切望の焼け跡



カーペットが歩行音を吸収してく。水音とポンプの稼働音が鼓膜をさする。閉館後の水族館は暗く広く、冷ややかな静けさが漂っていた。

なるほど。仮にも事務所をかまえるプロ同士。しかも似たような年頃の男と女で、彼は今をときめくNo.2。スキャンダルでも起こしたいのかと呆れ半分だったけど、確かにこれなら、人目を気にせずゆっくり過ごせる。

チケットはともかくどうしてホークスが裏の鍵を持っているのか甚だ疑問ではあるものの、「まあ細かいことはいいじゃないですか」とはぐらかされてしまえば、言及出来るはずもなかった。彼には彼の人脈がある。それ以上踏み込むべきじゃない。


壁を丸くくり抜いているガラス越し。青いライトを受けて煌めく色鮮やかな熱帯魚が、くるり、尾鰭を翻す。手入れが行き届いている水槽内は、とても気持ちよさそうだ。ああでも、どうだろう。随分窮屈かもしれない。

安全で、決まった時間に毎日餌が与えられる狭い箱。かたや危険がたくさんあって、自分の力で生き抜いていく自由な自然。どっちが幸せなんだろなあ。もっともこの子達は、広大な川や湖の心地よさなんて、そもそも知らないかもしれない。自分が本来生まれているべき環境なんて、知らない方が幸せなのかもしれない。

怖がらせないよう気を付けながら、翳した指先でくるくる遊ぶ。


「なまえさんって魚と話せるんですか?」
「まさか。息が出来て泳げるだけだよ。ホークスだって鳥と話せないでしょ」


私のフィールドは水の中。喉の側面、丁度耳下から輪郭をなぞり下ろした位置に鰓蓋があり、魚同様、水の中でも息が出来る。ついでにいうなら、指の付け根あたりにちゃんと水掻きもある。ただやっぱり、そもそもの土台は人間だ。羽根があったってゴーグル無しでは風を切れないホークスと一緒。それ以上でも以下でもない。

簡素な相槌が隣に並ぶ。


「一緒に泳いだりはします?」
「んー……あんまり。結構臆病だから隠れちゃうかな」
「へえ。やっぱ鳥とは違うんすねー」
「違うっていうか、人間を見慣れてないからじゃない? 私達も得体の知れないものは怖いでしょ。脳無とか」
「ああ確かに! いいですね。そういう柔軟さ」
「そう? 良く分かんないけど」
「なんで分かんないんですか」


けらけら笑う琥珀の双眼を軽く睨めば、珍しくグローブをしていない指に、うりうり眉間をなじられた。


「相手の立場で考える。これ、なまえさんの凄くいいとこ」


俺はあんまり考えられないんで、って笑顔が嘘くさい。皮膚を這うのは妙な違和感。

時折彼は、私の知らない人になる。確かにホークスであるはずなのに、仮面を被った誰かになる。そう感じられる瞬間が、これまでの日々に点在する。頻繁ではない。分かりやすくもない。それこそ二人っきりのひどく静かな空間で、注意深くじいっと見ていなければ気付かないだろう僅かな翳り。

思えば彼について知っていることなど、ヒーロー名と年齢くらい。聞いても教えてくれやしない。彼の意志も心の底も、名前すら。それが近頃寂しく思う。彼が独りであると同時に、私も独りなのだと思う。



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