私の実家である松野浦家は呪術界において影が薄い。
 平安時代末期から続く長い歴史と一族に伝わる術式はあるが、そんな術式も呪霊の討伐には決して向いていない。
 更に一族の者達の元来の気性か上層部の腹読みにうまくついていけないため、この業界での肩身はかなり狭かった。

 呪術の会合にて招待されたものの「あ、いたの?」なんて言われることはざらだし、任務で名家出身の呪術師と組むことになった際はどんなに頑張ったとしても手柄をかっさわれることは多々ある(と言っても手柄なんてほとんどないようなものだが)

 最初の頃はいない者として扱われるのはそれなりに悲しかったが、成長するにつれて段々慣れ、むしろそういう扱いを受けることによって他方から目を付けられないという役得が存在することを知っていった。

 だからこそ、一年時に参加した京都の高専との交流会だって特に気にはならなかったのだ。
 京都高専には楽巌寺学長のもとにあらゆる名家の子息子女が集まってくる。そのため松野浦家である私は交流会では思いっきりなめられ馬鹿にされたが、いつものことだと思い流すことができた。

 そして今回、二学年に進級し、恒例の交流会に参加することになった。また去年と同じような感じで、多分禪院ら辺の子から「そんなしょっぱい術式でよく呪術師なんて名乗れますな〜」みたいなことを言われるんだろうなと思っていたのだ。

 それがまさかあんな事態になるなんて、この時の呑気な私は思いもしなかった。



◇◆◇



「夏油君、さすがに半殺しはよくないんじゃないかな」
「つい手が滑って」
「それでもやっぱり再起不能にするのは駄目だと思うな」

 一体どうしてこうなった。
 何から説明すれば良いのか分からないが、結論から言うと夏油君が京都高専の男子生徒をぼこぼこにしてしまったのである。現在その男の子は硝子ちゃんによって手当てを受けており、交流会は一時中止となってしまった。

 用意された控室で私と夏油君が待機している。担任の夜蛾先生はどこか行き、五条君は喉が渇いたと自販機に行っている。他の東京側の生徒達も控室に来ず、何故か七海君から「夏油先輩が荒れていると思うので松野浦先輩が宥めてください」と言われてしまった。

 しかし横に座る夏油君をちらりと見るが荒れた様子はどこにもない。むしろすっきりとした表情をしていた。

「せっかく二人きりなんだ。もっと別のことを話さないか?交流会が終わったら何する?」
「今そういう話するの!?」

 二人きりだから何なんだ。爽やかに言い放つ夏油君に思わず突っ込んでしまう。
 夏油君はもう交流会で男子生徒をぼこぼこにした話をしたくないみたいだが、何というか、それで良いのかな……。
 けれど彼が他校の男子生徒をぼこぼこにした一因に少なからず私も関係しているため、強く言えない。

「………あんな時代錯誤も甚だしい奴に同情する余地なんてないと思うけどね。君に言った侮辱は到底許されるものじゃないだろう」
「いや、まあ、それは………」

 そう言われてしまい口籠ってしまう。
 そして私はこんなことになってしまった経緯を改めて思い返した。



 ───交流会の初日は、高専内の広い敷地に放たれた呪霊達をより多く狩った方が勝ちという討伐レースが行われる。
 冥々先輩が呪霊を探知し五条君と夏油君が蹂躙するというやり方で去年も勝ったため、今年も同じような流れで討伐していたのだ。
 私はと言うと序盤に他の高専生達に加護を宿したり、取りこぼした呪霊を呪具で細々と対処する。そんな最中の出来事だった。

 京都の高専側の男子学生、後に夏油君にぼこぼこにされる彼がいきなり私の前に現れ攻撃を仕掛けてきたのだ。
 いや、それくらいなら、交流会ではごく想定される出来事の一つに過ぎない。これ以上討伐をさせないために呪霊ではなく、先に私達を狙うことはあるのだ(逆に五条君や夏油君が呪霊の討伐の際に、京都の子達を巻き込んでぼろぼろにさせたりするのでおあいこである)
 去年の交流会だって襲撃を受け、私は煽りに煽られた。

 そして今年も同じように襲撃を受け、やれ『雑魚は大人しくしてろ』だとか『女なんだから男の影に隠れてろ』だとか言われる始末。
 そう言えば去年もこの男の子に執拗に狙われたなと思い、知らず知らずの内に何か彼に仕出かしてしまったのではないかと頭が痛くなった。

『胎としてでしか役に立たねえんだから引っ込んでろ』

 ええ、そこまで言っちゃうんですか……。
 そんな男尊女卑めいたことを言われ思わず引いてしまう。

 高専同士戦う理由もないため攻撃せずいなしていたのだが、彼の言葉にはさすがに一線を超えていた。
 おまけにいつまでもしつこく付き纏ってくるため、このまま放置しても仕方がない。
 埒があかないと思い護符と持っている呪具で応戦しようと対峙した。

 しかしその時、目の前の男子学生は突如現れた大蛇のような呪霊に一瞬にして喰われた。

『───やあ』

 夏油君が現れたのである。

 それからがもう大変だった。
 京都高専側の男の子を夏油君はぼこぼこにし、彼が意識を失ってからもトドメを刺そうと攻撃を止めない。
 これ以上はいけないと夏油君にしがみついてストップをかけたが、何を勘違いしたのか『トドメは松野浦が刺したいよな。悪かったよ』と言って血まみれの男の子を私の前に差し出した。

 それから騒ぎを聞きつけた京都側の高専生が続々と集結し、それを見つけた五条君が面白そうだと参戦する。
 呪霊討伐レースどころではない事態に陥り、交流会は一時中断。

 そして現在に至るわけだ。

「そう言えば去年も執拗に絡んでいなかったか?あそこまで下品な煽りはしていなかった気がするが……」

 夏油君が眉を寄せながら聞いてくる。

 京都高専側の人達は御三家の五条君や準一級の夏油君の前ではあまりえぐい嫌味は言ってこない。
 というのも彼らの嫌味が五条君達に向くため、端の方にいる私はそもそも眼中に入らないのだ(遠回しに「弱いんだから大人しくしていた方が良いんじゃないですか〜?」みたいなことは言われるが……)

 そして一人でいると、嫌味は私の方に向かい、セクハラ、モラハラオンパレードの言葉を吹っかけられる。

 苦笑する私に夏油君は溜息を吐いた。

「ああいう輩は放っておくと付け上がる。初手で反撃しないと」
「まあ、そうなんだろうけど……」
「二日目の個人戦で殺っても良かったが彼と当たるとは限らないからね。君の代わりに釘を刺したけど、今度からはそういったことを意識した方が良い」

 夏油君が真剣に言ってくれるが、血の気の多いそのアドバイスに困ってしまう。私も彼に反撃しようとしたが、夏油君のあれはさすがにやり過ぎだ。
 
「松野浦もあいつの言ったことは気にしないでおけよ」
「ああ、うん。それは大丈夫。慣れてるし」

 しかしそう言った瞬間、部屋の温度が数度下がった気がした。

「…………慣れてる?」
「あ、いや、その………」

 夏油君がにこやかに笑みを浮かべているが、肝心の目が笑っていない。
 そこで私は彼に呪術界においての松野浦家の立場や女性の扱いについて渋々と説明した。

「………夏油君はよく知らないと思うけど、この業界って女の人の立場が弱いからああいうことをよく言われたりするの。それに私の実家は弱いし、いちいち反応してたらキリがないんだよ。もう言われ慣れちゃってるしね」

 異性であり、呪術師として一目置かれる夏油君にこういった話をするのは気まずく、また恥ずかしかった。

 彼に話した通り、この業界では女性の立場が弱い。その上松野浦家であるため周りからはなめられ、度々言われてきた。
 私は呪力があり術式が遺伝された身であり、家族関係も良好なためこの業界では恵まれている。けれど小さい頃はいない者扱いされるのも、女性と言うだけで下に見られるのもよく分からなくていつも悲しんでいた(今はもう慣れてしまっているため平気だが)

 すると夏油君が口を開く。

「そういったことに慣れてはいけないよ。少なくとも私は松野浦を一個人として尊敬している。あの馬鹿の言うことを真に受ける必要ないんだ」
「………尊敬って、言い過ぎなんじゃないかな」
「言い過ぎじゃないよ」

 そう真っ正面から言われ、段々気恥ずかしくなってしまう。
 同時にとても嬉しかった。たくさんの呪術師から言われた侮蔑や態度に傷ついていた、小さい頃の自分が救われたような気がしたから。

「…………あ、ありがとう」

 夏油君が私のどういったところに尊敬してくれているかは分からないけれど、彼のような頼もしい人から言われると何だか報われたような気持ちになる。
 しどろもどろ礼を言うが、顔はきっと赤くなっているだろう。
 顔を上げれば夏油君が穏やかな表情で私を見ていた。

 な、何か変な空気になっちゃったな……。

 最初は京都高専の男子生徒をぼこぼこにした彼に注意していたわけだが、いつの間にか夏油君から励まされているような、非常に気恥ずかしいことを言われている気がする。
 それに夏油君も夏油君で何も言わず、じっと私を見つめるだけで何かしようとしない。
 な、何だろう、この空気。

 すると何故か夏油君は私の方に体を詰めてきた。
 え、うん?何?急にどうした?距離を取ろうとするが夏油君の体はびくともしない。そして私の手を掴んだ。

「それはそうと何かお礼でもしてほしいな」
「お、お礼?」
「あの男から助けただろう?」
「あれは助けたというか、割り込んできたというか……」

 そうもごもご言うが夏油君は聞こえていないのか、聞こえないふりをしているのか「松野浦は何をしてくれるんだ?」と言ってくる。
 それにしばらく悩んだ後、私は意を決して口を開いた。

「───分かった。私にできることなら何でもする」

 そう言えば夏油君は思いもよらなかったのか「何でも?」と聞いてくる。どことなく視線が鋭いような気がするがどうしたんだろう。
 私は気にせず頷いた。

「夏油君にはいつもお世話になってるから、きちんとお礼したいと思ってたの。私ができることなら何でも言って」

 今回私のためとはいえ京都の高専の学生をぼこぼこにしたのは褒められるべきことではないが、普段から親切にしてもらっている礼をこの機会にするのも良いだろう。
 夏油君はあまりそういった我儘を言わないし、何か彼の助けになれるようなことができるならしたいのだ。

「それに、さっき夏油君が私のこと慰めてくれたでしょう?………私、本当に嬉しかった」

 私に向けられた侮辱に対して、慣れる必要はないと言ってくれたのはとても嬉しかった。
 彼のその真摯な言葉に、私も何か返したい。

 しかしそれを言うと、夏油君は沈黙しそのまま項垂れてしまった。「松野浦の善意に付け込むのは流石に……」「これを機にものにしても松野浦の心は……」と何やらぶつぶつ言っているが、声が小さすぎてよく聞こえない。

「夏油君?」
「………………やっぱり礼は大丈夫だよ」

 夏油君が苦しそうな顔をして言う。
 「え、本当に良いの?」と聞いてみたが、夏油君はどことなく悔しそうに頷いた。






 | 

表紙へ
top