今日は一日中休みということで、私は一人出掛けていた。若い頃に買った鞄の糸がほつれ形が崩れてしまったため、それを修理しに来たのだ。
 それを馴染みの店に修理に出し帰路についていると、見覚えのある建物の前を通った。

 ───札幌世界ホテル。ここらで一際大きい洋風の建物だ。

 そしてそこでふいに思い出す。
 もしかしたらあのイヤリングは以前出会った美しい女のものかもしれない。少し前に私のコートから見つかった、大ぶりの赤い石のついたイヤリングだ。
 叔母や友人の八重に聞いてみたものの、あのイヤリングは彼女達のものではなかった。他にイヤリングの持ち主だと思い当たる人物はいないため、どうしようかとコートのポケットに入れたまま持て余していた。

 確か名前は、家永さんだったような………。

 家永さんと会った時に彼女の耳にそれがつけられていたような気がするのだ。彼女の華やかな雰囲気に、耳元で光る豪奢なイヤリングがよく似合うと思ったのを思い出した。

 ホテルの窓からは明かりが漏れており、どうやら営業しているらしい。聞いてみるだけ聞いてみようか。忙しいようなら諦めて、また今度伺うことにしよう。
 そう思いホテルの扉を押す。取り付けられていたカウベルの音が鳴り響いた。
 中へ入れば、壁に掛けらたランプの明かりで室内は橙色に照られされており、すぐ目の前には上の階へ登る階段があった。
 そしてそこから、ちょうど家永さんが降りて来た。

「あら、あなたは………」

 家永さんは私の顔を見て、驚いたように目を丸くさせた。

「お久しぶりです。宮内イトと申します。突然来てしまってすみません」
「久しぶりね。覚えているわ。遊びに来てくれたのかしら?」

 嬉しそうな顔をして言う彼女に首を振ってポケットからイヤリングを取り出す。

「少しお聞きしたいことがありまして。以前お会いした時にもしかしたら落としたと思うんですが………」

 大ぶりの美しい赤い石がはめ込まれたそのイヤリングを見せれば、彼女は表情をぱっと明るくさせた。

「まあ!私のものよ!失くしたとばかり思ってたんだけど、あなたの所にあったのね」
「私のポケットの中にあったんです」
「そうだったの。わざわざありがとう」

 すると笑みを浮かべながら言う。

「そうだ。今度こそお礼をさせてほしいわ。良かったらお茶でもどう?」
「そんな申し訳ないですし」
「そう言わないで」

 彼女は私の手を親しげに取って、にこりと笑った。
 今日は一日中休みであるため時間はある。これ以上家永さんの誘いを無碍にするのは失礼かと思い、良ければと私は頷いた。

 ホテルの洋室に案内され椅子に座って待っていると、家永さんは薔薇の花が描かれたティーセットを持ってやって来た。透明な飴色の紅茶をカップに入れれば、部屋中に甘い匂いが広がる。

「良い香りですね」
「そうでしょう?自分でブレンドしてみたの」

 用意してもらったお茶はさっぱりとしていてわずかに果物の味がする。
 すると彼女は私に口を開いた。

「ここで見ない顔だけど以前から札幌に?」
「いえ、最近札幌に帰ってきたんです。一年前くらいから小樽にいて」
「へえ」

 私の言葉に納得した様子で頷いた。
 そしてその時、ふと思い出す。彼女はいつから札幌にいるのだろう。自分は十二歳の頃からここにいるのだが、その間に彼女を見かけたことはない。こんなにも美しいのなら街中で噂になっているだろう。

「家永さんはいつから札幌に?」
「本当につい最近よ。働き口に困っていたところ、ここのオーナー夫妻に拾われたの。もう二人は高齢で今は函館の別荘に住んでいらっしゃるけどね」

 家永さんのその言葉に私はようやく納得した。そして彼女は続けて言う。

「それまで私、留学していてね」

 それを聞いて目を丸くした。
 この時代、女だてらに海外へ留学するのは大変珍しい。しかしそれほどまでに彼女は優秀なのだろうと思い、私は素直に感嘆した。

「すごいですね。何の勉強をされていたんですか?」
「少しばかり医術を………」
「へえ」

 彼女の話にますます驚く。そんな私を見て家永さんはくすくすと笑った。ミステリアスでどこか只ならぬ雰囲気を纏う彼女の謎が一つ解けて、私の心は少しばかりすっきりとした。
 しかしその時、不意に気付いた。話していて思い出したのだが今日の彼女は小鳥のように高い声をしている。前に会った時、声はもっと低かったような気がするが、もしかしたら風邪でもひいていたのだろうか。
 気のせいかと思いながら、ふと感じた違和感に首を傾げる。
 すると彼女は私に尋ねた。

「ねえ、ご存知かしら?『同物同治』という言葉を」

 同物同治、聞き慣れないその言葉に私が首を傾げる。もしかしたら彼女が留学中に学んだことの一つなのかもしれない。

「何ですか?それは」
「体の不調な部分を治すには、食材となる動物の同じ部位を食べると良い、という考え方よ」
「へえ。それは効きそうですね」

 私が頷くと家永さんはそれを聞いてにんまりと笑った。

「あなたもそう思ってくれるかしら?」
「えぇ。あの、よくは分からないけれど………」

 それを聞いて何となく効きそうだと思い頷いてみせた。
 それにしても何故家永さんはそのことを話し出したのだろう。どこか悪いところでもあるのだろうかと見るがそんなことはない。それとも、もしかしたら持病でもあるのだろうか。

「私ね、ずっとこの髪が気になっているの」

 すると家永さんがぽつりとつぶやく。一つにまとめた自身の髪を撫でつけながら悩ましげに言う。
 彼女の髪は太く艶やかで痛んでもいない。見た限り、何を気にすることがあるのだろうかと思った。
 しかし不思議そうにする私に家永さんはくすりと笑った。

「あなたの髪、本当に綺麗で羨ましいわ」

 するとその瞬間、私の視界がぐらりと揺れた。手に持っていたカップを置く。視界がゆらゆらと揺れて、顔を上げることができない。あまりの気持ちの悪さからテーブルに項垂れてしまった。

「あら、どうかされました?」
「す、すみません。何だか立つくらみがして」

 そうしてしばらくすると、血の気が引いていくような寒気がしてきた。熱で茹だるかのように顔は熱いのに体は震えてしまうほど寒い。
 突然の悪寒に目を白黒させて動けないでいると、冷ややかな声が降ってきた。

「薬が回るの、結構早かったわね」

 項垂れる私を見つめていた家永さんはぽつりと呟く。
当の私は朦朧とする意識の中で、彼女の言った言葉を理解することはできなかった。彼女は今、何と言ったのだろう。薬とはどういうことなのか。

「それにしてもいつになったらここに来るかと思ったわ。まあ、イヤリング一つでここまで来てくれるなんて、やっぱりあなた、お人好しなのね」

 彼女は椅子から立ち上がりゆったりとした動作で項垂れる私に近寄る。そして私の一つにまとめていた髪を解いて、するりと触った。

「本当に、黒くて艶やかな、綺麗な髪」

 うっとりとした様子で私の髪に触れているが、それを拒むことができない。ぱちぱちと火花が目の前で散るように視界が白く瞬く。
 薄れゆく意識の中で、ぼんやりと私は家永さんの言葉を聞いた。

「早く食べてみたいわ」



 ◆◇◆



 気絶したイトを家永はずるずると引きずって地下室に連れて行った。
 備え付けられていた蝋燭に火を灯せば、その部屋に並ぶ異様な器具が赤く照らされる。そこには多くのものものしい拷問器具が置いてあった。ところどころ血によって錆び赤く変色しており、ひどい鉄の匂いがぶわりとする。

 そしてイトは家永に両手を鎖で縛られ地面に捨て置かれた。だらりと力無く倒れる彼女の、散らばった長い黒髪を見て家永が鬱蒼と微笑む。緑色に光る美しい黒髪が欲しくてたまらなかった。

 けれどその瞬間、ホテルの入り口の扉に取り付けられたカウベルの音が地下室に響き渡たる。

「あら、誰かしら」

 タイミングが悪いことに客がやって来てしまったらしい。

「少しここで待ってなさいね。すぐに迎えに行くわ」

 そう言って伏したイトの髪を優しく撫でる。そして家永は地下の拷問部屋を出た。
 しかしその日の夜、これから続々とやって来る来訪者達によって、まさかこのホテルが爆発するとは誰も予想できなかった。








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