あの男達が言っていた日がついにやって来てしまった。
 真砂屋という、金物屋にサヨは八時に連れて行かれる。

 ヒイラギはあれからいつも通りサヨに接していた。

 そのためサヨは男達の言っていた言葉はもしかしたら嘘だったのかもしれないと都合よく思いそうになったが、時折サヨをじっと見つめる彼女の様子からやはり本当なのだろうと悲しくなった。

 日はとっぷりと沈み、時計の針は六時をさしていた。窓の外を見れば空は既に暗く月が出ている。十月だからか最近は日の沈みも早い。

 夕食の準備も終えて、サヨは使用人用の部屋でぼんやりとしていた。簡易ベッドの上で膝を抱えて、じっと考え込む。

(………私、何でタイムスリップしちゃったんだろう)

 平成の世でごく普通に生きていたはずが、突然昭和時代にタイムスリップして複雑な出自を抱える少女の体に成り代わってしまった。

 そんな過去を頭の中で思い返しながら、サヨは今日までのことをゆっくりと振り返る。

 憲兵に保護され、そこからヒイラギに雇われて、少しずつこの時代に慣れてきた。
 最初の頃は本当に辛くて大変だったものの、サヨはここまで何とかやれて来れたのだ。

 それもこれも、昭和時代に馴染む中で出会った吉木のような親切な街の人やヒイラギのおかげで、サヨは絶望することなく今まで生きてこれた。

(…………ずっと、慣れるまで辛かったなあ)

 それでもやはり彼や彼女らがいたから、サヨはたくさんの場面で救われてきたのだ。

 その時、屋敷の一階からサヨを呼ぶヒイラギの声が聞こえた。

 

◆◇◆

 

 下の階に降りれば居間のソファで寛いでいるヒイラギがいた。

 今から夕食を食べて屋敷を出れば、ちょうど待ち合わせの八時に例の店『真砂屋』に着く。

 ヒイラギはどのようにして、財閥の者のもとへサヨを連れて行くのだろうかと思った。

 変に緊張してしまい自然と肩に力を入れてしまったが、サヨの中には当初ヒイラギに抱いていた絶望感はもうなかった。

 今の時点でサヨは諦めに近い、ある程度の覚悟は出来ていたのだ。

 するとヒイラギはそんなサヨを知ってか知らずか明るい声で言い放った。

「サヨちゃん、明日どこか出かけましょうよ」

 そんな彼女の言葉にサヨは一瞬きょとんとする。
 自分の想定していなかった内容にサヨはとっさに反応しきれなかった。

「明日、ですか?」
「えぇ、明日は稽古も休みなの。新しい服を買いに行くつもりだから付き合ってよ。それから餡蜜でも食べに行きましょう」

 そう、何とでもないような顔をして言うヒイラギにサヨは立ち尽くしてしまった。
 頭の中が先程からぐるぐると混乱している。

(あれ、今日じゃなかったんだっけ。でも、あの男の人達は確かに今日私を真砂屋に連れてくって言ってた。ヒイラギさんにも伝えたって言ってた。なのに、何で)

 するとヒイラギが「楽しみねえ」とサヨに言う。

 それをあまりにも彼女が優しげに言うものだから、サヨは言葉を失ってしまった。

「だから今日は早く寝なさいね」

 そしてヒイラギがサヨの瞳をじっと見つめる。
 サヨの様子を伺うようなその表情に、彼女ははっとヒイラギの真意に気がついた。

 同時に男達の会話していた内容がかすかに蘇る。

 ───ヒイラギが連れてくるとは限らないだろう。

 ───念のためじゃないか?よく知らんが。

 ヒイラギは自分を、財閥の者のもとに連れて行かないつもりなのかもしれない。
 その時、サヨの胸にじわりと熱い何かがこみ上げた。

「分かりました」

 そしてサヨがうつむきながらも、いつも通りの声音で彼女に言った。

 それから少しだけ息を吸って、彼女は意を決したようにヒイラギの名を呼んだ。

「あの、ヒイラギさん」

 すると彼女が「なに?」とサヨを見る。
 そんなヒイラギの顔を見て、彼女は口を開いたまま固まってしまった。

 しかしサヨは口に吐きかけた言葉を飲み込み、笑った。

「…………すみません。何を言おうか忘れました」
「私もそういうの、よくあるわ」

 ヒイラギも困ったように笑った。

 

◆◇◆

 

 ヒイラギが夕食をとり終わり、時計の針は七時半を指していた。

 サヨはヒイラギが自室へ入っていったのを見計らいこっそりと屋敷の玄関で靴を履きかえ、戸を静かに開ける。

 そしてそろりそろりと音をたてないように戸を閉めて屋敷から出た。

「はあ………」

(良かった。無事でれた)

 ふと屋敷を見れば、外に出たサヨに気付いた様子はなく静かだった。

 食後にヒイラギは自室にこもって舞台の台本や雑誌を読みふける習慣がある。おそらく彼女は今頃集中しているため外の様子に気付いていないだろう。

 それにほっとして、サヨは歩き始め敷地内を出た。

(これで、多分いいんだと思う)

 サヨは昨日今日とで散々考えた結果、真砂屋に行くことを決めていた。
 そしてヒイラギがサヨを連れて行かないと知った時、それを決定的なものにした。

 この財閥の一件でサヨはヒイラギを巻き込んでしまったのだ。
 もしヒイラギがサヨを連れていかないとすれば、どんな形であれその報復が彼女に向かってしまうかもしれない。

 それにまたここで話をつけなければ、また財閥の何者かが思い出したかのようにヒイラギに関わろうとするかもしれないのだ。

(ヒイラギさんにはこれ以上迷惑かけたくない。でもやっぱり怖いなあ………)

 サヨは鬱々とそんなことを考えながら夜の道を歩いていく。

 真砂屋という金物屋は商店街を出て、しばらく歩いた先にある家々の間にぽつりと建っている。

 十月の肌寒い風に吹かれながら、サヨは八時には間に合わないかもしれないと思いわずかに足を早めた。

 そんな中でサヨは地面を見つめながらぼんやりと考え込む。

(多分、あの男の人達の話からすると、一族全員が絡んでいる話じゃない)

 サヨの中では自分を欲している者が財閥ではなく、財閥の次男坊個人だということを何となく確信していた。

 あの尾行をしていた男達の口振りからもそれを察したが、サヨはしばらくしてから『浮島』という男を思い出したのだ。

 浮島とは、おそらく屋敷でもこの体の少女を気にかけていた人物だ。あの上等そうなスーツから財閥一族の屋敷でも人をまとめる立場の使用人なのだろう。

 もしあの一族でサヨを引き取るとなった時、浮島はサヨと接触したあの時点で何か教えてくれるはずだ。
 それもなかったということは、この一件は彼らの総意ではなく、次男坊個人による問題なのかもしれないとサヨは感じていた。

 だからこそ余計に、目的が分からない。

 そしてサヨは一昨日からずっと違和感を感じていたことがあった。

 それはあの尾行をしていた男達のことだ。

 冷静に考えてみれば、男達は本当は、サヨのことに気付いてあの場で例の会話をしたのではないだろうか。
 尾行をしていたのにも関わらず、あんな大通りに面した路地であのような会話をするものかと違和感が残る。

(でも、何であの会話を私に聞かせたんだろう)

 しかしそう断定をして考えた時、彼らがサヨ自身にあの会話を聞かせる理由が分からない。

 もしかしたらあの会話を聞いたことによって、サヨがヒイラギの屋敷から逃げ出してしまう可能性だってあるのだ。

 それにも関わらず『八時に真砂屋』と話をしたということはおかしい。

(でも、もしあの男達もヒイラギさんのことを信用していなかったら?)

 ヒイラギが真砂屋にサヨを連れて行こうとはせず、あの会話を聞いたことによってサヨが一人で真砂屋に来るとを予期してわざと言ったのだとすれば。

(…………そんなことってあり得るのかな)

 人として、そこまで予測できるものなのだろうか。

(全部、私の予想だし、気のせいかもしれない。でも………)

 その時不意に、サヨは『あの男』を思い出した。気にかかることと言えばまだあった。

 サヨが路地裏からふらふらと出た瞬間、ぶつかってしまったあの美しい青年のことだ。
 あの時は動揺していて考えることが出来なかったのだが、サヨはあの青年と昔どこかで出会ったような気がしていた。

 そしてそれを言うならば、『浮島』にだってそのような印象を抱いた。

 最近、彼女の周りでそういった既視感をよく感じる。
 サヨは元々勘の鋭い方であり、よく当たる方なのだが今回はどうしても嫌な予感がした。
 それはエドワードの一件でも感じたあの感覚と同じものだった。

 

◆◇◆

 

 もうすぐで真砂屋にたどり着く。

 サヨの目の前にある建物の角を曲がってすぐのところに、ポツンと古びた平屋が建っており、そこが街の金物屋『真砂屋』であった。

 この角を曲がれば、すぐに目的の場所へ着くのだが、サヨは途端に緊張して立ち尽くしてしまう。

 さっきから嫌な予感がして仕方がないのだ。

 足元に転がる小石をじっと見つめて呆然とうつむいていると、すぐ近くで足音がした。

 サヨがその足音に気がついて顔を上げたのと同時に、目の前の角からぬっと誰かが現れた。

「やっぱりここにいた。久しぶりだな。サヨ」

 サヨは驚いて突然現れた人物を、目を丸くさせながら凝視した。

 年齢は三十代半ばだろうか。黒いスーツに気の強そうな目をした男は、サヨを見下ろしながら笑みを浮かべた。

 しかし目は決して笑っておらず、どろりとした真っ黒な瞳に怯えた様子のサヨが映る。

「あの反射鏡から、君がここにいるのが見えてね。いつまでも来ないからこっちから来ちゃったよ」

 そう言って男は道路の隅にポツンと立っているミラーに目をやる。確かにミラーには建物の角で立ち尽くすサヨの姿がはっきりと見えた。

 彼女はまじまじと目の前の彼を見つめた。

 この男がサヨを待っていた財閥の者なのだろうか。

「そうだ。ヒイラギは?」

 その言葉にサヨはようやく口を開いた。

「ヒイラギさんは、来ていません。私一人で来ました。ヒイラギさんは関係ないと思ったので」
「それもそうだな。ここで話すのもあれだし、とりあえず中へ入ろうか」

 そして彼はサヨの肩に手をやり、真砂屋へ連れて行こうとする。その力が思った以上に強く、サヨはよろけそうになった。

 その様子に男は苦笑する。

「あぁ、悪いね。力加減が上手くできなくて」

 先程と打って変わって冷たくて低い声音だった。それにサヨはぞっとし顔を青ざめさせる。

「さあ、来るんだ」

 男の瞳にはじわりとサヨへの怒りが滲んでいた。

 



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