───貴様、暇らしいな。
訓練が終わり、街に繰り出そうかと『田崎』が廊下を歩いていたところ、結城が待ち伏せしていたように立っていた。
田崎は最近の授業に飽きがきていたことを結城に見透かされ、ほんの少しばつが悪くなり苦笑してしまう。
そして執務室に訪れると、机の上に一枚の写真と書類の束が無造作に置かれた。
「この少女を付け回す者の目的を調べろ」
それを田崎は手に取り、写真に写る〈黒髪の少女〉に目をやれば結城は事の詳細を話し出した。
とある財閥関係者が三年前から他国に軍の情報を流しているらしい。
そしてその財閥関係者は、軍隊が戦闘時に用いる兵器の開発や製造、また技術者の出資などを行う金井財閥の者だった。
どうやらその財閥一族の当主の弟『金井総二郎』が中心となって、外務省内にある一派閥と手を組み軍事情報を流しているそうだ。
しかし話はそれだけでは収まらず、調査を続けていくと、とある一人の人物が浮かび上がった。
その金井財閥会長と愛人の間に出来た、今年で十五歳になる娘。名は『金井サヨ』という。
はやくに病気で母を亡くし、彼女の面影を色濃く残したサヨは会長に引き取られることとなるが彼もまたその数年後、病で死んだ。
それ以来、財閥一族で子供がいなかったことからそのままそこで暮らし、彼らは彼女を女学校に通わせていたのだが、実際は財閥結婚の駒として教育され使用人のように手酷く扱われていたらしい。
そして一族で男児が生まれた年に彼女はとうとう家を飛び出したのだが、その期間と総二郎が他国に軍の情報を流出させた時期が重なるのだ。
その上それから一年間、ヒイラギという女優に雇われるまで、彼女は軍の下に保護されている。
更にどうやら最近、彼女の周囲を総二郎の手の者が見張っているらしい。
他にもサヨの謎といえば、家出した直後記憶障害を患ったなど不審な点が挙げられた。
改めて田崎は写真に写された少女をまじまじと見つめるが、やはり本当にごくごく普通の子供であった。
写真の中では黒いワンピースに腰エプロンをかけた少女『サヨ』が買い物籠を手にしながら歩いている。
こうしてみると、どこから見ても女中の少女であり、彼女がかの財閥と繋がりがあるようには見えなかった。
「三好からも話を聞くと良い。あいつも彼女と接触した事がある」
ふと結城の口から出てきた同期の男の名に田崎は反応する。
しかしそれ以上この件について話すことはないらしく、田崎は結城にただ「下がれ」と冷たく言われるのだった。
◆◇◆
ヒイラギは舞台の稽古を終えて屋敷に戻ると、女中の少女『サヨ』がいつも通り出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
玄関まで出てきてサヨはヒイラギのコートと鞄を受け取る。奥からわずかに美味しそうな匂いが漂ってきてヒイラギの頬は自然と緩んだ。
「今日は何?」
「炊き込み御飯と秋刀魚を焼いたものと、あと南瓜の煮物にしました」
そう答えるサヨにヒイラギは嬉しそうに笑った。どれも彼女の好物だ。
「着替えたら食べに行くわ」
「かしこまりました。それでは準備してきますね」
ヒイラギの言葉にサヨは頷き、彼女はコートと鞄を持って奥へ下がっていく。
その後ろ姿を見ながら、ヒイラギはつい先日の出来事を思い出していた。
───屋敷で雇っている女中をこちらに引き渡してくれないだろうか。
舞台仲間との待ち合わせで、喫茶のテーブル席で一人珈琲を飲んでいたところ、後ろのテーブル席に座っている男にそう声を掛けられたのだ。
そして続け様に「振り向かないように」と言われヒイラギは身を硬くする。
横にある窓ガラスに目線だけ移すと、ヒイラギの後ろにはスーツを着た男が新聞を読んでいた。しかし覆うように新聞を開いているため顔が見えない。
「誰なの」
小声でそう聞けば男は静かに答えた。
「彼女の身内から依頼された者だ。あの子の身元は貴女も知っているだろう?」
それを聞いてヒイラギはサヨの複雑な出自を思い出す。
そしてそれを理由に、彼女を雇った当初は酷く面倒くさいと感じていたことも思い出していた。
いつかこんな日が来るのではと薄々感づいてはいたのだが、まさか今来るとはとヒイラギは苦笑する。
軍からサヨを預かった時、彼女の実家など一部の情報は教えられなかったものの、彼女がどこの家の者なのかなんて苗字で察してしまえるし、ちょっと調べればすぐに分かる。
しかし何故こんなこそこそと隠れるように伝えてくるのだろうか。ふとヒイラギは疑問に思った。
(サヨちゃんを迎えに来るまで時間がかかり過ぎたから?だとしても、あの『金井財閥』が一人の子に対してそこまで気を使うかしら?)
サヨがあの財閥一家に正式に引き取られるのならば、こんなに身を潜めなくとも良いはずだ。
今までずっと放置してきたものの、家出中のサヨを彼女の身内が屋敷に連れ戻すことに一見後ろめたいことは何もない。
それなのにも関わらず、こうしてヒイラギに伝えに来るということは何か理由でもあるのだろうか。
そこで不意に嫌な予感がした。
ヒイラギは口を開く。
「この事に後ろめたいことが無いのなら、こんな隠れて伝えにこなくても良いと思うけど」
何故?そう聞けば男は急に黙り込む。
するとしばらくしてから男は静かに話し出した。
「金は出すと仰っていた。一週間後夜八時にこの場所まで彼女を連れて来い」
しかしそれはヒイラギの問いには決して答えるようなものではなかった。
男は立ち上がり新聞を閉じると同時に帽子を被る。
そのため男の顔をまたもはっきりと見ることができなかった。
そしてヒイラギの横を通り過ぎる際、テーブルに一枚のカードが置かれる。
『真砂屋』
それは街の外れにある金物屋の名刺だった。
◆◇◆
その事を思い出しながらヒイラギは自室で着替えてから食卓についた。
サヨがパタパタとやって来て、温め直したであろう鍋の中の煮物を皿によそう。
すると彼女の手はぴたりととまりヒイラギを見つめた。
「あの、どうかいたしましたか?」
「ん?」
サヨは首を傾げてヒイラギに言う。
「少し顔色が悪いように見えたので………」
おそるおそるそう言ったサヨに対して、ヒイラギは驚き目を丸くさせる。
(そういえばこの子、すごく鋭いんだったわ)
この少女の恐ろしい程の勘の良さにヒイラギは苦笑した。
そしてあの喫茶での一件から、いっそのこと彼女が今、一応身内ではある財閥一家のことをどう思っているか聞こうと口を開く。
「サヨちゃん、ずっと聞きたかったことがあるんだけど………」
しかしそこでふとヒイラギは昔のことを思い出した。
二年前、ヒイラギが渋々サヨを雇った、初日の出来事を。
『予め言っておくけど、これでも貴方についてある程度知ってるわ。悪いけど、もし何かあった時は容赦なくクビにするし、貴方を元の家に引き渡すつもりだから』
昔のヒイラギがそう言い放てば、当時十三歳だったサヨは表情一つ変えず大人しく頷いた。
彼女を雇う上で面倒くささを感じ、ヒイラギはいざとなった時にはこの少女を引き渡そうと思う。
しかしサヨのその顔色一つ変えない様子に何とも言えない気まずさを感じ、ヒイラギは俯く彼女に聞いたのだ。
『貴方、家に戻りたいとか思ったことある?』
ヒイラギは人づてにしかサヨのことを知らない。
彼女が身内からどう扱われていたのか、他人から聞いた話でしかなかった。
けれどその話が本当は表面的なものでしかなく、サヨ自身帰りたいと思っているのならば屋敷に帰さねばと思ったのだ。
するとサヨは顔をうつむかせたまま、小さな声で言った。
『分かりません。でも私の帰る所は、あそこじゃありません』
そう言ったサヨに対しヒイラギは胸をひやりとさせた。
当のサヨはタイムスリップした身であり、彼女の帰るべき場所は平成の世にいる家族のもとでしかない。
そういった意味合いを込めて言ったのだが、もちろんそのことを知らないヒイラギは目の前の少女の薄暗さを感じたのだ。
あの言葉はおそらくサヨが心の底から言ったものだろう。
「…………私ってば何を言おうか忘れちゃったわ」
ぼんやりと昔のことを思い出しながら、ヒイラギは咄嗟に誤魔化した。
サヨが不思議そうな顔をしてヒイラギを見つめているが、彼女は明るい声で「何でもないわ」と言った。
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