「名字名字です。よろしくお願いします」
「あ?お前、名字の人間かよ」

 ───守銭奴、女狐の集まり、銭でしか動かない外道一族。
 私の生まれた一族の蔑称は呪術界ではたくさんある。

 そのため高専では、名字一族のイメージを抜きにして仲良くしてくれる人が現れるかもしれないと思っていた。私達一族の悪評を知らない、非術師の家庭から来る子がたくさんいると思ったから。

 しかし、てっきり京都の高専に通うと聞いていたあの五条悟が東京の高専におり、私の目論見をあっさりと崩すとは思いもしなかったのである。







 名字一族には【予知夢】という特殊な術式がある。ちょっと先の未来を夢で見ることができるのだが、その精度や頻度は様々。
 私はというと調子が良い時しか予知夢を見ることができなかった。

 そして予知夢の内容を他人に話すと、私達一族は天与呪縛によって狐に乗っ取られるらしい。

『きつねにのっとられる?』
『そうよ。誰かに操られたかのように自分を制御できなくなるの。深層心理を表面に出した状態って言うのかしら。普段理性で抑え込んでいる衝動が勝手に表に出てきちゃうの』
『たとえば?』
『うーん、そうねえ。破壊衝動がある子だと建物を壊して暴れ回ったり、普段ダイエットをしてる子だと暴飲暴食したり。あと名字の歴史の中では好きな異性に襲いかかったり、恋敵を殺そうとしたりすることもあったそうよ』

 小さい頃、女当主である祖母からそう教わってひやりとしたのを覚えている。

『厄介なのはそれを本人が覚えていないの。狐に包まれたような、狐に化かされたような心地になるから私達は狐に乗っ取られるって言い方をするのよ』

 そのため名字一族には予知夢という能力がありながら、その天与呪縛によって人に話すことは難しかった。多額の報償金が支払われる場合や、それこそ人が大勢死ぬような未来を予知した時でしか内容を教えられない。

 そういったこともあり、中々予知夢の内容を話そうとはせず、それでいて予知夢によって銭を得る私達一族には「私利私欲のためにしか能力を使わない」という悪評があり一族以外の人間からは大層嫌われていた。

 またその特殊すぎる術式によって小さい頃から暗殺や誘拐などの危険にさらされ、小中学校には通うことなく(家庭教師を雇っていた)私は友達を作ったことが一度もない。

 だからこそ高専では友達ができるかもと期待していたのだ。
 高専では非術師の家から通う子もいると聞いていたし、もしかしたら名字一族の悪評を知らない子達がいると思ったから。

 ───しかしそれは目の前にいる白髪の不良少年、五条悟によって阻まれる。

「名字?」
「未来予知の術式がある一族だよ。あいつら、先の未来を知ってるくせに誰にも教えねーんだ」
「へえ」

 先ほど自己紹介をしたばかりの家入さんや夏油君がじっと私を見つめる。どことなく冷たいその視線に冷や汗がだらだらと流れた。

 ち、違うんだ。決して誰にも教えないわけじゃないんだ。
 確かに私達一族の予知夢を知るには多額のお金が必要だけどほとんど暗殺や誘拐からの警備費に消えちゃうし、さすがにたくさんの人が怪我したり亡くなったりするような予知夢を見たらちゃんと上層部に伝えている。
 だけど普段から教えないようにしているのは天与呪縛によって暴走するのが嫌なだけだし、予知夢の内容の精度だって正直自信がないだけなんだ。

「ま、お前が予知夢の内容教えてくれなくても俺は最強だから平気だけどな」

 五条君がそう言い捨てる。
 腐ったミカン代表のような私達一族に思うところはあるみたいだが、そもそも眼中になさそうだ。




 けれどそんな五条君の言葉を聞き、夏油君には完全に嫌われてしまった。
 夏油君は呪術師は非術師を守るためにあるといった信念を持っているらしく、予知夢の情報を出し渋る私達一族の態度に軽蔑し「救える命すら救おうとしないのか」みたいなことを言ってきた。

 いや、救える範囲なら言わないだけでちゃんと前もって救ってますけど……。

 しかしそれを私が言ったらじゃあ何で開示しないんだと返されるだろう。天与呪縛のことも話そうかと思ったが、神経質で潔癖そうな夏油君から人命に勝るものはないとかあれこれ言われそうだ。
 それに非術師の家庭出身だから仕方ないかもしれないが、事情もよく知らないくせに分かったかのような顔をしてくるのが普通にむかつくし、五条君や家入さんには見せないような冷たい表情で見てくるのも少しだけ悲しい。
 そんな人のためにわざわざ顔を合わせて、改めて一から説明するのも何だか嫌だ。

 家入さんだけは普通に話してくれるが、私の高専生活は針のむしろのように居心地が悪い。
 合同任務の際にはさすがに協力するが、夜蛾先生に頼んでできるだけ単独任務を入れてもらうようにした。






 家入さんにはとても申し訳ないのだが、同期の仲はすこぶる悪い(主に夏油君と私が)
 それでも私達は高専に通う学生であるわけで、今日も今日とて同じ教室で一緒に授業を受けなくてはならない。

 こんなことになるんだったら高専に行くのをやめておけば良かった。
 術師としての実力を高めるためにこの高専に来て友達なんかも出来たら良いなあと思っていた。
 なのに名字一族の悪評を知る五条君に、済ました顔で私を軽蔑する夏油君。家入さんは親切だがまだまだそこまで仲が良いとは言えない。

 授業の合間、教室でおのおの過ごす同級生達を横目にぼんやりと思い悩む。
 そしてふと隣に座る家入さんを見れば、彼女はぱらぱらと手元の書類をいじっていた。煙草をふかして機嫌悪そうにしているがどうしたんだろう。
 するとそれに気付いた五条君が「何それ」と言って彼女の書類をじっと見つめた。

「蒲生院ってとこに呼ばれてるんだ。任務内容は当主の治療。この間会ったんだけど嫌な感じがするんだよね」

 蒲生院?それを聞いて思わず彼らの会話に割り込んでしまった。

「その任務、行かない方が良いと思うよ」

 家入さんと五条君、そして本を読んでいた夏油君がこちらを見る。「それって名字の未来予知?」と家入さんが聞いてくるが違う。

 蒲生院と言うのは西日本ではそれなりに知られた名家の一つであるが、三年前に当主になった男にあまり良い噂を聞かない。
 名字一族の女達の集まりでやれ「蒲生院の当主は手癖が早い」「若い女に目がない」「奥方様がしっかりしているから面子は保たれているがのちにボロが出るはず」と手酷く言われているのだ。
 おまけに蒲生院の当主が怪我や呪いによった負傷をしているという噂を聞いたことがなかった。秘密裏にされているのだとしても、こうして高専を介して任務を指定してくる時点でその線も薄い。

 大方家入さんに目を付けた色狂いの若当主が嫌がらせ半分興味半分で依頼してきたのだろう。
 それを家入さんに言えば、彼女は「うへえ」と吐きそうな顔をして眉を寄せた。

「本当に負傷しているかもしれないけど……。その任務、今週中に行けば良いのなら水曜日の午前中に行った方が良いよ。その日は蒲生院の奥様も家にいるはずだから当主を見張ってくれると思う」
「分かった。ありがとう」

 当主の奥方は名字でも評判の良い女傑だ。彼女が目を光らせていれば当主である旦那も家入さんにちょっかいかけないだろう。

「お前、何でそんなに詳しいんだよ?」

 すると五条君が不思議そうに尋ねてきた。彼は私のことを嫌っていても気になったことがあれば気にせず話しかけてくる。

「家の集まりとかに参加していると自然と耳に入ってくるの」

 名家に生まれた人間であるならば自然と耳に入る情報だ。家入さんも夏油君も非術師の家庭出身であるため知らないのは分かるが、むしろ何で五条君が知らないのだろう。

 「何で五条君はこういうの知らないの?」と嫌味でも何でもなく純粋に聞けば「名字がおかしい」と言われてしまった。いやいや、これくらいアンテナを張らないと呪術界ではやっていけないはず。

 けれど五条君は御三家の人間。御三家にはこんなちまちまとした情報戦なんてそもそも必要ないのかもしれないし、五条君もそういった面倒くさい集まりなんて参加しないのだろう。

 いいなあ、五条君。御三家だしこういった情報も必要ないくらい強いし、おまけに友達もいる。
 五条君のことはいけ好かないと思っているが、こういうところがたまらなくうらやましかった。

「五条も夏油も見てもらえよ」
「え?」

 するとその時、家入さんが何とでもないような顔で言ってきた。
 五条君達の任務もチェックするの?私が?二人とも私のことが嫌いみたいだし向こうも絶対に嫌でしょう。
 案の定五条君は「俺は最強だからパス」と言って断っている。

 しかし夏油君はしばらく考えた後、椅子から立ち上がり私の前までやって来た。

「私のも見てくれないか?」

 そう言って試すように夏油君は依頼書の何枚かを私に差し出す。
 え、本当に見ていいの?まじまじと夏油君の顔を見れば「できないのかい?」と言われてしまう。それが何だかとても偉そうだった。

 仕方なく夏油君から渡された依頼書をぱらぱらと捲る。
 一級呪霊の討伐案件多数に地方の村で起きている神隠しの調査、また名家子息の護衛任務。おおよそ学生が受けるものではない任務の数々に夏油君の実力がうかがえる。
 しかしいくつかの依頼書を確認していると、違和感のある任務が何個かあった。

「これとこの案件がちょっと怪しい。あとで補助監督の人に確認を取った方が良いよ」

 そう言ってチェックした依頼書を夏油君に返す。

 それにしても何でこんなに嫌がらせ案件が多いんだろう。五条君の任務書は見ていないから分からないけど、夏油君といい家入さんといい一介の学生に対して嫌がらせのような任務が何個か入っているのはおかしかった。
 けれどそこではっと気付く。

「あの、ごめん。こういう嫌がらせみらいなのが多いの、もしかしたら私のせいかもしれない」

 慌てて言えば同級生の三人が首を傾げたのが分かった。

 こういった嫌がらせのような任務があるのは呪術界で疎まれている名字の私がいるからかもしれない。私達同期はそれほど仲が良いとはいけないけれど、傍から見ればそんな風には思われないのだろう。

 そう説明し本当に申し訳なくなって謝れば、目の前に立つ夏油君は調子が狂ったかのように苦笑して首を振った。



 ◇



 高専に通い始めて幾月、夏油は名字名字という少女、また彼女ら一族について理解し始めた。

 名字一族は代々女性が当主に据えられる女系一族であり、名字の女には【予知夢】という特殊は術式を持っている。

 高専入学当初、五条からの紹介の仕方もあって夏油は救える命があるのに未来を教えないとはどういうことかと名字に思うところがあった。

 けれど呪術師として過ごしていく内に彼女らの持つ天与呪縛のことを知り、それは勘違いであったと痛感する。
 予知夢の内容を教えたが最後、天与呪縛によってトランス状態に陥り理性もないまま暴走してしまうらしい。そのため彼女達がこと慎重になるのは当然であった。
 しかし男尊女卑の激しい呪術界では女系一族であり幅を利かせている名字一族をそう陰で蔑まれていることを知る。

 そもそも最初の五条の紹介が悪かった。夏油が詳しく聞かなかったのも悪いが、何故そんな名字を悪いように言ったのかと聞けば昔名字の分家の女に弄ばれたようだった(逆恨みである)

 そんな名字一族の少女、名字名字は至ってごくまともである。むしろ逆恨みをする五条や夏油に対して何も言わず、合同任務の際には協力してくれているし突っかかってくるような真似もしない。

 しかし第一印象があまりにも悪かったため、彼女自身からやんわりと距離を置かれているのも気付いていた。同性の家入に見せるような朗らかな顔を名字は決して見せない。

『あの、ごめん。こういう嫌がらせみらいなのが多いの、もしかしたら私のせいかもしれない』

 そんな折に、家入からの提案で任務の依頼書の確認をしてもらえるかと話しかけることができた。
 けれど彼女からこぼれたその言葉を聞いて、そんな気持ちにさせたくはなかったと後悔する。

 しかし、いつも気を張り詰めた表情をする名字がしおらしく目を伏せる。夏油はそれが何だかとても可愛らしく見えた。







 あれから五条君や、特に夏油君の態度が軟化したように思える。普通に話しかけてくるようになったし「名字」と名前で呼ばれるようになった。

 五条君はあっけらかんとした性格であるため気分で態度を変えているのだろうと思っている。
 しかし夏油君が怖かった。つい先日までは澄ました顔で距離を置いてたくせに急にぐいぐいと近付いてくるのだ。やれ「任務の確認をしてくれ」だとか「名字にお礼がしたいんだ。何が好き?」と言ってくる。

 何?何が目的なんだ?あれか?私の持つ呪術界の情報や予知夢の術式が目当てなのか?
 こういきなりぐいぐい来られると困ってしまう。

「名字、ちょっといいか?」

 そして今日も私は夏油君から任務の相談を受けていた。
 いつの間にか違和感を感じる任務があれば私の方で確認するという流れが出来ており、こうして彼らと話すことが増えていた。

 しかし私だって全部の情報を持っているわけではない。私が大丈夫だと思った任務だって、もしかしたら全然大丈夫じゃない可能性だってある。
 以前自分の判断にそこまで信用しないでほしいと話せば、夏油君から「あくまで参考の一種にするまでだよ」と言われた。

「星漿体?」
「ああ」

 夏油君から渡された依頼書を見るとそれは星漿体の少女、天内理子の護衛であった。
 星漿体とは天元様に適応する人間のことで、彼女と天元様の同化が終わるまで夏油君達が護衛を務めるとのこと。
 天内さんの生い立ちと彼女が通っている学校、また任務を遂行するのが夏油君や五条君という人選を鑑みてチェックしていく。

 そしてふと思う。天元様と同化するはずの星漿体が今も尚学校に通っており、夏油君達のような学生がつくのは護衛任務としてあまりにも目立ちすぎていた。

 もしかしたら星漿体は天内さん以外にいるのかもしれない。
 天内さんは囮で他にもっと、別の──……。

 そこまで考えてあまりの醜悪さに吐き気がする。これを年端も行かない少女や学生にこなさせるのはとても惨い。

「どうした?」

 夏油君の言葉にはっと顔を上げる。
 どうしよう。これを伝えても良いのだろうか。いや、でも私の考えすぎかもしれないし……。

「可能性の話なんだけど………」

 私の杞憂かもしれないという前提でやんわりと考えを話す。話を進めるたびに夏油君の眉間が寄せられていった。



 ───そしてその日の夜、私は久しぶりに予知夢を見た。
 星漿体らしき三つ編みの少女が天元様と同化する直前、狙撃されて死ぬ未来。また彼女の付き人らしき女性が刺客に襲われ、五条君や夏油君も血まみれになって地面に伏している。

 普通に学校に通い友達と過ごしていた少女が最後に狙撃されてしまうのはあまりにも痛ましく、今まで誘拐や暗殺といった危険にさらされてきた過去の自分につい重ねてしまった。
 


 ◇



 彼らが星漿体の護衛任務に行く直前、私は高専の門前で夏油君に会っていた。ちなみに五条君は夜蛾先生から護衛任務にあたる上での注意を受けているらしく後から来るそうだ。

 予知夢の内容を話そうか悩みここまでのこのこやって来たわけだが何て話そう。いや、そもそも話しても良いのかな。

 名字一族の予知夢の開示は基本的に個人の裁量によって委ねられる。勝手に予知夢の開示を行い暴走したのであれば、それは本人の不徳の致すところであり、一族には何ら関係ないと表向きではなっているからだ。
 ただいくら縛りをつけようが念書を書こうが、気の強い名字の女達は話す時は勝手に話すため、縛りも念書も最初から意味がないのが本当のところである。

 どうしようかと思い悩んでいると夏油君が口を開いた。

「最初の頃は悪かったよ。君のことを勘違いしていた」

 そう言われて顔をあげる。
 きっと夏油君は私が彼らの任務を心配してわざわざここにやって来たと思っている。
 まあ、それもあるが予知夢の内容を開示することに悩んでいるとは思いもしないだろう。

 けれど夏油君の言葉は素直に嬉しい。
 たくさんの呪術師から嫌われ色んな蔑称で呼ばれるのは、本当はとても悲しかったから。

 そして脳裏に予知夢で見た中学生くらいの少女の姿が過ぎる。未来の開示をし、たとえ暗殺を防いだとしても結局は彼女は天元様と同化し消滅するのだ。
 予知夢の内容を話したとしても、天内さんを救う手立てには決してならないだろう。

 けれどこのまま黙って見過ごすことはできないし、もしかしたら任務を遂行する上で何か役に立てるかもしれない。

「………夏油君、今から予知夢の内容を話すね。私達の一族の天与呪縛については知ってる?」

 そう言えば夏油君は驚いたように目を丸くした。
 そして戸惑いながらも頷く彼に「私が暴走したら力づくで止めてね」と言う。

「天元様と同化する直前、天内さんや彼女の付き人のような女性が刺客に殺されるわ。体躯が良くて黒髪、口元に傷のある男から襲撃を受けて天内さんは狙撃され、付き人の女性はその道中に襲われて死亡。貴方や五条君も大怪我を負うの」

 詳しい時間やタイミングまで分からなくてごめん、と言えば夏油君は驚いた様子で私を見つめる。

 するとその瞬間、私の意識がだんだん遠くなっていった。

 ───ああ、始まってしまった。



 ◇



「───夏油君」

 予知夢の内容を開示し、トランス状態に陥ってしまった名字を呆然と見つめる。
 名字一族は天与呪縛により予知夢の内容の開示と引き換えに正気を失うのだ。

 開示された予知夢の内容に驚く暇もなく、何かに魂を奪われたかのような虚ろな眼差しで立ち尽くす彼女に夏油は身構える。

 しかしそんな夏油の考えは外れることとなった。
 名字はゆらりと体をふらつかせたかと思うと、夏油を焦点の合わない瞳で見つめ口を開く。

 そして彼女の紡ぐ言葉を聞いて、夏油は呆気にとられた。







 ───数日後。
 五条君や夏油君の話によると天内さんを狙う刺客は命からがら討伐できたそうだが、結局彼女は天元様と同化しなかったらしい。
 そこら辺の事情はよく知らないが、彼女の身元は五条家預かりとなり時期を見て海外に亡命させるそうだ。
 噂によれば天元様も安定しているそうだし奇跡的にも全て丸く収まったみたい。

 それから私はというと夏油君に予知夢の内容を話した後、いつの間にか高専の仮眠室に寝かされていた。
 護衛任務を終えた夏油君にあの後、私が何をしたのか聞いてみたのだが一向に教えてくれない。

 「大したことはしてなかったよ」と言うだけで、しつこく聞いても口を割ろうとしなかった。
 大したことしてないなら教えてよ。私は一体何をしたんだ。(名字流に言うと)狐に乗っ取られた私はどんな暴走をしたんだろう。



 そして話は変わるが、最近私に見合い話が来るようになってきた。
 名字の女当主である祖母から縁談の話や写真が続々と私のもとに集まってくるのだ。

『お前は名字の女にしては素直すぎるのよ。婿には用心深くて、少しくらい残酷な男を迎えた方が良いかもしれないわ。それから家も血も気にしないから名字の女を守れるくらい強い男が良いわね』

 電話越しに言われた祖母の言葉が頭をよぎる。
 しかし実家から送られてきた見合い写真を一通り見てみたがよく分からなかった。
 もう私も十七になるためそろそろ許嫁を決めた方が良いのかもしれないが、どんな相手を選べば良いのか検討もつかない。

 同じ名家(といっても向こうは御三家だが)の五条君に参考までに見合い事情を聞いてみたが、彼にも見合い話は引っ切りなしに来るそうだ。しかしピンとくる相手とはまだ出会えていないらしい。

『俺は女に困ってないから良いけど名字はやべーだろ。ただでさえ名字ってハンデがあんだから、早い内に決めねえと良いと思った男全員いなくなるぞ』

 五条君の言葉に少しだけカチンと来るが、彼の言っていることも理解できた。
 もたもたしていると、良いなと思った人は見知らぬお嬢さんと婚約してしまうだろう。おまけに私は名字一族。好き好んで呪術界の嫌われ者に婿入りする男もいないのだ。

 今はまだこうして見合い話が来るが、きっといずれ来なくなるだろう。
 そこまで考えると何だかとても悲しくなってきた。

「悟から聞いたよ。見合いをするんだって」
「え?あ、うん?」

 教室でぼんやりしていれば、夏油君が話しかけてくる。
 五条君も家入さんも任務でいないためここには私と彼しかいない。

 まさか夏油君の口から私の見合い話が出るとは思わず、私は適当に頷いてしまった。
 すると彼はじっと見つめて口を開く。

「嫌だろう。好きでもない相手と顔を合わせて婚約するなんて」

 そんな夏油君の言葉に首を傾げる。
 正直言うと見合い自体は嫌ではなかった。写真一枚だと相手がどんな人なのか分からないため困ってしまっただけである。
 それにいずれ私は遅かれ早かれ誰かを婿に取らなければならない。見合いだろうが何だろうがこなさなくてはならないし、もしかしたらそこから恋愛が発展していく可能性だってあった。

「別に嫌じゃないけど……」
「は?」

 そう口をもごもごさせながら言えば、夏油君はすんと真顔になった。そして「理解できないな」と言い放つ。
 何だろう。夏油君のこの感じの悪さは。気のせいかもしれないが、人を小馬鹿にしたような、見下しているような感じがありありと伺えた。

「夏油君には関係なくない?」

 そんな彼に苛立ってしまい、言わなくても良いことを言ってしまう。
 するとその瞬間ぴしりとその場が固まった。

 言うんじゃなかった……と後悔しながら夏油君をちらりと見れば彼はにこやかな表情で私を見ていた。しかし目が笑っておらず、彼の炭のような黒い目がじっと私を捉えている。

「ああいう思わせぶりなことを言っておいて、よくそんなことが言えるね」

 …………思わせぶり?

 彼の言っていることに身に覚えがなく首を傾げていれば、その様子を見た夏油君が呆れたように溜め息を吐いた。

 しかしそこでふと閃く。
 私自身覚えていないということは、まさか先日狐に乗っ取られた時何か仕出かしてしまったんじゃないだろうか。

「ねえ、やっぱり私が予知夢の内容教えた後何かあったんじゃない?」
「知らないな」
「知らないはずないでしょ」

 しつこく聞いてみるが夏油君は一向に教えてくれない。
 反対の方向に顔をそらした夏油君が愉快そうににんまりと笑みを浮かべていたのを、この時の私は知る由もなかった。



 ◇



『────あなたのことが好き。仲良くしたいの』

 名字から放たれた言葉に夏油はぽかんとする。
 好き?仲良くなりたい?

 星漿体の護衛任務の行く末を開示した名字がトランス状態に陥りぽつりとこぼした。焦点の合っていない虚ろな瞳でいるため正気を失っているのは分かるが、はっきりと告げた彼女の物言いに目を丸くする。
 名字には距離を置かれていたため、てっきり暴れるか文句を言われるかのどちらかだと思っていた。

 しかし彼女の口から出たのは夏油のことを好いているという言葉。前々からいじらしく可愛らしいと思っていた同級生の少女にそう言われ夏油は混乱した。

 一方、トランス状態に陥り正気を失った名字は夏油に愛の告白紛いのことを言ったのだが、悲しいことにそれには少々語弊があった。
 学校を通ったことがなかった名字は高専では友人がほしいと望んでおり、本当は夏油と友人として仲良くなりたかったのだ。善人ではなさそうだけど五条や家入と楽しげに話す彼に惹かれていた。

 ────あなたのことが人として好き。友人として仲良くなりたいの。

 彼女のその深層心理から、そういった気持ちが綯い交ぜとなって出てきたのである。

 しかし夏油は名字の放った言葉をそのままの意味で捉えてしまっていた。
 トランス状態に陥った彼女は友人として仲良くなりたいと言ってみせたが、夏油からすれば「恋人として仲良くなりたい」と言われているようなものだった。

 そうして名字は言うだけ言って意識を失った。

 そうか。この子は私が好きなのか。
 満更でもない。むしろ嬉しい。普段どこか澄ました彼女の時折見せるいじらしい姿が可愛らしく、しかも自分のことが好いているときた。

 しかしその後、名字から見合い話が来ていると聞き、また彼女に「夏油君は関係ないんじゃない?」と言われ気持ちがすんと沈んだのは言うまでもなかった。





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