不安と焦りを抱えながら、扉を開く。
こちらを向いた荼毘は、いつもの調子で「よぉ、お帰り」と言った。上着を脇に置いて座椅子に腰掛け、見ているテレビはありきたりなバラエティー。特に変わった様子は見受けられず、胸を撫で下ろす。
「ただいま。今日は早いんだね」
「ああ」
腰を上げ、のそのそ歩み寄ってきた長身。抱き寄せられるままに身を委ねれば、焦げ臭さと共に、僅かな体温の高さが違和感を煽った。屈ませた額に手を当ててみたけれど、熱があるわけではないらしい。気付いた荼毘は、相変わらず喉の奥で笑った。
「心配してんのか」
「ちょっとだけ。火葬場にでも行ってきた?」
冗談めかしたつもりのセリフ。軽く流されるだろうと思っていたそれは、けれど、彼の思考を奪うには十分だったらしい。
ワンテンポ遅れて「知ってたのか」と吐き出された声はどこか自嘲的で、私の言葉が間違ったことを知る。
彼の通り名は、火葬を意味する言葉だった。近頃増えた焼死体のニュース。この辺りの報道が増え始めた時期と、荼毘が部屋へ現れるようになった時期。
すっかり忘れていた。安心しきって、というよりは、彼が誰であろうと関係ないくらい、この想いが募ってしまっていたから。
「っ、待って」
するりと離れた温もりを追う。
謝れば許してくれるだろうか。何も知らないと言えば、信じてくれるだろうか。もしそうしてくれたとして、彼の中に芽生えてしまったかもしれない私に対する疑心は晴れるだろうか。
どうすれば、今までの関係を保っていられるの。胸の内を素直に吐露したところで、それこそ鬱陶しい女だと思われかねない。もう会えないかもしれない。だって何も知らない。連絡先も、本当の名前も。違う。そうじゃない。今はそんなことより。
待って。時間が足りない。落ち着いて考えられる時間が欲しい。動悸に急かされて焦るばかりの頭では、まともな答えを出すどころか、順序立てて考えることすら出来やしない。
彼の白いシャツを握りながら、ぐるぐる巡る焦燥を必死で宥める。でも、どう足掻いたってダメだった。知ってたのかってことは、自分が犯罪者であることを認めたも同然だ。たとえ私が良くても、彼がここにいるメリットは見当たらない。
それなら、残された幸せは一つだけ。
「殺していって」
行かないでなんて言わない。
好きになって欲しいなんて言わない。
ずっとこのままでいて欲しいなんて、言えない。
「ねえ荼毘、私ね。あなたの腕の中で死にたいの」