「ひざしくん、お腹空いてない?」
赤、白、薄桃、黄、銀、緑。
極彩色が視界を構成する。きらきら光る色とりどりの艶やかな絨毯。甘酸っぱさを纏って透き通るほど煌めき。口に入れればふわりと香るツンとした新雪のような爽やかさ。
どれもこれも実際に食べていないというのに、それぞれの味が勝手に脳内で再生されてしまう。なんて暴力だろうか。口の中でとろける脂も、ふうわりと香る芳醇な海の香りも。もちろん、そんな記憶の連鎖に抗うこともできず、私の頭の中はすっかりそれらで支配されていた。
『ご覧ください、このボリューム! こちらの漁港では取れたての海鮮を職人が握って―――』
お昼のワイドショーでリポーターが満面の笑みでレポートをする。いいな、このリポーターは食べたんだろうか。こんなにきらきら輝く海のいのちを詰め込んだ一皿を。これが仕事だと言うのだからなんとも羨ましい。裏では色々あるのかもしれないけど。
きゅう、と胃が小さく悲鳴をあげた。
「いいなあ、お寿司」
ぽつり、と呟いた言葉はリビングにころり、と転がった。ふんふん聞こえる鼻歌が一瞬だけ止まってまた開始された。餃子で有名な中華屋さんのCMソングに変わってる。
ああ、やっぱいいな、お寿司。私も気付けば回転寿司のCMソングが口をついた。かっぱのマークいいよね。なんかお寿司食べたくなってきたなあ。
お寿司、食べたいなあ。
「……ねえ、ひざしくん、お腹空いてない?」
そう言うとひざしくんが数拍おいてからくるりとこっちを向いた。手に持っている白いそれはもちもちとお餅のようにふっくらとしている。なんだか全部美味しそうに見える。
「名前ちゃんよ、今ひざしくんギョーザの下拵えしてんだけど」
「うん、知ってる。すごく美味しそう」
こくり、と頷く。ひざしくんが作った餃子は私の大好物だ。お店で食べる餃子なんかより全然美味しくてやみつきになる。ハイボールと餃子でぐいっとやりたいね。
打ち粉まみれの手で頬を拭ったひざしくんは、私の感想を聞くととても誇らしそうに胸を張った。
「だろ?ニンニク抜きのスタンダードなヤツと、チーズ入ったとろけるヤツ、そんで名前ちゃんの好きなエビ入り餃子。全部羽根付きで作んだよ」
「すごいね、ひざしくん。シェフになれるよ」
「もう名前専属のシェフになっちまってるよ、俺は」
パリパリになった皮。噛めば口の中に溢れる肉汁。豚肉の旨味とアクセントのしょうがが喉を潤す。美味しさをぎゅっと詰め込んだそれはバリエーションにも富んでいるらしい。濃厚なチーズとぷりぷりのエビもあるというのだから、どこまでも至れり尽くせりだ。どこまでも私の好みを抑えている。
でも、私の口、もうお寿司になっちゃったんだよね。
餃子も好きだけど。今はあのサーモンの脂を体が欲している。鯛の淡泊だけど香る上品さとか、エビの甘味とほんのり香る海の香りとか。ああ、蟹とか頭の粗汁とかあったらきっと注文しちゃうな。魚介ベースの塩ラーメンとかも絶対美味しい。食べすぎちゃったらどうしよう。
HAHAと笑ったひざしくんが手を拭きながら、ソファでクッションを抱き締めている私の元までやって来た。テレビに視線を向けると、ひざしくんはちょっと困ったように目尻を下げた。私の好きな表情のひとつ。
「ね、ひざしくん、お寿司嫌い?」
「嫌いじゃねえけどよ、あんな、」
「ねえ、お寿司……」
食べたいなあ。
ぎゅう、とクッションに力を込めてすぐ側まで来ていたひざしくんを見上げる。ついでに視線にそんな意味を乗せて送れば、片手で顔を覆った。おっきい手だなあ。
それよりもね、ねえ、ひざしくんは美味しそうな焙られた香ばしいとろサーモンもぷちぷち跳ねるいくらも食べたくないの?本当に?こんな美味しそうなのに?
そう視線で訴えれば、ひざしくんが口をもにょもにょさせているのが目に入った。あれは悩んでるときのひざしくんのくせだ。可愛いなあ。
そう思いながらじっと見つめ続ければ、ひざしくんがはあ、と大きくため息をついた。
「………………あーあ、なんか俺も寿司食いたくなって来たわ」
「へへ、だよね」
さすが、ひざしくん。よく分かってる。へへと笑えばぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。大きな掌でくしゃくしゃにされるのが好きで、つい猫が甘えるみたいにその手に頭を押し付けた。いつの間にか頭を撫でていた手が滑って、頬をむにむにと触ってくる。
「やめふぇ、くすぐったいよ、ひざしくん」
「しゃーねえ、餃子は冷凍すっからよ。行きたい寿司屋決めといてくれよ」
「回らないとこでもいいの?」
ほどほどにな、と最後に優しく頭に手を置かれて、くしゃくしゃになった髪を梳かれる。自分でやったのに変なの。やった、お寿司だ。どこに行こうかな。いそいそとスマホを弄ると
「デートだろ、おめかししてくれよ」
「えー、めんどいよ」
「気の抜けた名前を見んの俺だけでいーんだよ。だからメイクしてくれって、な?」
頼む、とお願いされて渋々メイク道具を取り出す。しょうがないなあ、とぶつぶつ言えば背後からふんふんと楽しそうな歌声が聞こえてきた。うーんどうせパパラッチ対策でマスクしちゃうし、簡単にベースと目だけやればいっか。わかんないでしょ。
この間ひざしくんからプレゼントされたブランドのマスカラ。ヒーローのウワバミが宣伝してたんだっけ。それで手に入りにくくなっちゃって、ひざしくんが探して買って来てくれたんだよね。思わず嬉しくて抱きついちゃった。
ひざしくんはとても優しい。本当にひざしくんが居なければ私はだめになっちゃうんじゃないか、っていうくらい。そんな優しさに甘えている私はきっといつか相澤君に怒られちゃうんだろうな。でも知ってるんだから、相澤くんが彼女にぞっこんなの。
たぶん世間から見たらダメ彼女とかクズ彼女ってやつなんだろうけど。ひざしくんも幸せそうだし、私も幸せだし。私たちがいいなら十分だよね。でも与えてもらってばっかりじゃ愛想尽かされちゃう。それは寂しいからやだな。
「まったく、しょうがないなあ」
そう呟いてグロスを唇に乗せた。
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