最近誰かにつけられている気がする。ふとサヨはそう思った。
 
 買い物中であったり、屋敷の庭に出て草むしりをしている時など、不意に誰かの視線を彼女は感じていたのだ。
 最初はヒイラギにつきまとうファンかと思っていたが、サヨが一人でいる時でさえ、その視線を感じる。 

 今のところ実害もないし、もしかしたら自分の勘違いという可能性も捨てきれないため、サヨはずるずるとそのことを放置してしまっていた。



◆◇◆




 サヨがあのエドワードの事件に巻き込まれて数ヶ月後。
 彼女はいつも通りヒイラギの下で働いていた。

 ヒイラギは最近外国人のファンが増えたらしく、街中でプレゼントを貰っているのをよく見かける。
 中には日本語を話すことができない者もおり、通訳を連れて来ず街中で偶然出会ったヒイラギに話しかけるものだから英語が不得意な彼女は大層困った。

 そしてそんなヒイラギと外国人のファンの間に入って通訳をするのが、ここ最近サヨの仕事になっている。
 といってもサヨには簡単な英会話しか話せない。

 平成の世で近所に住んでいた英国人の女性と話したり、進学塾や学校で習うことしかしていないため、身振り手振りを使っての通訳しかできないのだ。

 しかし今では慣れたのか、ゆっくりと話してもらえれば何となく相手の言っている意味が分かるようになってきた。

 そんなめまぐるしく変わっていく日々の中で、サヨはあのコンパクトミラーの一件が遠い過去のように思えていた。

 吉木の件も、あの自分を助けた憲兵の男の件も、何もはっきりしないまま終わってしまったため、すべて幻だったかのように感じるのだ。

(そういえば、結局本物の吉木さんはどうなったんだろう)

 午後の昼下がり、サヨは屋敷でヒイラギに茶を淹れながらぼんやりと思う。

 実家を継ぐため本当に地方へ帰ったのか、それとも吉木に変装していたあの男に殺されてしまったか。
 嫌な想像をしてしまい、サヨは思わず顔を青くさせる。

「どうしたの?サヨちゃん」

 雑誌を読みながら寛ぐヒイラギが、顔を青ざめるサヨに気づいて首を傾げた。

「いえ、何でもないです。あの、少し寒いなと思って」
「そうねえ。もう十月だし、冷えてきたわよね」

 ヒイラギはそれに納得した様子で頷く。
 そんな彼女にサヨは温かい紅茶を差し出した。



◆◇◆




 あくる日、ヒイラギの使いで修理に出した扇子を取りにサヨは街に出ていた。

 その扇子は彼女が舞台女優としてデビューしてからずっと使われているものらしく、何でもヒイラギをこの業界にスカウトした恩人からの贈り物らしい。

 鮮やかな赤色の布地に美しい百合の花が描かれたそれは、サヨから見ても高価なものだとはっきり分かった。
 しかし留め具が外れてしまい、バラバラと形が崩れてしまったため、街の扇子屋に修理に出していたというわけである。

 百貨店や高級店の立ち並ぶ大通りを歩いた先にその扇子屋は構えていた。
 老舗の扇子屋に入るのは、ヒイラギと一緒ならばともかく、まだ十五歳のサヨにとっては敷居が高く感じられる。

 いつもの黒いワンピース姿だと流石に浮いてしまうと思い、サヨは出掛ける際に薄手の深緑のコートを羽織ってやって来たのだが、それでもやはり、少しだけ気恥ずかしかった。

 歩幅は自然と狭くなり、店に近付くにつれてどんどん緊張してくる。

 そしてサヨが歩道をゆっくりと歩いていたその時、前方から一人の男が手を振りながら歩いてくるのが目に入った。

(こっちに向かって来る。誰かに用事でもあるのかな)

 自分の背後に知り合いでもいるのだろうかと思い、サヨは振り向いてみるものの誰もその男を見ていない。

 すると男は、なんとサヨの目の前までやって来て興奮したように話しかけてきたのだ。

「お久しぶりです。お嬢様」

 ヒイラギの知人だろうか。

 そう思って紳士を見ていたのだが、彼から出てきた言葉にサヨはぎょっと驚き目を丸くした。

 眼鏡をかけた上品そうな紳士はサヨを見て嬉しそうな顔をする。

 しかしサヨはこの目の前の紳士が一体誰か分からなかった。その上、何で一方的に好意を持って近づいてくるのか、と思わず距離を取ってしまう。

 数ヶ月前にあったあのコンパクトミラーの一件で、彼女は初対面から気安く話しかけてくる大人に少しだけ警戒するようになったのだ。

(誰だろう。この人は。私を誰かと間違えているのかな。それとももしかしたら前に私と会っていたりして)

 何となくだが、どこかで会ったような気もしなくもない。

 スーツをぴしりと着こなして、この時代にしては珍しい長身の彼の姿は、誰かと重なった。

 しかしそう思って記憶を遡るのだが、一向に見当つかない。おまけに最近、サヨは誰かにつけられているような気がしていたのだ。
 どこかで彼と会ったり見かけたような気がするのは、もしかしたら彼がその犯人だからかもしれない。

 すると彼はふと笑い、サヨに向かってゆっくりと話し出した。

「もしかしてお忘れですか?『浮島』です。あなたがまだ屋敷にいらっしゃった頃、よく一緒にお話しをしていたと思うのですが」

 少し困った顔をして言う『浮島』という紳士に、それでもサヨは首を傾げる。
 しかしそこで彼女ははっとした。

 もしかしたら彼はサヨではなく、この体の持ち主の知り合いかもしれないとようやく気が付いたのだ。

「………すみません。最近色々あって、それで……」

 しどろもどろサヨがそう言えば、今度は浮島が不思議そうな顔をする。

 しかしそんな浮島に対して彼女はさすがにうまく返すことができなかった。サヨにはこの体の持ち主の過去なんて、うっすらとしか知らないからである。

 時を遡って三年前、彼女は平成時代からここ昭和初期にタイムスリップをし、偶然か必然か名前も姿もまるっきり同じの、この体に乗り移ってしまったのだ。

 そして当てもなくふらふらしていたところ、サヨは憲兵のもとに保護され、その時に軍専属の精神科医からこの体の持ち主の過去を教わった。

 この体の持ち主の少女は有名な財閥会長の愛人の娘で、学校には通わせてもらっていたものの長い間一族の中で惨めな扱いを受けていたらしい。

 そしておそらくこの目の前の浮島という紳士は、その財閥一族の屋敷にいた者なのだろうとサヨは思った。

「お、お久しぶりです」

 サヨが誤魔化すように改めて挨拶すれば、浮島はほっとした顔となり良ければ少し話さないか、と言った。

 それに対して彼女は動揺する。

 浮島の口ぶりやこの自分への態度から彼が財閥一族の使用人であり、その中で彼女を気にかけていたということが分かる。

 しかしこの体の少女について、自分は表面上の情報だけしか知らないのだ。
 彼と会話をして、怪しまれることなく、うまく誤魔化せる自信はサヨにはなかった。一言二言話すだけで、必ずボロが出るだろう。 

「すみません。実はこの後、急ぎの用事が入っていまして」

 そう言えば彼は残念そうな顔をし苦笑した。

「………そうですか。いや、偶然お嬢様が見えたものでしたからお声を掛けてしまいましたが……。仕方がありませんね」

 サヨはそれを聞いて途端に気まずくなり顔をうつむかせる。

 もし自分がこの体に乗り移っていなければ、体の持ち主の少女と目の前の紳士は何の憂いもなく再会できたはずなのだ。
 不可抗力でこうなってしまったとはいえ、やはりどこか後ろめたさがあった。

 すると浮島は吹っ切れたように息を吐くと口を開いた。

「まぁ、しかしお嬢様がご無事で何よりです。あの時飛び出してしまってからもう三年は経ったんですよ。今日お会いするまで心配で心配で………」
「本当にすみませんでした。いきなり家を出てしまってして」

 サヨは彼に謝りながら、不意にあることを想像していた。

 もしかしたらサヨがこの体を乗っ取る前に、この体の少女は屋敷に引き返そうとしていたかもしれないということを。

 ただの想像でしかないが、そういった可能性もなくは無いのだ。
 そしてそれをサヨがタイムスリップし、彼女の体に憑依したことで完全にその可能性を潰してしまった。

 ここ昭和にきて初めの頃は、解決もしないのに何度も鬱々とそういったことを考えていたのだ。

 サヨが落ち込んだ様子で足元に視線をやっていると、浮島はそんな彼女を見て話を変える。

「その様子だと今はお仕事に就かれているのですね」

 サヨは定職に就いていることを見通され思わず目を丸くさせる。

 すると、彼は意味深に笑いながら彼女をじっと見つめた。

 サヨはその視線を辿れば、その先には彼女が持っているあずま袋がある。
 財布などの入ったそれを大事そうに抱え、高級街の大通りを歩くサヨの姿は一見使いにやって来た女中の少女そのものだった。

 なるほど、とサヨは自分の姿に納得し彼に頷いてみせる。

「はい。親切な方に拾っていただいて今はその方の下で働かせてもらってます」
「それは良かった。積もる話もありますし、今は無理でもぜひ今度お会いしましょう」

 そして浮島が約束を取り付けようとする前に、サヨは慌てて言った。

「はい。いつかお会いした時に、また」

 遠回しにもう会うつもりはないと言えば、彼の顔がわずかに強張る。

 それを見てじくじくと罪悪感に蝕まれるが、仕方がないとサヨは自分に言い聞かせた。

(私、すごく卑怯だ………) 

 結局自分の身が可愛いためにサヨは浮島と会うことを拒否した。

 記憶がないと誤魔化せば良いのだが、それを証明するのが医師ではなく自分の口からであるのがまた虚偽のように聞こえそうで難しい。

 それにこうしてこの体の持ち主の少女を悪意なく労わる人物に対して、サヨはこれ以上何とでも無いような顔をして目の前にいることができなかった。

 

 

 | 

表紙へ
top