甘くとろけるように落ちる



火をつけて、煙を吐き出す。

この漠然とした虚しさは何だろう。好きな人の傍で働けて、皆がお祝いしてくれて。今の私にお似合いなのは、誰からどう見たって"幸せ"の二文字なのに、どうしたって煙草が恋しい。


「ダメだなあ……」


溜息と共にこぼれ出た自嘲。
刹那、


「何がダメなんだ」


横から聞こえたのは、相澤さんの声だった。「何で」と顔を上げれば「トイレに上着はいらねえだろ」と、三白眼が軽く笑った。


「わざわざ追ってきたの?」
「まあ、そうだな」
「禁煙だって言うために?」


口端を上げて、私も笑ってみせる。わざと嫌味な言い方をしたつもりだった。いつもみたいに怒って欲しかった。じゃないと、弱りかけの心が"いつも通り"を保てそうになかった。

でも、いつだって思い通りにならない人。隣まで歩み寄ってきた相澤さんは「一本くれ」と、初めて私に煙草をせがんだ。

一体どういう風の吹き回しか。吸っているところなんて見たことがない。彼からすればこんなもの、何もかもが合理的ではない嗜好品。それでも取り敢えず、箱から出した煙草一本とライターを渡す。カチ、と音がして、吐き出された煙。ついで顰められた顔。ほら、嫌そう。



「お前五ミリなんて吸ってたのか」
「一ミリじゃ、空気みたいで物足りないの。八じゃないだけ可愛いでしょ」
「可愛い、ね」
「吸わないなら返してもらうけど?」
「いや、頂くよ」


憎まれ口しか叩けない私を、相澤さんは咎めたりしなかった。

二人揃って、ゆったり一服。夜とお酒と煙草のにおい。こうして隣に並んでいると、背の高さや体格の良さが顕著に感じられていけない。まるで学生時代に戻ったかのような錯覚。本当にどういうつもりなのか。


聞きたくても聞けないまま、ただ流れていく沈黙を遮ったのは、相澤さんの方だった。ぐらぐら揺らぐ私の恋心をすっかり見透かしたセリフが、心臓を脅かす。


「お前、俺が好きなのか」
「っ、」


そんなことないよ、とは、言えなかった。鼓動が乱れて、喉が引き攣って。おかげで変なところに入ってしまった煙を噎せながら追い出す。

見上げた先の彼は、自分で言ったくせに意外そうな顔をして「……マジか」と音をこぼした。私と同じように、動揺しているようだった。大方誰かに言われて、ちょっと気になったから聞いてみた、程度の感覚だったのだろう。まさか私が反応するなんて思いもしなかったのだろう。鈍感な人。そんなところも好きなんだから、私って重症。


「お昼に誘ったり、連絡先を聞いたり。好きじゃない人にしますか」
「……しないな」
「でしょ」
「すまん。お前のことだから、こう、恩返し的なやつかと思ってた」
「いいよ。どうせ一生片想いだし」


声に出してみると、すんなり胸におさまった。どうせ一生片想い。どうにかして振り向いて欲しいって思う反面、諦めていたのもまた事実だった。そんな風に見られていないってことは、分かりたくないけど分かっている。イレイザーヘッドにそんな暇はないってことも、もちろん。

顔を伏せて、ふう、と煙を吐き出す。

「いつからだ」って質問には「高校の時からずっと好きだったよ」と正直に答えた。先生を追って雄英に就職したことも、全然振り向いてくれないから心が折れかけていることも、素直に話した。もしこの想いが負担になるなら、ちゃんと胸にしまっておくとも伝えた。泣きそうだった。でも、ただの事務員である私は、そうするしかなかった。これからも相澤さんと同じ場所に立っていられる方法が、他に見付けられなかった。



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