タイムスリップしてから早何年。
一通り屋敷の家事も終わりサヨはほっと一息ついた。
まだ昼間なためヒイラギは稽古に行っていてここにはいない。
居間にあるソファに座りぼんやりとすると、彼女はふつふつとこの時代にやってきたことを思い出した。
(あの時は大変だったなあ。どうしたら分かんなくてふらふらしてたら兵隊の人に連れてかれて、色々言われちゃうし。それで何にも答えられなかったら、愛人の娘だとかで納得されちゃうし)
不思議なことに平成にいた時のサヨとこの体の持ち主の顔も名前も年齢も、全く同じだったのだ。
そのため最初は夢でも見ているのかと思ったが、時間が経つにつれてタイムスリップをし、違う人間の体に成り代わってしまったことを後々はっきりと理解した。
そしてこの体の持ち主がどういった人間なのか分かったのは、サヨが憲兵に保護されて半年後のことだった。
(財閥会長の愛人の娘で、酷い扱いを受けて、家を飛び出した可哀想な女の子……)
精神科の医師が極めて気を使いながら打ち明けたこの体の持ち主の事実に、サヨ自身も同情してしまった。
(この体の子はどこに行ったんだろう。ずっと家で辛い思いをしてきたから、耐えられなくなって消えちゃったのかな。……それとも私がこの体に入ったから、どこか行っちゃったのかな)
最近ではあまり考えないようにしていたことがふとサヨの頭をよぎる。
そしてそれと同時に、平成に残した自身の家族についても彼女は思い出していた。
───サヨの家族は四人家族である。
大人しくて気の弱い、それでも優しい父親と明るくて笑うことが大好きな母親。
それからサヨには三つ年上の兄がいた。
家族仲はこれといって悪くはなく、たまに兄と喧嘩しては母に叱られ仕方なさそうに父に宥められていた。
好きなところも嫌いなところもある、大切な家族だった。
しかしサヨはそんな家族には会えないと分かっていてもそれをいまいち実感出来ずにいた。
それは今でも続いており、ふとした瞬間悲しくて涙をこぼしたりもするのだが結局うまく泣くことができない。
平成の世で不自由なく暮らしていたところ、突発的に昭和時代へタイムスリップし訳も分からないまま自分ではない誰かに成り代わってしまった事実に、彼女は自身が思っているよりもずっとショックを受けていたことに気付いていなかった。
そのため感情に整理が付けられず、サヨの周囲だけが目まぐるしく変わり流されるように彼女は今の今まで生きてきたのだ。
◆◇◆
稽古が休みであるために今日はヒイラギが屋敷にいる。
そしてサヨは居間の掃除をしていたところ、ヒイラギに呼ばれ彼女の部屋を訪れていた。
「はい、これ。私のお古なんだけど、形も直してるから今でも充分着れると思うけどどうかしら?」
そう言ってヒイラギがクローゼットから取り出したのは青色の綺麗なワンピースだった。
決して華美ではないのだが、上品で形の美しい洋装にサヨは思わず「綺麗です」とつぶやいた。
「でしょう?私にはもう着れないから、良かったらサヨちゃんにあげるわ」
「え?」
「大きさが合っているか確認したいから着てみてくれる?多分ぴったりだと思うんだけど」
そしてヒイラギはサヨにその青色のワンピースを渡す。
「あの、何で」
「ほら、いつも頑張ってくれてるじゃない。それに箪笥の肥やしにするのも勿体ないから」
サヨが戸惑いながらヒイラギに聞けば、彼女はあっけらかんとそう言った。
それから彼女はにこにこと期待を込めてサヨをじっと見つめる。
こうなればヒイラギがテコでも意見を曲げないことをこの二年間でサヨはしっかりと理解していた。
(とりあえず着てみよう)
そして言われるままそのワンピースに袖を通して再びヒイラギの前に出ると、彼女はサヨの姿を見てぱっと顔を明るくさせた。
「あら!やっぱり似合うじゃない!今度それ着て外にでも出掛けましょうか」
鏡の前まで連れて行かれて、ヒイラギは「ほら」とサヨに自身のその姿を見せる。
そこには青色のワンピースを着たサヨと、彼女の肩に手を乗せて微笑むヒイラギの姿があった。
その光景が、中学校に入学する前に鏡の前で真新しい中学校の制服を着た自分とその後ろで笑う母の姿と重なる。
───似合うわねえ。今度それを着て写真でも撮りましょうよ。
一瞬にしてサヨの頭の中で、母の嬉しそうな言葉が鮮明に蘇った。
瞬きのように過ぎていったその光景に懐かしさが込み上げる。
(何で私、忘れてたんだろう)
長い月日が流れて、いつしか記憶の隅に追いやられていた家族との思い出が淡々と頭の中を占めていく。
いつの間に、こんなにも忘れていたのだろうと鏡に映る自分を見つめながらふと思った。
「あの、ヒイラギさん。ありがとうございます」
言葉を詰まらせながらも最後までそう言えば、そんなサヨを見てヒイラギは驚く。
そして仕方なさそうに彼女は苦笑した。
「何も泣かなくていいじゃない。そんなに嬉しかったの?」
「はい」
胸がじわりと熱くなり、サヨははらはらと涙を流していた。
次から次へと流れてくる涙を止めることが出来ず、サヨは必死に手で目元を拭う。
そして鏡越しに嬉しそうに小さく笑うヒイラギの姿が見えた。
◆◇◆
それから数日たったある日。
クリーニング屋に出していたヒイラギのコートを取りに行っていると、道中サヨは吉木に出会った。
相変わらずにこにこと笑っていて気さくにサヨに話し掛けてくる。
「吉木さんは今日はどうしたんですか?」
「今日は休みでね。せっかくだから散髪してもらおうかと思って。サヨちゃんは買い物かい?」
「洗濯物を通りにあるクリーニング屋に出していたんで、それを取りに来たんです」
「あぁ、あそこの。じゃあ途中まで一緒に行こうか」
そう言って吉木はサヨのとなりに並び歩き出した。
近くにできた新しい店の話や仕事の話などをするものの、やはり共通の知り合いがヒイラギなために彼女の話が中心となった。
「最近はヒイラギさん、舞台の演出もやってるそうだね。そう言えば、サヨちゃんってヒイラギさんの芝居を観に行ったことはあるのかい?」
「いえ。ただヒイラギさんの忘れ物を届けに舞台や稽古場に行くことはあるんですが、そう行ったことは……。吉木さんは観に行かれたことがあるんですか?」
「一回だけね。すごく綺麗だったし芝居も上手かったよ。彼女目当てで舞台に行く観客も多いのも納得できたね」
吉木がその時の出来事を思い出したのかしみじみと話す。
「舞台が終わった後もさ、彼女をもう一度観ようと出入り口付近で待ってる人もいるんだ。花束や手紙を持ったりしてね。いやあ、すごいよ。彼女の人気は」
サヨも一度だけだがその様子を見たことがあった。
プレゼントの量があまりにも多いため迎えに来てほしいと言われ劇場に足を運んだ時に出入り口の周りを多くの人が集まっていたのだ。
もちろんヒイラギだけではなく他の役者のファンもいたのだが、その周囲の高揚した様子に驚いたのを覚えている。
サヨはそのことを思い出しながら吉木の言葉に「へえ」と相槌をうった。
「そう言えば、その中に外国人の人も多いんだよ」
「外国人?」
「やっぱりヒイラギさんは美人だからね。彼らから見ても美しい人なんだろう」
吉木がぼんやりとそう呟く。
サヨはその言葉に、以前屋敷に訪れた『エドワード』のことを思い出した。
あれ以来エドワードはヒイラギの屋敷に来ることはなく、サヨは彼にあのコンパクトミラーを返せないままでいたのだ。
「ねえ、サヨちゃん」
すると吉木が改まった様子でサヨの名を呼ぶ。
サヨが顔をあげれば、吉木は神妙な表情をしながら話し出した。
「君は『エドワード・スミス』という男を知ってるかい?」
吉木の口から出てきたその名前に驚き、サヨははっと息を詰まらせた。
今しがた考えていた人物の名前が出てきて、サヨは呆然としまじまじと吉木を見つめた。
そんな彼女の様子を見て気付いたのか、彼は「やっぱり」と肩をすくめながら何故か溜息をつく。
その様子に首をかしげると、吉木は小さな声でサヨに言った。
「彼、ヒイラギさんと仲が良いみたいだけど気をつけた方がいいよ」
「え?」
驚いて声を漏らせば、吉木はそんなサヨの様子を気にせず話を続けた。
「店のお客さんから聞いた話なんだけどね。エドワードって人、あんまり良い噂聞かないから」
「………ヒイラギさんには言わないんですか?」
「ヒイラギさんは彼と仲が良いだろう?だから面と向かって言えなくてさ。良い人か悪い人かはどうか分からないけれど、サヨちゃんも何かあってからじゃ遅いから気をつけてね」
それを聞いてサヨの背中に嫌な汗が流れる。
吉木の言うことが本当であるのなら、もしかしたらコンパクトミラーのことで難癖でもつけられるのではと思ったのだ。
しかしサヨから見たエドワードはそんな悪い噂が流れるような人物には見えなかった。
少々押しの強そうなところはありそうだが、一見普通の人のように見える。
けれどそういった人こそ腹の中では何を考えているかは分からないと、平成の世で変に擦れた兄から学んでいたため一応用心に越したことはないのだろう。
「噂って、例えばどんなものがあるんですか?」
気になってしまいサヨがそう聞けば、吉木は何故か少し考える素振りをする。
そして散々悩んだ末にしぶしぶといった様子で、とても言いにくそうに答えた。
「女の人と仲良くすることが好きで、それで色々とあるみたいだよ」
「……………」
吉木が精一杯気を使って言葉を選んでいることが嫌という程サヨに伝わった。
おそらくエドワードは女性関係のトラブルが絶えないのだろう。
「あの、私はもう十五歳なんでそんな風に子供扱いしなくても大丈夫ですよ」
「でも僕から見れば、まだまだお子様だしねえ」
吉木が仕方なさそうに笑ってサヨを見つめる。
それにサヨもへらりと乾いた笑みをすれば、吉木は「あとね」と話を付け加えた。
「こんな噂もあるんだよ」
そして彼はサヨに顔を近づけ、二人だけにしか聞こえないような小さな声でこう言った。
「『エドワード・スミスは泥棒だ』ってね」
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