まだ、もう少し



熱が上がるといけないから。

半分照れ隠しに睡眠を促せば薄い瞼が大人しくおりた。「帰る時は起こしてくださいね」って言葉に二つ返事で頷き、指通りのいい髪をゆっくり梳いてやる。そうして静かな寝息が聞こえてきた頃、起こしてしまわないようにそうっと手を離し、やはり音が鳴らないよう気をつけながらビニール袋を開いた。

料理なんて何年ぶりか。パッケージの裏面にある卵粥の作り方を読みつつ、心の中で断ってからキッチンを借りる。室内同様、綺麗に片付けられたシンク。脇には見覚えのあるタッパーが並んでいて、自然と笑みが洩れる。別に誰が見ているわけでもないってのに、妙な気恥ずかしさが浮かんでは消えた。




腹が減ったのか、それとも幾分か元気になったのか。暫く経ってから、彼女は起こすまでもなく目を覚ました。俺を呼ぶ声はもう上擦っておらず、触れた首筋から伝わる温度も顔色も随分戻っているように思える。熱を測らせれば、薬が効いているのだろう。彼女いわく平熱まで下がっているようだ。


「消太さんのおかげですね」
「そんなことありませんよ」


スポーツ飲料のペットボトルを取り出す。キャップを緩めてから差し出せば、受け取った彼女はすぐに気付いて、それから嬉しそうに「有難うございます」と笑った。心なしか照れくさそうに見えるのは俺の匙加減か。なんとなく。本当になんとなく目が合わせづらくて落ち着かない。

僅かに動いた白く細い喉を視界から外す。


「ずっと居てくださったんですね」
「ええ、まあ。良く寝れましたか」
「はい。とっても」
「そうですか。なら良かった」


安堵しながら鍋の中に卵粥があること、食べたら薬を飲むこと、体調が優れないようなら明日も休むこと、キッチンを無断で借りたことをぽつぽつ話す。「謝るのは無しですからね」と先回りされてしまったので、謝罪は呑み込んだ。どうして分かったのか。なぜ伝わったのか。

俺を見下ろす澄んだ瞳が、ゆったり微笑む。

まるで愛おしいものでも映すかのような優しい眼差し。どうしていいか分からないまま、ただ胸の内がむず痒い。落ち着かせるために深く酸素を吸い込む。じゃあそろそろ。簡単なはずの一言が、なかなか言えない。


そんな俺を見透かしたのか、はたまた似たような感覚だったのか。みょうじさんは「あの、もう少しだけ居てもらってもいいですか?お話もしたいし、その前にシャワー行きたくて……」と、尻窄みにぽそぽそ呟きながら眉を下げた。申し訳なさそうな半面、潤む双眼がなんともいじらしい。時折逸れる視線の先にあるのは、おそらく時計。まあまだ18時くらいのモンだろう。


「構いませんよ。今日は帰って寝るだけなので、ゆっくり入ってきてください」


心地のいい声で紡がれる、今まで何度聞いたか分からないお礼が喉を伝う。「早く済ませてきます」と立ち上がった彼女の周りには、ふわふわ華が飛んで見えた。