次の日の朝、昨日置いたエサがどうなっているかが気になって、普段より少し早めに起きた私が宿舎を出ると、鬼さん、修さん、サブちゃんの3人が、私が昨日エサを置いた生垣の近くに立っていた。そっちに歩いて行くと、私に気づいた修さんが片手を上げる。
「お、マキ。おはよーさん」
「おはよう。……どうだった?」
挨拶を返して、私はおずおずと結果を訊ねた。みんなの表情があまり良いものではなくて、思わず胸の前で両手を組み合わせてしまう。3人は顔を見合わせた。それから、言いづらい事を無理矢理言葉にしているような口調で、修さんが結果を教えてくれる。
「……どれも減ってへんかったわ……」
私は何も言えなかった。みんなも口を開こうとする気配はなく、沈黙が降りる。
「ネズミ見つかったかー?」
そんな場の空気をものともしないような、気の抜けた声が後ろから飛んできた。私たちが振り返ると、あっくんが呑気にあくびなんかしながら宿舎から歩いてくるところだった。
あまりの無神経さに、私が顔をしかめながら小刻みに首を横に振ると、その意味を理解したらしいあっくんは「ああ」と呟いただけで口を閉じる。私の隣まで来ると、あっくんは地面に置かれた小皿を一瞥して肩をすくめた。
誰も何も言わなかった。
嫌な沈黙が延々と続くかと思われたが、唐突にあっくんが声を上げる。その顔がやけにあっけらかんとしていて、私はなんだか嫌な予感がした。
「これはもうアレだな。今頃食われてんだろ、猫かなんかに」
一瞬、完全に無になる空間。みんな揃って感情の見出せない目であっくんを凝視する。
その”今頃食われてる”発言に、思考停止状態で無表情だった鬼さんの顔が瞬く間に青ざめていく。ちょっといくらなんでもその言い方はないでしょ!?
「ちょっと遠野くんなんて事言ってんの?! 鬼さんの気持ちも考えなよ!!」
私が語気を強くして諌めると、修さんとサブちゃんも畳みかけるようにあっくんに非難の言葉を浴びせる。
「そうやでアツ!! ちょっと髪がサラサラで色が白いからってそれは言ったらアカンやろ!!」
「酷すぎますよ!! マキさんの幼馴染みやからって言っていい事と悪い事があるんちゃいますか?!」
「いや、お前らマジでなんなんだよ。特に寿三郎」
ふたりの完全に個人的な恨み節に顔をしかめるあっくん。サブちゃんの件は完全に私の不手際なのでちょっとだけ申し訳なく思いつつ、そのやりとりをスルーして、私は地面に膝をついてしまった鬼さんを慰めに向かった。完全に放心状態なのか、私が肩に手を置いても反応がない。そんな鬼さんを見るに耐えなくて、思いついた事を手当たり次第口にした。
「 だ、大丈夫だよ鬼さん! かえでちゃん絶対見つかるって! あと、遠野くんの言ったことなんか全っ然気にしなくていいからね! あいつペット飼ったことないからあんな無慈悲なことが言えるんだよ!」
「はあ? 前にお前ん家の猫預かってやっただろ!」
私の言葉を耳ざとく聞きつけたあっくんは、聞き捨てならないと言わんばかりに反論してきた。
私はあっくんの方を振り向いて、さらに反論を重ねる。私の脳裏に、遠野家から帰ってきた愛猫の姿が浮かんだ。どうしよう、ちょっと泣きそう。
「そんなのはカウントしません! しかもあの子、体重2キロも増えてたじゃん! どんだけ甘やかしたの?!」
「だって、どこ行っても着いてくるし、めちゃくちゃ擦り寄ってくるんだぜ? エサやる以外にどうしろっつーんだよ!」
「いや確かにそうなんだけど、そこは我慢してよ!」
私とあっくんが言い争っていると、修さんがパンパンと手を叩いて仲裁に入る。
「やめやめ! なんやもう、完全に夫婦間で飼っとる猫の話やん」
「いや、種ヶ島さんのその発言フツーに流れ弾なんですけど、それもやめてもらえます?」
「ああ、すまん。せやけど、こいつら言い争うといっつも痴話喧嘩みたいになってん。こんなんもう夫婦にしか、」
「せやからそれをやめてくださいって!! 俺の精神暗殺しようとしてます?!」
「せやったらツッキーにやってもらうわ。って、そんなことよかジュウが……」
私たちのやかましい言い争いを以てしても、鬼さんはなんの反応も示さないままだった。私たちは気まずさから口をつぐむ。
誰も鬼さんにかける言葉が見当たらず、また沈黙が降りる。
「俺は諦めねえ……」
その沈黙を破ったのは、他の誰でもない鬼さんだった。
「お前らにここまでしてもらったんだ、かえでのためにも、俺が諦めるわけにいかねえよ。……大丈夫だ、絶対に見つけてみせるからよ」
「鬼さん……」
「ジュウ、自分めちゃくちゃカッコええで。俺にできる事があったらなんでも言うてや!」
「きっと見つかりますよ! 俺も手伝える事なんでもしますから!」
「お前ら……!」
修さんとサブちゃんの温かい言葉に、鬼さんは溢れてきた涙を親指で拭う。
「私にもできる事があれば遠慮なく言ってね。大丈夫、みんなこんなに頑張ってるんだから、絶対に見つかるって!」
「ね、遠野くん!」と私が話を振ると、あっくんは面倒くさそうな顔をしながらも「ハイハイ……。まあ、諦めなきゃ見つかんだろ」と頷いてくれた。
「私たちも諦めないから」
私がそう言うと、また涙が溢れてきたみたいで、鬼さんは何度も頷きながら手の甲で涙を拭う。
その時、宿舎の方から鬼さんを呼ぶ声が聞こえてきた。何事かと思って振り返ると、奏多さんが手を振りながらこっちへ走ってくる。その顔は笑っていて、私たちも思わず笑顔で顔を見合わせた。あっくんは奏多さんの方を向いたままだったけど、少しだけ口角があがっている。素直じゃないんだから。私は小さく苦笑した。
「 昨日の夜、宿舎の2階の廊下でハムスターみたいな生き物を見たひとがいるって! かえでちゃん無事だったんだよ!」
まるで自分のことのように嬉々として話す奏多さんは、ここまで全力疾走してきたらしく、肩が大きく上下に揺れていた。
私は修さんとサブちゃんとまた顔を見合わせる。2人ともほっとしたような笑顔だった。そして、揃って鬼さんに視線を向けると、一瞬、あまりに突然の福音に理解が追いつかなかったらしく、無表情だった鬼さんの顔が、みるみるうちに笑顔になっていく。
「そうか……、良かった……!!」
「宿舎は広いし、隠れる場所も多いけど、外よりは安全だと思う。なにより、無事だってわかって本当に良かったよ……!」
奏多さんは安心したように深く息を吐いた。
鬼さんは奏多さんの肩を労うように叩いて、何度も頷く。
「ありがとうよ、入江」
奏多さんは「当たり前だよ、このくらい」と笑った。