揺らいだ瞳。透き通っているようで、底の知れない気味の悪さを保った色彩。

逃げようとはしなかった。はぐらかそうとか誤魔化そうとか、俺の神経を刺激するような素振りは何一つ見せないまま、ただ、考えているようだった。


「私で居られるから、かな」
「は?」


感覚からすると数分。時間にして数十秒。

口を開いたなまえはそう言って、微かに口元を歪めた。不自然に動く表情筋があまりにらしくなく、ンな言い方で分かるかクソが、と喉までせり上がった苛立ちが萎む。


「噛み砕いて言えや」
「んー……息がしやすい」
「あ?」
「何にも気にせず、もうちょっと傍に居たいって思う。居心地がいいって感じ?」
「俺に聞くんじゃねえ」
「うん。でもね。この感覚がイコール好きなのか分からない」


恋なんてしたことがない。誰かが欲しいと思ったこともない。そもそも人という生き物が苦手。相手に合わせて笑ったり泣いたり怒ったり。そんなのはしんどい。出来ない。しちゃいけない。息が詰まる。だからずっと気ままに生きてきた。それで平気だった。何も要らなかった。なのに勝己がキスなんかするから、だんだん分からなくなった。


「気になるって言われて、今、ちょっと苦しい」


そう、ぽつぽつ話す声は微かに震えていた。気のせいではない。膝を抱えたまま戸惑いを吐露する姿も、やっぱりまるでらしくない。眉が下がって、ぎこちなく弛んだ目元。口角は上がっているのに泣きそうな、初めての“表情”。

みるみる内に人間くさくなっていく様に驚く。ああこいつも普通の女なのかと、今まで当たり前ではなかった当たり前を実感する。得体の知れない違和感が薄まって、冷静な頭でなまえの言葉を反芻する。魚の小骨みたいに引っ掛かったのは『しちゃいけない』って妙な言い回し。たぶん、ついポロッと口から出たんだろう。


「お腹すいたね」


急に意識を逸らそうとするのは、たぶんそういうこと。俺が好きだって認めれば済む話を曖昧なまま引き延ばそうとするのも、線を引いたそっち側から出ないまま傍に居ようとするのも、自分の失言に気付いたから。俺がそれを聞き逃すようなバカじゃないと、知っているから。


「そうじゃねえだろ、なまえ」


下手くそな笑い方に「そうじゃねえのは、お前が一番良く分かってんだろ」と冷蔵庫から体を浮かせ、ただでさえ小さな身体を更に小さくしている真正面に胡座をかく。缶と肘は、ローテーブルの上。


「適わないなあほんと。苦しいよ」
「後生大事に抱えてっからだろうが」


俺に捕らわれたままの瞳が揺らぐ。細く吐息をこぼしたなまえは「誰にも言えなかったから」と、白旗をあげた。



心を所望




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