とうとういびつにしかなれなかった



 インターンも終盤となり、三年生が学校へ来る機会は格段に減っていた。ヒーロー科のカリキュラムとしてインターンは必修のため、卒業後の進路に関係なく実施される。時折座学で相澤が教壇に立つ機会はあっても「ちょっと良いか」なんてみょうじを連れ出す糸口もなく、淡々と時間だけが過ぎていった。

天才と名高い彼女の進路が、サイドキック就職でも大学進学でもなく、ヒーロー事務所の事務員として就職するのだという驚嘆すべき事実が、教師間だけでなく生徒に広まるのにさして時間は掛からなかった。

根も葉もない噂、心ない誹謗中傷は無数に飛び交った。彼女の担任でさえ「みょうじは一体どこで間違ったんだ」と零してしまっていた。それだけ、みょうじなまえという稀代の天才に掛かる期待は大きかったのだ。

どんなに冷たい視線に晒されようとも、彼女の胸の内の柔らかい所を抉るような言葉を吐かれても、みょうじは雄英生最後の一日まで、高嶺の花、麗しき優等生として在り続けた。

 やがて校内の人間は彼女への興味を失い、恙なく卒業の日を迎える。卒業生代表、即ち主席卒業者として答辞を読むその声は、朗々と講堂いっぱいに響く。


「雄英高校で学んだ全てを生かして、社会に貢献できる一員となることを、ここに誓います」


"徒花"なんて汚名を囁かれているとは微塵も知らなさそうな声は、堅苦しいスーツに体を押し込んだ相澤の鼓膜にもきちんと届いていた。













 なまえは意味もなく、三年A組の教室を訪れていた。担任からの別れの挨拶、最後の記念撮影、卒業アルバムへの書き込みを終えた教室には自分以外誰もいない。特等席であった机から一番近い窓を開け放って、何気なく校庭を見下ろす。自分と同じように胸に桜のコサージュを飾り、卒業証書の入った筒を持った同級生たちが、角砂糖に群がる蟻のように密集している。

柔く吹き込む風は、まだ冬の名残を纏っていて少し肌寒い。そんな些細な温度は燻るわだかまりを刺激しないからこの季節は好きだった。半泣きで抱き合うクラスメイト達は、もう自分の隣にはいない。様々な感情の入り混じった何かを疑るような視線に遠巻きから晒されるよりはずっと楽で、こうやってにこにこの良い子ちゃん仮面を取り外すことができた。それを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、考えるのも面倒だった。


(…………こういうのを、感傷っていうのかな)


"意味もなく"とか"何気なく"なんて非合理的かつ無価値な枕詞だ。……今の自分にはそれがお似合いなのかも知れなかった。脇目もふらず、一心にヒーローとかいう虚構を追い求めて走り続けた私は、辿り着いた結果から見ても非合理的で無価値な存在だから。


(あーあ、ほんと馬鹿みたい。"学んだ全てを生かして?" 最大級のブーメランに大感謝ってやつかなぁ)


犬も食わぬ優等生様の最後の仕事は卒業式での答辞。それもついさっき終わった。大嫌いなネガティブと捻くれ全開の私だけど、もう曝け出してもいいよね。誰かに許可を求める風な口を利かないと自分の身の振りを決められないなんて、それこそ大馬鹿すぎて笑える。

ヒーロー科の卒業記念品は、卒業一か月前に取得したヒーロー免許のライセンスカードケースだと代々決まっていた。天下の雄英卒を誇示するみたいに大きく刻まれたUAのイニシャルが眩しい。苦労なく取得した免許証にお決まりの微笑を貼り付けた自分が憎たらしく映っている。……あの人も同じ記念品をもらったのかな、って頭を過ぎるのは憧れの人の知りもしない学生時代。カードケースを懐にしまって、黒一色の彼を探そうと身を乗り出した時だ。


「落ちたらどうするんだ、やめなさい」
「……相澤先生、受け身くらい取れますよ。なんなら空中散歩までお手の物ですから、私!」


 背中に投げ掛けられた、胸を蝕んで止まない低音にみょうじは振り返る。最後に一目逢えたらいいなって、式典中に盗み見ることも叶わなかった、なまえのヒーローがそこに立っていた。

卒業式というお祝いの式なのに、華やかさに欠ける紺色のネクタイを締めた相澤先生の姿は、カッコよさよりも違和感の方が強かった。ファーストコンタクトがあの草臥れたコスチュームとだらしがない長髪だったからだろうか。どんな姿であってもこの人は自分にとって唯一のヒーローだから、美醜など今更だ。髭を剃り落した相貌は精悍さに溢れていて、女性ファンが増えそう、だなんて下らぬ心配がちくりと胸を刺す。


「みょうじ、卒業おめでとう」


相も変わらず簡素な言葉にむず痒さを覚えて、お礼を言うのに時間が掛かった。曖昧な発音にならないようにゆっくりと言葉を紡いで、窓辺に腰掛けるのをやめる。三年間買い替えなかった制服のスカートは少し短くなっていて、風が吹き込むこの教室では裾を押さえる必要があった。右へお辞儀をしていたコサージュを整えて、それからきちんと相澤先生に向き合う。

普段から合理性を口にする彼が、この教室を訪ねた訳をみょうじが察しないわけがなかった。


「……いいんですよ、相澤先生。聞きたいことがあって私を探してくださったんでしょう?」


努めて優しい声色を紡ぎだす。皿を割ってしまったことを半べそかいて報告しに来た子供に、怒ってないから経緯を教えて、と膝をついて瞳を覗き込むような、そんな声だったらよかった。髪が結ばれていることによって晒されている三白眼が床へと視線を逃すのをみょうじは見逃さなかった。

この人なら、家に帰って制服を脱ぐまでは雄英生だって言いそう。だからその意を汲んで今だけは、あなた達が愛して下さった優等生でいましょうとも。清楚に可憐に美しく。優秀で完璧な、けれど無精卵だった金の卵に。

……本当は、違う。この人の前では高嶺の花でありたかった。土足で踏み荒らされて無残に花弁を散らした醜い姿を、彼だけには見られたくなかった。もう優等生ではいられないけど、道端の石ころ以下だと見捨てられるのだけは、他ならぬなまえ自身が耐えられなかったのだ。


「何でも、聞いてください」


馬鹿だなぁ、って思う。憧れの人に見限られたくないなら、敷かれたレールを盲信する良い子ちゃんでいればよかったのに。そうなれたら、多分、あらゆる事柄に私は苦しまずに済んだんだろうな。

 声が震えたりなんてしないように目いっぱいお腹に力を込めて息を吐く。真正面から視線はかち合っていないはずなのに、一挙一動を見逃されそうにはない緊張感をみょうじは感じていた。チンダル現象によって教室内を舞う埃が煌く。吹き込んだ風がそれらを攫って消えていく。


「なぜ、ヒーローにならなかったんだ」


あの夜と変わらない、良く通る淡々とした声。私を嫌いにならないで、って素直に言えたらよかった。……絶対に言わないけど。この人とは最後まで「教師と生徒」でありたかった。


「私には、ヒーローになる資格がないんです」


どうか、綺麗に笑えていますように。
例外なくこの人も見出してくれたであろう、うつくしさを纏って花としての一生を終えられますように。

不確定要素があんまりにも多すぎる、子供騙しにも等しい"お願い"に最後の最後で縋ってしまうなんて、ああ、私も所詮はどうしようもない"凡人"なのだと、今更ながらに気が付いてしまった。

……もう、なんだっていい。
今はただ上手に「さよなら」が言えていれば、それで満足だった。











「本日の演習はこれにて終了。今日の日直は……麗日と尾白か。物品倉庫の鍵の返却を頼んだ。他の生徒は着替えて教室で待機。以上だ」


 疲れたァ、だなんて情けない声を吐きながら演習場から立ち去っていく彼らは、珍しく相澤が除籍処分にしなかった生徒たちだ。彼らの側で息をするたびに、相澤はぼうっとあの子を思い出す。誰よりも眩い才を宿してこの世に生まれ落ち、自ら輝きを閉ざしていったみょうじなまえのことだ。


(……最高峰と名高いこの雄英でも、みょうじは本当に逸材だったんだな)


数多の生徒を見、そして容赦なく篩にかけていった相澤は記録の後処理をしながら天才の偉大さを噛み締める。みょうじの再来だと言わしめた有精卵は今のところ見つかっていない。それは他の教員も同意見らしく「豊作なんだけどなぁ」と語尾は結ばず、曖昧に誤魔化していた。

本当にみょうじなまえは、ヒーローになるべくして生まれた人間だったのだと、相澤は今でも思う。

 例えば、彼女同様にヒーローの家系でない生徒の中で似た素質を持つ生徒としては、爆豪勝己の名前が上がるだろう。確かに彼も稀有な才能の持ち主だ。好戦的な性格、鋭利な切れ味の戦闘力、臨機応変さに遺憾なく発揮される頭脳、何でもそつなくこなして見せる器用さ。そう言ったものは同学年の中でも頭一つ抜けているし、単体の能力で見れば他学年の生徒よりも勝る点があるかもしれない。ヒーロー家系出身の轟や飯田にも、既に実戦で通用する要素の一つくらいはあるだろう。

それでもみょうじと比較すればどうしたって見劣りする。彼女は人望が厚く、初対面の人間からも良く慕われたし、その個性だってフィールドを選ばなかった。

今見ている生徒たちは、彼女の宝石たる輝きを砕いて、それぞれに一つずつ受け渡したような子供達だ。天才と呼ぶには拙く、凡庸というには輝きを持つ、可能性を秘めた卵たち。

……もしかしたら、そちらの方が向いているのかもしれない。恵まれ過ぎたみょうじは相澤達にも理解できない"何か"を悟って憧れを追う自分に終止符を打ってしまった。自分は何も持ち合わせていないと目の前に立ちはだかる壁だけに一心になれる方が、ヒーローという職には適性があるのかも分からない。


(こいつらにとって、最も可能性のある未来を指し示してやる)


それが相澤の仕事だった。ヒーローに導くのだと断言しないのは、自らの輝きに蝕まれて歩みをとめた彼女を知っているから。この少年少女たちは、みょうじなまえという屍の上に立っている。生徒たちに降りかかる無理難題の連続は、教訓を胸に刻んだ教師陣の叱咤激励だ。

"ヒーローとは何を救うものなのか"
"ヒーローは何を善とするべきなのか"
"誰かを救うことの難しさを真に理解できるのか"
"血の滲む努力の先に、思い描いた未来の自分が本当に存在しているのか"
"――ヒーローに、失望しないでいられるか"

決まった答えなんてない、けれど容易に答えを出すことも出来ないそれらは容赦なく彼らに牙を剥く。それでも瞳に光を湛えてヒーローという道を目指すものだけが、夢を叶えるのに値する。

命を賭した毎日を過ごすためには"普通であること"を諦めなくてはいけない。多分、ヒーローという生き物は心根のどこかが既に麻痺してしまっているのだと思う。歪んでいるとは言わないけれど。その歪みを容認できない優しすぎる人間は別の道を歩む方がいい。

いつだって憧れと言う、曖昧なくせに鮮烈な感情は、簡単に人生の方向を決定付けようとする。


「ヒーローにはなれないかもしれない。けど、他にもこんな道がある。己をすり減らして憧れを追い求めることも否定しないが、別の選択肢だってあるんだよ」


憧れを断ち切ってやるのもまた、大人の役割だ。他の教師がどう思っているか分からない。ただ相澤は、第二のみょうじを生み出さないためにも、この信条を掲げ続けるだろう。


(……それが、お前への、せめてもの償いになるだろうか)


卒業式の後、いつもと変わらぬ静寂たる美を湛えていた彼女は相澤の追求を許さず、されど微笑み続けた。そんな彼女の特等席はあの、窓際の――。

 なぁ、と見上げた教室の角。揺れる亜麻色の髪が見えた、ような気がした。


writer is 嗄声