さながら覚えたての九官鳥。勝己、勝己、といちいち俺の名前を連呼しやがる心底鬱陶しいその口は、一体どうやったら閉じられるのか。
毎日毎日飽きもせず教室に来るせいか。なまえはいつの間にか、クラスの女共とも話すようになっていた。その上最近じゃ“爆豪の彼女”ってクソ迷惑な認識が定着しつつある。逐一否定するのもそろそろ面倒くさい。なまえもなまえではっきり言えばいいものを、何でか丸まま許容している。どうでもいいのか、気にしていないのか、もしくはそれで良いと思っているのか。
デクの席に逆向きで座り、変わらない無表情のままスマホをいじっている元凶を眺める。俺がこれだけ辟易としているってのに、澄ました顔は今日も崩れない。せめてもの腹いせに狭い額を指で弾けば、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
「……痛い」
「もっと痛そうな顔しろや」
「今日は構ってちゃんだね」
「誰がだ燃やすぞ」
「ねえ、これ押して」
「あ゙?」
向けられたスマホを覗けば、アホ面がやっていたようなアプリのガチャ画面。仕方なく矢印の上に指を滑らせてやると「おぉ」なんて短い声がこぼされる。良い奴を引いたらしい。
「ありがと。凄いね」
「たりめえだろ。俺を誰だと思っとんだ」
「勝己」
「……。てめえもゲームすんだな」
「イメージない?」
「ねえ。つか、趣味とかあんのか」
「勝己は?」
「は?」
「趣味、勝己はあるの?」
また性懲りもなく質問を質問で跳ね返してきたなまえの視線は、相変わらず画面に落とされたまま。
興味もねえくせに聞きやがって。今は俺と喋ってんだろが。こっち向けや。
そう言ったところで、きっと顔を上げることはないのだろう。
虫の居所の悪さを感じつつ「登山」と答えてやれば、やっぱり興味など微塵もなさそうな様子で「ふうん」なんて、クソしょうもない相槌が寄越された。
「本読むの、好きだよ」
少しの沈黙を経てスマホをポケットにしまったそいつは、思い出したようにぽつりと呟いた。蛍光灯と太陽の光を透かし、薄ら淡く輝くレッドダイヤが俺を映す。それからひどく緩慢に、窓の外を見遣る。
「景色を見るのも、好き」
ゆったり細まった瞳。ふわりと舞い込んできた冷ややかな春風が肌を撫で、なまえの髪をほんの少しさらった。
焼け知らずの白い肌。対照的な黒い髪。片手で覆えそうな小さい顔。がらんどうの硝子玉。横から見ると際立って映える長い睫毛。すっとした鼻筋。桜色をくすませたような血色の悪い唇。日頃から目障りで仕方ないはずのそれら全てが段々と、風に流されそうな、陽の光に溶けそうな、幻だったんじゃないかと錯覚するほど跡形もなく消えてなくなってしまいそうな、そんな漠然とした儚さを纏っていくように思えた。覚束ない感覚が生んだ妙な焦りに、ざわり。心臓が粟立つ。何でだ。分からねえ。
ただ気付いた時にはもう、その折れそうな細っこい手首を掴んでいた。
驚きさえ宿さない視線が戻ってきて、数秒停止する。どうしたの、なんて。ンなモン俺が知りてえわ。何でてめえは顔色一つ変わんねえんだよ、クソ。
「変な勝己」
「……うるせえ」
「あったかいね」
冷たい温度。壊れ物でも扱うように俺の手を包む、小さな手と華奢な指。もう骨と皮だろってくらいのそれは、確かに俺の手に触れていて、
なまえがここに居る。
そんなどうでもいいはずのことに、ひどく安心した。苛立ちとはまた違う言い表しようのない情動が、ふつふつ湧き上がる。見て見ぬ振りが出来たなら、気付かないままでいられたなら、どんなに良かったか。今まで感じたことのないそれは、舌打ちをしたところで掻き消せやしなかった。
チャイムと共に翻った短いスカート。手を振るでもなく、別れの言葉もなく。まるで、そうすることが誰にとっても当然であるかのように廊下へ消えていった背中は、すぐに見えなくなった。