「ひざしくん、洗濯終わってるよ」


ピー、と気の抜けた音が洗面所から聞こえた。どうやら洗濯が終わったらしい。だけど、テレビにかき消されながらも響いてきたその音はきっと今、ヘッドフォンをして音楽を聞きながら仕事をしているひざしくんには聞こえていないはず。

とんとん、と背中を叩くと去年の誕生日にプレゼントしたごついヘッドフォンを外しながら振り向いた。不思議そうな顔をしたひざしくんに、洗面所を指さす。

「ひざしくん、洗濯終わってるよ」

早く干さないと洋服しわくちゃになっちゃうよ。そんな意味合いを込めてひざしくんを見れば、すぐにスマホを弄って音楽を止めた。そのまま大事そうにヘッドフォンをいつもの場所に戻す。

「教えてくれてありがとな、名前」
「んーん、どういたしまして」

ぐりぐりと猫を撫でるみたいに私の頭をひと撫でしたひざしくんは洗面所に消えていった。そのうち2人分の洗濯物をカゴに詰めたひざしくんが戻ってきて、そのままピンチハンガーに洋服を付け始める。

ハサミに挟むときにはちゃんと皺を伸ばしていて、ひとり暮らしの長さが垣間見える。一つひとつ綺麗に伸びていく皺と私の洋服に優しく触れる手付きを見て、なぜだか心臓が音を立てた。うっ、ひざしくんのくせに。

「名前の下着そろそろ変えた方がいいんじゃねえの」
「なにまじまじと見てるの?えっちだよ、ひざしくん」
「男なんてのはみんなそんなモンよ」

次は黒にしようぜ、なんてエロオヤジみたいなことを言い始めたひざしくんにえっち、と言葉を投げれば楽しそうに笑みを深める。うへえ、と舌を出して顔をしかめれば、とうとう声に出して笑い始めた。なにがそんなに楽しいんだか。

そんな邪な人に私の下着は渡せません、と取り上げようとすれば思いのほかあっさりと渡される下着。濡れたまま持っててもどうしようもないんだけど。どうせ干すんだしひざしくん干しておいて、と渡そうとしたらふわりと爽やかな香りが鼻をくすぐった。

シトラスと混ざり合ったよくわからない人工的に作られた爽やかさ。あんまり好きじゃないんだけどなあ、これ。そう思いながら目の前でふんふん鼻歌を歌うひざしくんを見上げる。

「……ひざしくん、またこの柔軟剤なの?」
「んー?おお、いいだろ」

どこか誇らしげなひざしくんと正反対に唇を尖らせるとひざしくんは不満そうだなァ、と意地悪気に笑った。手に持っていた洗濯物を一度籠に置いて、そのまま私のほっぺをぷにぷに突き始めた。

お願いがあるときとか、甘えたいときひざしくんはこうして私のほっぺを堪能する。つまり、ひざしくんには柔軟剤を変える気はないということだ。しかし私にも譲れない理由があるので、ただいまを以て戦闘開始です。

「もっと可愛い匂いのやつにしようよ」
「あんな、俺みたいな図体のデカイ男がフローラルになってどうすんのよ」
「えー、きっとあるよ、需要」

きっとファンにはあるんじゃないかな。ひざしくんは世間では人気ヒーローのひとりだし、知名度は高いし。それにね、女子はギャップが好きだから、天下のプレゼント・マイクから可愛い香りするっていったらやばいよ。
きっと大爆殺神ダイナマイトばりに人気出ること間違いないよ。スキャンダルすら情報の暴力で何事もなく封じ込めたあのダイナマイトばりに!
今の時代、女子とオタクを味方に付けた方が勝つんだよ?特にひざしくんはフリーなんだからセルフマーケティングはとっても大事なのに。

「だから柔軟剤変えよ?絶対そっちの方が人気出るよ、特に女子に。女の子はギャップが好きなん」
「名前」
「え、なに」

ひざしくんが遮るように話の途中で名前を呼んだ。いつもは私が喋るのを最後まで聞いてくれるのに。なんだか珍しくて思わず、ひざしくんを見上げた。高い位置から私を見下ろしていたひざしくんは、私が思っていたよりも真剣な目をしていて、少しだけ心臓が大きく音を立てた。

そのままひざしくんの真剣な顔が近づいてくる。オフィシャルの時と違って、サングラスに隠されていない瞳が視界を蝕んでいく。やがて、こつん、とくっついた額からじんわりと熱が共有された。視界が全部碧で埋め尽くされた。私の好きな、色。

「俺と一緒の匂いじゃ、嫌か?」

息が止まるかと思った。

「……、ねえ、その聞き方って、ずるくない?」
「はは、わざとやってんだよ」

なんとか絞り出した私の声を聞いて、ひざしくんの碧い瞳が弓なりに歪む。チェシャ猫みたいに満足そうに笑う顔はさっきまでの真剣さをどこかに置いて来てしまったようだった。あっさりと消え失せた雰囲気に思わずむう、と唇を尖らせた。

「してやられた。むかつく」

……でも、ひざしくんに免じて、しばらくはこの匂いで許してあげるよ。

そう言うとひざしくんはほろり、と花が綻ぶように笑った。今日はなんだか色んな表情のひざしくんが見れる。嬉しいな、と思う私を置いて、ひざしくんは再び洗濯物を干す仕事に戻ってしまった。ふんふんと上機嫌に鼻歌まで聞こえてくる。

私もさっきまで見ていたドラマの続きを再生しようとソファに腰を降ろした。どこまで見たんだっけ。そう思いながら膝を抱え込んでクッションに顔を埋めると、さっきまで嗅いでいたシトラスの香りが肺に充満した。また少しだけ呼吸が止まって、補うように深く息を吸う。

ひざしくんは知らないだろうけど、私はこの香りを嗅ぐと、どうにも息を深くしてしまう癖がある。肺に満ちるこの香りが、どうしてもひざしくんを連れてくるのだ。そしてその度に、逞しい腕に包まれる安心感や私だけが聞ける静かな声を思い出す。ひざしくんがいないときには猶更。

服を着るだけでひざしくんに包まれてるみたいと思ってしまって、その度に緩む口元を抑えるの大変なんだよ。そんなこと、絶対に言ってあげないけどね。



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