やさしく煮詰める

―――



夜が怖い。そう気付いたのは最終下校まで残った末に、靴を履き替え、正面玄関から一歩外へ出た時だった。

視界の奥。校門から向こうで広がる暗がりが、延々と続く闇のように思えて足が竦んでしまう。血の気が引いて、指先一本動かせない。そのくせ鼓動は大きくうるさく、いやにどくどく脈打っている。もちろん帰路には灯りがある。真っ暗闇なんかじゃない。それでも怖くて踏み出せない。

またあの靴音が聞こえたら? 妙な視線を感じたら? だんだん距離を詰められて、すぐ後ろまで迫ってきたら、どうするの。今度は非力な私一人で、果たして対処出来るだろうか。

昨日は運が良かっただけだ。派手で強い個性を有し、使いこなせるだけの器量が備わっている学年一位に出くわすなんて、そうそうない。頼れるものは自分だけ。まるで弱虫の私だけ。


「……だいじょうぶ」


自分自身に言い聞かせる。大丈夫。不審人物に遭う確率は、宝くじに当選するより低いはず。分かってる。分かっているのに、どうして動かないんだろう。頭だけが冷静で、心や体は別人みたい。でも、このままここで突っ立っているわけにもいかない。帰らなきゃ。もうじき最終の見回りが来る。呆れた顔で、早く帰れと追い立てられるのがオチだ。どのみち選択肢はひとつ。帰りたくなくて、こんなに遅くまで残ってしまった自分を恨んでも変わらない。

大丈夫。一人で帰れる。今までずっとそうだった。何も怖くなんてない。

目を閉じて、地面に向かって息を吐く。そうして拳を握った時。


「―――おい、ビビり」


真正面から聞こえた声に、全思考が停止した。荒い声と粗野な物言い。顰めっ面が瞬時に浮かんで、戸惑った。まさかそんな、そんなこと。

耳を疑うより早く「てめえのことだクソ名字」と名指しされ、思わず顔が跳ね上がった。夜に浮かぶ赤が二つ、クリーム色のツンツン頭。黒地にオレンジラインが目立つ厚手ジャージの爆豪くんが、真っ直ぐ私を見据えていた。

ふ、と安堵が降りてくる。


「行くぞ」
「えっ、どこに?」
「あ? てめえの家以外にどこがあんだ」
「送ってくれるの?」
「じゃねえとビビッて帰れねんだろうが。それに、また狙われりゃ現行犯でしょっぴける。一番手っ取り早ぇんだよ」


なるほど。つまり餌ってことらしい。それなら分からなくもない。というより、心配だから迎えに来た、よりも断然頷ける。

舌打ち混じりに踵を返した背中を追う。凄い。あんなに竦んでいた足が、自然と前に進んでく。爆豪くんがいるってだけで、安心感がまるで違う。きっと将来、立派なヒーローになるのだろう。それに比べて私は――……。

冷めてく心を仕舞い込み、やや早足で隣に並ぶ。爆豪くんは今朝と同じく、なぜか歩調を合わせてくれた。変なの。私を餌にするなら離れて歩いた方が釣れるだろうに、どうして傍にいてくれるのか。そもそもどうして、私がまだ学校にいると分かったのか。

気になって訊いてみる。一瞥を寄越した彼は「電気」と小さく口を開いた。


「てめえの家の、消えとった」
「……待って。私が家に帰ってるか見に行ってくれたの?」
「チッ、クソ捜しのついでだアホ。勘違いすんじゃねえ」
「だ、だよね。ごめん」


やんわり浮かんだ余計な期待を放棄する。びっくりした。いよいよ私の中の暴君像が、粉々に砕け散るとこだった。そうだよね。綺麗で可愛い女の子相手ならともかくとして、あの爆豪くんが私なんかを気にかけるわけはない。

自重して先を急ぐ。無駄話は、たぶん好きじゃないだろうから黙ったまま。やがて着いた我が家の門前でお礼を述べた。爆豪くんはうんともすんとも言わずに数秒目を合わせ、それから「またな」と帰っていった。

また、ってどういう意味なのか。呆気にとられ、離れゆく背を呼び止めることは叶わなかった。

けれど翌日、終礼を終えて間もなく理解する。


「おい」
「……」
「帰んぞ、ビビり」


入ってくるなり一直線に向かって来ては私を見下ろした爆豪くんに、教室中がざわめいた。


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