快な思いをしないように探してくれただろう前置きをした上で「一つ教えて」と続けた。


「俺はあんたに嫌われてないって認識なんだけど、合ってる?」
「合ってるよ。嫌いだったらもっと避けてる」
「そうだよな」


頬から浮いた手に横髪を梳かれる。耳の後ろへさらりと流し、すりすり裏側を撫でる爪先がなんともくすぐったい。

思わず首を竦めれば、彼は「猫みたい」と小さく笑った。度々張り詰めるこの場には不似合いな、まるで友達と談笑しているかのような空気をふわりと浮上させる。わざとなのか、そうでないのか。思惑を測りかねていると、髪の表面を伝い落ちていった温もりが離れて――「有難う」。




「え?」


アーモンド型の瞳が驚きを訴える。まさかお礼を言われるだなんて思っていなかったのだろう。あいにく問いただすことは好きじゃない。人生論や価値観を説けるほど正しい人間でもない。


「嫌いだって言えば良かったのに」
「……出来るだけ、嫌な思いはさせたくないから」
「分かってる。だから有難う」


護ろうとしてくれて、護ってくれて。例えそれが八割以上己がためであっても、俺のために言葉を選んでくれた事実は変わらない。

嘘でも突き放してしまえばあっさり終わりを迎えた筈の今、けれどそうしなかった彼女は元来正直で、透明な人なんだろう。ただそのまま生きるには不純物だらけの環境だった。何があったのか、どう育ってきたのかなんて知る由もないけれど、なんとなく予想がつく。なまえはきっと、多くの刃を知り過ぎている。だって、気こそ遣えど優しくしているつもりはなかった俺の言動ひとつひとつ、あまりに些細だった今までを優しさだと言った。微かな温もりさえ温かいと思えるのは、いつだって冷たさの中にいる人間だ。

遠ざけようとするのは、限界をとっくに超えているからか。全部要らないと心を殺し、これ以上寄るなと線を引いて、たぶんそんな自分が悪いと思っている。失望よりも憧れが勝った俺と違って、主軸となるものが存在しない。何にも縋れず、か弱く揺らぐ女の子。

途端に可愛く見えてしまって、ちょっと胸がざわついた。

そんなことより、この場をどうにかしないと。やっぱり直球勝負がいいのだろうか。いつぞやの緑谷みたいに。……苦手だな。話すことは得意じゃない。信じて欲しいとか支えたいとか、こんな関係性で軽率に言えることじゃない。じゃあこのまま放って置けるかっていうとそうでもない。妙な正義感だと笑われたっていい。先ずは信頼を勝ち取ることが第一目標。


「あのさ、チャンスが欲しいって言ったらくれる?」


絞り出した苦肉の策は、なまえの瞳を再び丸く変化させた。




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