夢は見ない



「へいへいイレイザー!最近どうよ?彼女との逢瀬は」


コーヒーを買いに職員室から出た途端、待ってましたと言わんばかりに飛んできたのは心の底からお帰り願いたいプレゼントマイクだった。相変わらず鬱陶しい絡み方だ。学生の頃から一緒とはいえ、そう慣れるモンじゃない。


「別に」
「そんなこたねえだろー!ほぼ毎日通ってんじゃねえのか?まあ昨日は残業してたみてえだけどな!お疲れさん!」
「重い。離れろ」


肩に腕を回すな。いくつだお前は。

成人男性0.5人分の重量に背を丸めつつ、ポケットから出した小銭を自販機へ投入する。ブラックを探しながら、思い返すのは昨晩のこと。

まさか名前を呼び返されるとは思ってもみなかった。どれだけ記憶を遡ったところで名乗った覚えはなく、きっと図書貸出の際に使用する名簿で知ったのだろう。別に構いやしないが、それにしてもあのタイミングはなかなか心臓に宜しくない。少なくとも、ちゃんと寮まで送り届けた自分を自分で褒めてやったくらいには動揺してしまった。まあ、最後の最後までふわふわしていた彼女は、どうせ覚えていないだろうが。


ガコン。吐き出された缶コーヒーを取って、プルタブをあける。


「もう告白したのか?」
「いや」
「はあ?好きなんだろ?」
「……まあ」
「おいおい、大事にすんのはいいけどよ、あんまのんびりしてると誰かに盗られちまうぜ」
「人気なのか?」
「そりゃそうだろ!可愛くてふわっふわだしな!」
「……そうか」


昔からこいつの言うことは当てにならないが、まあ思い当たる節がないわけでもない。多くを語らずとも察し、献身的で癒しを与えてくれるような女性だ。大多数の男の理想が詰まっているといっても過言ではない。

寒空の下、ホットコーヒーを飲みながら思考を巡らせる。ほろ苦さと共に広がっていくのは、一緒に過ごした時間分の想い。


誰に対しても優しく柔和であるように、少なからず、俺に対しても好意的ではあると思う。でなければ夜遅くに手作りクッキーを持って職員室になど来ないだろうし、あんな風に笑わない。今までたくさんの生徒を見てきたおかげで、嘘をついているかどうかくらいは分かるつもりだった。でももし、それが彼女にとっての普通であったなら。俺に対する優しさが、その他大勢へ向けられるそれと同じであったなら、じゃあどうだろう。仮に俺だけが特別で、この恋情が通じたとして、果たして彼女を幸せに出来るだろうか。

プロと教師を兼任している以上、世間一般でいう恋人同士の時間を長くはとってやれない。常に危険が付き纏い、死と隣り合わせ。親しくなればなるほど余計な心配をかけることも増える。俺と一緒に居るメリットなど、はっきり言って微塵もない。それなら彼女を幸せに出来る誰かの方が、よっぽどいいんじゃないだろうか。

歳は知らないが、俺よりは若いはずだった。きっと出会いなどいくらでもある。


「こんなおっさんより、若い奴のがいいだろ」
「ええええ、それマジで言ってんの!?」
「ああ」
「どんだけ草食なんだよ……。お前ほんっとにそれでいいのか?」
「いいも何も、彼女のためだ。俺といるメリットがねえ」
「そこはこう、幸せにしてやろう!とか思わねえわけ?」
「現状出来ねえことをしようとは思わんな」
「はあ〜〜…お前ってほんと、現実的っつーか何つーか……」


面白いネタがなくなったからか、あからさまに項垂れたマイクの背中を適当に叩いて慰めてやる。こうでもしておかなければ後々面倒くさいことは目に見えていた。


「せっかく浮いた話がひとっっっつもねえお前にも、春が来たと思ったのによ……」
「そりゃ残念だったな」
「なあ、仮によ?お前からは言わねえにしてもさ。彼女から言ってきたらどうすんだ?」


本当に昔から、こいつの口は良く回る。なかば呆れながら、空になったスチール缶をゴミ箱へ投げ入れる。

ゼロに等しい可能性を考えるのは、仕事でない限り好きではない。というより無駄だ。それでも敢えて言葉にするなら"拒否する理由はない"くらいの漠然としたものだった。


マイクは不満そうに文句を垂れたが知ったことではない。俺の心配をするより先に、少しは自分の心配をしたらどうだ。皮肉混じりにそう言ってやれば「相変わらず可愛くねえー!」と騒ぎ出した。うるせえ。