一線を保つ



『みょうじ』

プレートの名前を確かめノックする。返事はない。眠っているのか、倒れているのか。心配ではあるものの、確証がない以上勝手に入ることはどうしても憚られる。

ざわざわ湧き立つ不安を無理やり嚥下しながら待つこと数分。やっぱり押し入った方がいいか悶々とし始めた頃、扉の向こうで音がした。次いで聞こえた軽い衝撃音。「痛った!」と短くあがった声は聞き慣れたものだった。


「……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」


ゆっくり開いた扉から俯きがちに姿を見せたみょうじさんは「すみません」と、腰を押さえながら苦笑した。どこかへぶつけたのだろう。視線をずらしたすぐ後ろには、丁度同じような高さの棚が並んでいる。

まあ、思ったより元気そうで良かった。そう安堵の息を吐きつつ胸を撫でおろしたのも束の間。


「あの、色々恥ずかしいので、あんまり見ないでください……」


彼女以外何もいなくなった視界の中、珍しく乱れ気味の黒髪がさらりと垂れる。顔を伏せた代わりに覗く耳が赤い。冗談や照れ隠しではなく、言葉通り本気で恥じらってんのかって理解した瞬間――どくん。心音が大きく唸った。

たぶん一瞬気を抜いてしまったのがいけなかった。安心したのがダメだった。たった一瞬、されど一瞬。隙間から溢れ出た、到底抑えきれそうもない情動。意思に反して伸びた手。触れた彼女の首が細い。けれどおよそ人肌どころではない体温の高さが、薄れかけていた理性をぐんと引き戻した。


「すみません、お邪魔します」
「え……、っ!?」


袋の持ち手を腕へ通し、扉を足で支えながら華奢な体躯を抱き上げる。途端に頬まで真っ赤に茹で上がったみょうじさんはベッドにおろされるや否や、もそもそ掛け布団に潜っていった。どうやらよほど恥ずかしかったと見える。別に部屋着だろうと化粧っ気がなかろうと何も気にはしないが、そういう問題でもないらしい。

謝罪を紡ぐ声は今にも消え入りそうで、しかし彼女のためだと芽吹いた申し訳なさを払う。ひと先ず熱を測らせれば案の定微熱すらもを大きく上回る数字が表示され、思わず溜息が洩れた。


「す、すみません」
「いえ、別に怒っているわけではないので……とりあえず顔だけでも出してくれませんか」
「……」
「みょうじさん」
「……」
「恥ずかしがってる場合ですか」
「ぅ……」


漸くおずおず布団から出てきた目元は、少し赤い。掬い取った丸メガネを脇へ置き、前髪をよけた額へ冷えピタを貼りつける。僅かに強ばった体は、小さな子どもを扱うように頭を撫でてやるとゆっくりシーツへ沈んでいった。

普段と違って上気した肌。形のいい瞳が更に大きく見え、度が入ったレンズを通していないからかと遅れて気づく。何を隔てることもなく初めて目にする素顔。いつも以上の愛らしさを秘めているそれは、相も変わらず綺麗な人だと、俺の視線を容易くさらう。