夜明けのすきまを縫いとめて

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翌朝。アラームよりも先に目覚めて、早々にベッドから這い出した。昨日からずっとカバンに入れっ放しだった、常温のゼリー飲料を飲みつつ制服へ着替え、寝具を畳んで洗面へ。幸い誰とも会わないまま歯磨きと洗顔を終え、髪を整える。借りたタオルは光己さんに教えてもらった通り、洗濯カゴへ放り込んだ。

七時二十分。よし、完璧。
これで遅れる心配はない。

一度部屋に戻って荷物を詰め直す。念のため『友達のとこ泊まってくる』と、お母さんに送っておいた深夜メッセージには、了解スタンプが返ってきていた。




昨夜は自家製らしいデミグラスソースがかかったほかほかハンバーグをご馳走になり、光己さんと、それから爆豪くんのお父さんである勝さんも加わって、三人でお喋りしながら和やかなひと時を過ごした。学校のことや爆豪くんのこと、その中で、もちろん私が一晩お邪魔することになった経緯もちゃんと説明した。たぶん彼の株は上げられた、と思う、のに。


「てっっめえ……昨日の晩、ペラペラ余計なこと喋りやがったらしいな? ぁ゙あ゙?」


七時四十分。律儀にノックをしてから部屋へ入ってきた爆豪くんに、開口一番凄まれた。用意していたおはようを慌てて呑み込み、反射的に両手をあげて降参する。


「学校のこととか助けてもらったこととか、ちょっとだけ、」
「それが余計だっつっとんだ殺すぞ」
「ごめん、気を付ける……」
「チッ」


お馴染みの舌打ちに俯いて少し。「準備」と投げられたぶっきらぼうな声は、けれど怒りを宿していない。慌ててカバンを掴み「出来てるよ。もう出れる」って答えた。

わざわざ玄関まで見送りに来てくれた光己さんに頭を下げ、カリカリしている爆豪くんの「クソババァ!」をBGMに靴を履く。なんとなく並んではいけないような気がして、門を出てから一歩後ろへ。私の選択は、どうやら正しかったらしい。爆豪くんは静かだった。途中で遭遇した緑谷くんに「あ、おはようかっ……名字さん!?」と、大音量で驚かれるまでは。

一瞬で沸騰した彼の裾を掴んで引き止め「違うの! 今日たまたまこっちの道から来てみただけで……!」と、下手な言い訳を並べてみる。ちょっと無理があるかもしれないけれど、仕方がない。もちろん、緑谷くんに限って言い触らすことはないだろうと思う。ただこれ以上、爆豪くんに迷惑はかけられなかった。かけたくなかった。

一緒に登校しているわけじゃない。あくまで偶然。なんとかそう認識してくれたところで胸を撫で下ろした刹那、グイッと引かれたカバンに瞠目する。


「ダラダラくっちゃべってんじゃねーわ。行くぞ」


ねえ待って。今私、全然爆豪くんとは関係ない、って弁明したばっかりなんだよ。なのにこんな、ねえ。どういうこと?

嚥下しようと試みた動揺が、喉に突っかえて呑み込めない。持ち手はすぐに離されて、隣を歩く端整な横顔は平然としていて。でも、確かに合わせられている歩幅や速度が、単なる勘違いで終わらせてくれない。

結局そのまましっかり教室まで送り届けてくれた爆豪くんは、戸惑うばかりの私を置いて自分のクラスへ戻っていった。周囲がざわめいたのは言うまでもない。そりゃそうだ。私だって放心状態。ちっとも抜け出せやしない。うそみたい。黒い背中が消えていった、もう誰もいない扉を見つめ続けていると、とんとん。肩を叩かれた。振り返れば、一緒にお昼を食べる程度の友達が「大丈夫? パシられてるとかじゃないよね……?」と、心配そうに眉を八の字に下げていた。

彼が唯我独尊の恐ろしい暴君であるからか、それとも私が、ああいう派手なグループには不似合いだからか。まあ、どっちも影響しているのだろう。思春期特有の甘酸っぱい疑惑は微塵も浮かばず、各方面から様子を窺われる度「大丈夫だよ。気まぐれじゃない?」なんて適当に流した。だって私も分からない。それにきっと、これっきり。たぶん全部夢だった。うそだった。そもそも住む世界が違う人。天から二物以上を与えられ、あたたかな家族に愛される素敵な環境で育った、どこまでも遠い人。

とっくに死んでいるはずの心が痛んだけれど、気付かないふりをした。

不審者のことは誰にも言わなかった。出来るだけ思い出したくなくて、早く忘れてしまいたくて、誰にも何も、言えなかった。


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