理由はさがさない



「せっかくなので一緒に食べませんか」


そう声をかければ、悩む素振りもなく頷いてくれたみょうじさんに鼓動が鳴った。

夜も遅い中、なんて誘いを申し出てしまったのか。自責の念に駆られながら苦笑する。こんなにも自分本位に口が滑るのは初めてだった。連日の要請続きで眠気が酷い時でさえ多少耐えられるところ、彼女のこととなると、考えるより先に喉が開く。

そんな俺の心中など知る由もないだろう双眼が、ゆるり。すぐそこ、視界の真ん中で弛んだ。


「難しい顔になってますよ」
「……そんなことないですよ」
「ならいいんですけど。……私と違ってたくさん抱えておられるでしょうから、少し心配です」


静謐を纏う手が、そっと頬に触れる。皮膚を滑るなめらかな爪先。ひんやり沁み入る体温が心地よく、どうしたって自然体を保つ安寧が疲弊しきった神経を宥める。


「ガス抜きは結構してますよ」
「本当ですか?いつも一生懸命に見えますけど」


弱ったな。その口角がくすりと笑みを象る度、ほんの僅かに波打つ外気でさえ愛おしく思う。こんな夜更けだからか、いつも以上に疲れているからか、薄々気付いていたこの想いをとうとうありあり自覚してしまったからか。


華奢な手に手を重ねる。一回りほど小さな、簡単に覆ってしまえる甲。薄い皮膚越し、少し力めば折れるだろうやわい骨の出っ張りが手のひらに伝わる。

もう少しだけを願ってしまうことさえ、きっとどこまでも優しいこの人は二つ返事で許してくれるのだろう。その透明な優しさが俺だけのものであればいい、なんて戯言は腹の底へ押し込んだ。執着とはかけ離れているはずの俺が、まさか独占欲とは笑ってしまう。


「大丈夫です。こうしてみょうじさんが気遣ってくださるので」


立場も建前も何もかも、いっそ全部放って縋ってしまいたい情動に無理やり蓋をしながら選んだ言葉は、けれど間違っていなかったらしい。いつも通り微笑んだ彼女は「お力になれていて良かったです」と、どこか照れくさそうにメガネの縁を指の背で押し上げた。


どちらからともなく引っ込めた手で、互いにクッキーをつまむ。好みを配慮してくれたのか。舌の上で品良く広がる甘さは控えめで、つい彼女の淹れた紅茶が恋しくなる。きっと頼めば用意してくれるだろう。まあでも、これ以上引き止めてしまうのはさすがに宜しくない。大人しく諦め、中断していた書類へ向き直る。

先に帰ってくれて良かったのに、むしろそうあって欲しかったのに、みょうじさんは何も言わないまま、ただ黙って隣に居てくれた。