きらきら、ぱちん

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歩いて十五分くらい。彼の家は有名なハウスメーカーの豪邸が建ち並ぶ一角で、一際存在感を放っていた。塀にそった等間隔の植栽。『爆豪』って立派な表札に、大きな門扉と丸い門灯。外壁は落ち着いた濃いベージュで、屋根はモスグリーンかな。暗くて良く見えないけれど、我が家の百倍はありそうな窓にも洒落た色がついている。

こんな素敵なところに住んでるのって驚きと、本当に泊めてもらっていいのって躊躇いが脳内をぐるぐるしている内、スタスタ進んだ爆豪くんは、扉を開けて振り返った。


「何しとんだ。早よ来い」
「ごめん、お邪魔します……」


広々とした玄関の端っこで、脱いだ靴を横向きに揃える。凄い。もうここだけで寝泊まり出来そう。

畏縮しながら先を歩く背中についていけば「おいババァ」と、耳を疑う衝撃発言が彼の口から飛び出した。一瞬誰のことか分からなくて、ああお母さんか、って思い当たる。これが噂に聞く思春期の男の子ってやつらしい。っていうか、そっか。勝手に留守なのかと思っていたけれど、そりゃあ親御さんもいるよね。どうしよう。なんて言えばいいんだろう。

爆豪くんの向こう側。背中に隠され今は見えないけれど、確かにそこにいるであろうご家族への挨拶を考える。夜分にすみません。これは絶対に言わないといけない。どうしよう。さっきから同じ言葉しか浮かばなくって、緊張のあまり喉がカラカラ。


「帰ってきたんなら先に、ただいま、でしょうが」
「うるせえ。なんか飯あんか」
「はあ? あんたもう食べたじゃない。またお腹すいたの?」
「ちげぇわ! 俺じゃねえ」


ん、と。半身をずらした爆豪くんに背中を押され、一歩前へ。


「こいつ」
「は、初めまして、夜遅くにすみません……」


口から出そうな心臓を押し留め、さっき同様頭を下げる。おそるおそる戻した視界には、爆豪くんと同じ髪と眼の色をした、ババァなんて到底似つかわしくない綺麗な女性。背中から冷や汗が吹き出た瞬間、その表情が、ぱあっと輝いた。


「やっだもう! 女の子連れてくんなら事前に言いなさいよ用意ってモンがあるでしょうが! ごめんなさいね、うちのドラ息子がー」
「誰がドラ息子だコラ!」
「いえ、私が突然お邪魔してしまったので……すみません」
「あーいいのいいの。あなたお名前は?」
「名字名前と言います」
「名前ちゃん! 改めまして、勝己の母の光己です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「ちょっと可愛い子じゃない勝己ぃ〜」
「ニヤニヤすんなキメェ。ンなことよりこいつ、今日二階に泊めっから」
「お布団ちゃんと出してあげなさいよー」
「せえなわぁっとるわ。荷物置かせてくっから飯!」
「はいはい。用意しとくわねー」
「チッ。……オラ行くぞ」
「えっ、!」


無造作に掴まれた腕が引かれ、全く構えていなかった足がもたついた。すぐさま「女の子には優しくしなさいよ!」と光己さんの声が飛んできて、「言われんでもしとるわクソババァ!!」と爆豪くんの怒声が元気に響き渡った。案外普通の男の子なんだなあ。なんだか不思議。今まで雲の上だったのに、急に近くなったみたい。



二階の右手正面。トイレの位置を示しながら通されたのは、ベッドがあるだけの簡素な部屋だった。来客用か、予備なのか。光己さんに言われた通りクローゼットからシーツと毛布、それから布団を引っ張り出した爆豪くんは敷くだけでなく、わざわざセットしてくれた。

いろんなことが目まぐるしく起きていて、ろくに機能していなかった心中を、今更浮上した申し訳なさが塗り潰す。助けてもらって縋ってしまって、泊まる準備に晩ご飯。このまま順当にいけば、お風呂も貸してくれるだろう。友達でも親戚でもない、ただ同じクラスになったことがあるってだけの、もしかしたらそれさえ彼の記憶には留まっていないかもしれない、こんな私に。

随分と冷えてきた頭で考えれば考えるほど、謝罪以外が見つからない。


「ごめんね」
「あ?」
「いろいろ迷惑かけて……」


自然と落ちた視線が、自分の爪先を捉える。拳を握れば制服のスカートに皺が寄った。でも湿り始めた空気を横断した爆豪くんの溜息は、ちっとも怒っていなかった。本当になとか、分かってんならどうのこうのとか。彼に対するこれまでの印象から勝手に描いた返答は、どれ一つとして降ってこない。ただ静けさを湛えた低音が、葉風のように鼓膜を揺する。


「俺ん家じゃ不満かコラ」
「全然っ、そんなことないよ。こんなに綺麗なお家……」
「なら“アリガトウゴザイマス”だろが。ビビりが変な気ぃ遣ってんじゃねえ」
「……ありがとう。お世話になります」


浮かない表情が、逆に気を悪くさせてしまうなら。そう、次々せり上がってくる自己嫌悪を嚥下する。言うことを聞かない口角をそれでも無理に引き上げてみせれば、彼は僅かに瞳を細め「ん」と、気のない返事をした。


「俺ァ風呂入って寝る。その辺のモンは好きに使え。分かんねえモンあったらババァに聞け。明日七時四十五分、寝坊しやがったら置いてく」


じゃあな、を聞くのは、これで二度目か。駆け足で言い切った爆豪くんは、既に扉の向こう。意外にも真っ直ぐな優しさのそれぞれが、たとえ勘違いであっても嬉しくて。

変に脈打ち始めた鼓動を誤魔化すように、お泊まりグッズを詰めてきたリュックとスクールバッグをおろす。間違えないよう何度も部屋の位置を確認しながら、美味しそうな香り漂うリビングへ足を向けた。


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