うららかな風が、どこからか花の香りを運んでくる。真っ先に島へと降り立ったシャチは、春の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
春島でよかった!シャチは歓声をあげたい気持ちをぐっとこらえ、代わりに満面の笑みを浮かべた。隣に立つペンギンも同じように笑っている。
前の航海、ログに導かれた先は3回連続で冬島だった。シャチとペンギンは北の海育ちで極寒の気候は苦ではないものの、海に出てすら、故郷となんら変わり映えのしない景色を拝まなければならない状況に、正直、辟易していたところだ。
いいよなァ、春島。冬島の凍てつくような寒さとは無縁の、あたたかくておだやかな空気を満喫しながら、シャチはペンギンと並んで街までの一本道を歩く。まだ先は長そうだ。
街の手前には開けた野原があって、ちょうど花盛りらしい。色とりどりの花が咲き乱れているのが見える。ここが天国です、と言われても納得できそうな景色がシャチの目の前に広がっていた。
ふと、シャチの脳裏にシイラの顔が浮かぶ。花畑とシイラ、そしておれ。シャチの脳内では、カップルがキャッキャウフフしながら砂浜を走るアレの花畑Ver.が再生されているが、現実というのは残酷なもので、隣にはペンギンしかいない。
かすかな期待を込めて後ろを振り返ってみてもシイラの姿はなく、その代わりか知らないが、白とオレンジの物体がだんだんと近づいてくる。ベポだ。
おまえだけかよ〜!!と言いたいシャチだったが、ベポにはまったくなんの非もない。大人気ないのでやめることにした。
「シャチ! ペンギン!」
「よお、ベポ。あれ、シイラが一緒じゃないなんてめずらしいな」
ペンギンの言うように、ベポがシイラと一緒にいないなんて確かにめずらしい。どこかへ行くときは大体いつも一緒にいる。羨ましい限りだ。
「あ、うん。なんか、着替えてからくるって言ってた」
「え!!マジで?!」
思わず声が大きくなるシャチ。突然の大音量にベポの耳がびくっと動いた。
「う、うん。ほんとだよ。……なんかシャチ、急に元気になったな?」
だってシイラの私服だろ?!なるよそりゃ!!
「さすが女子。おれらなんか着替えるって発想自体ないもんな」
「おれ、服これしか持ってない」
「んー、ベポは服着なくてもワンチャンいける気がするよ、おれ」
「ええ?!いやだよ!恥ずかしいじゃんか!」
「”恥ずかしい”って概念あるんだな、ミンク族にも」
ペンギンが感慨深そうに呟いた。あるよ!とベポが反論する。
「そういや、シイラ、いろいろ服持ってたんだ。羨ましいよな」
「「見たの?!」」
本日二度目の大音量。こんどはペンギンも加わった。急におっきい声出すなよー!と言いながら耳を触るベポ。
「部屋に連れて行かれて、どれがいいかって聞かれたんだ」
「部屋に連れて行かれて?!」
「どれがいいかって聞かれた?!」
「「彼氏じゃん!!」」
シャチとペンギンは声をそろえる。
「キャプテンも一緒だったよ」
「「キャプテーン?!」」
「おれはよくわかんない、って言ったら、キャプテンが、これにしろって」
「「これ、とは?!」」
「えっと、なんていうんだっけな……、すごく聞いたことある名前のやつ、えーっと……、」
「ミニスカ?!」
「ちがう」
「ショートパンツ?!」
「ちがう」
「メイド服?!」
「え、なんだよそれ……、ちがうよ」
「水着かな?!」
「シャチ当てる気ないだろ!……あっ!思い出した!”ワンピース”だよ!!白の!!」
「「最高じゃん!!」」
シイラの私服で盛り上がった二人と一匹(正確には盛り上がったのは二人だけだが)は、その後も他愛ない話をしながら道を歩く。
花畑に差し掛かったところで、シャチはふと思いついた。シイラに花冠を作ってあげよう。寒いのが何より苦手だと言っていたシイラが、3回もの冬島の航海に耐えたすえの春島だ。なんだかこう、春!!を実感できることをしてあげたかった。それに、シイラは花が好きなことをシャチは知っている。きっと喜んでくれるだろうし、もしかしたらお礼にキスとかしてくれるかも!シャチの都合のよすぎる妄想はとどまるところを知らない。
街に向かうペンギンとベポに、先に行っててくれと手を振って、シャチはいそいそと花畑に向かう。
よさそうな花をいくつか摘んで、よさそうな場所を見つけてあぐらをかいて座り、さあ始めるぞ!と気合を入れたはいいものの、花冠なんて作ったのはもう遠い昔の話だ。北国の短い春、母と一緒に行った花畑で、見よう見まねで作ったことがあるだけ。……ちゃんと作れんのかな、おれ。シャチはにわかに心配になってきた。しかし、花を摘んでしまった手前、作らないわけにもいかないだろう。
それに(これは完全に下心だが)花冠を被っておれに笑いかけてくれるシイラが見たい!あわよくばお礼のキスがほしい!シャチはなんとしてでも花冠を作ろうと決意した。
しかし、作業開始からものの数分で指先が緑色に染まり始める。あれ?とシャチは思った。母の指は編み上がったあともきれいだった気がする……。
数十分くらい格闘して、やっと目標の半分の長さに到達した。最初に編み込んだ花は見るも無惨に萎れているし、なぜかはわからないが、ところどころ茎があらぬ方向に飛び出してしまっている。……やっぱりダメだったかもしれない。このまま頑張って完成させたとしても、その努力が報われないであろうことをシャチは知っている。それに自分が、絶対に諦めない!とかいう不屈の精神を持った暑苦しいタイプでないことも知っていた。ダメなものはダメなのだ。
シイラと、花冠を被って微笑むシイラを拝めるはずだった未来のおれには悪いが、花冠は諦めて、街でなにか買ったほうが賢明かもしれない。そう思ったシャチが腰を浮かそうとした矢先、目の前に影が落ちる。
「なにしてるの?」
降ってきた声に上を向くと、さんさんと輝く太陽の光を受けながら、それに負けないくらい笑顔のシイラがいる。しかも私服!街への道中、ベポが言っていた通りに白いワンピース!こんなのもう天使以外の何者でもない。天使でしかないんだけど……、タイミングわるっ!!
よりによって、さあ諦めよう!と思った矢先だ。どう答えたものか決めあぐねていると、シイラはシャチがまだ手に持っている花冠のなりそこないに気づいたらしい。満面の笑顔で指を差す。
「もしかして、花の冠つくってた?」
いいな〜!両手のこぶしを胸の横で小さく振るシイラ。え?なに?カワイイんだけど。
そう、冠つくってた。シャチは素直に頷いた。他でもないきみのためです、とは言い出せない。
「わたしも一緒に作っていい?」
しゃがんでシャチと目線を合わせたシイラが首を傾げる。一緒に、一緒に!?
もちろん!首がちぎれるんじゃないかと思うくらい頷くシャチ。
「やった!」
小さくガッツポーズを決めたシイラは、シャチのすぐ横に座った。ちょっと手を伸ばしたら身体に触れるくらいの距離だ。これはいけない。とシャチは思った。”うっかり”シイラの膝あたりに倒れ込んでしまうかもしれない。
「できたらベポにあげるんだ、ベポがかぶったら絶対かわいいよね」
満面の笑顔で同意を求めるシイラ。なんだ、ベポにやるつもりなのか……。ベポにかぶせるより自分がかぶったほうが喜ぶ人間が多いということに、どうやらシイラは気づいていないらしい。
シャチは笑うだけにしておいた。
「シャチは誰にあげるの?」
おお……、まあ、そうなるよな。男が一人で花畑で花冠作ってるんだもんな、気になるよなそりゃ。と思いつつ、シャチは考えた。シイラに、とここで素直に言ってしまうのはなんだか味気ない。
「んー……、ヒミツ」
人差し指を口に当てておどけると、シイラはうれしそうにうふふと笑う。
「わかった、ヒミツね」
しーっとシイラも人差し指を口に当てて、いたずらっぽく笑う。あれ、おれ天使と会話してる?
シャチはちらりとできそこないの花冠に視線を落とした。一緒に作ろうと言われた手前、作らないわけにはいかない。シイラにこんなものをあげるのは、シャチのここぞとばかりに高くなったプライドが許さない。
最初から作り直すか。また花を摘もうとして、ふとシイラの方をみると、その手にはもうすでに20センチくらい花が編まれていた。さすが女子!シャチは心の中で拍手を贈る。
シャチが見ているあいだにも、細い指にすいすいと花が編まれていく。海の上では女らしいところを見る機会があまりなく、シイラの細い指やら、まつ毛の長い横顔やら、普段めったに拝む機会のない鎖骨やら、花の匂いとはまた違うやわらかい匂いに、シャチは頭がくらくらしてきた。
シイラを見つめる顔は、はたから見たら通報されてもおかしくないような顔だ。視線を感じたのか、編んでいた花冠から顔を上げるシイラ。
「どうかした?」
「あ、いや、すげーきれいに編むなあって思って」
とっさに顔面を取り繕うシャチ。セーフ!
一瞬前までとんでもない顔で見られていたとは知らないシイラは、ありがとう。と照れたように微笑んで、ちらりとシャチの左手に視線を落とす。見るも無惨な花冠。シャチは、自分が凄惨な犯罪の証拠でも持っているような気分になった。
「わたしでよければ、教えようか?」
おねがいします。シャチはへらりと笑ってそう答えた。
よころんで。シイラもふわりと笑う。
そうして、シイラに編み方を教えたもらったはいいものの、出来栄えは”多少マシかな”と思えるくらいのものにとどまった。……そんなことある?
対してシイラは、くまのミンク族サイズの花冠を、シャチが人間サイズの花冠をひとつ編み上げるまでの間に完璧に編み上げていた。すげえ。シャチの口から思わず感嘆の言葉がこぼれる。シイラはにこっと笑った。
「じゃあ、あとはベポたちを探して……」
シイラがそう言いながら後ろを振り向いて、すぐに笑顔で手を振り始める。シャチもつられて振り返ると、街での用事が済んだらしいペンギンとベポ、それから(ありとあらゆるものに興味がありません、というような顔をした)キャプテンも一緒にこっちに向かって歩いてくるところだった。シイラの姿を確認したペンギンは、さっと口に両手を当てる。いまのペンギンの気持ちを代弁するとこうなる。うわー!シイラマジで私服じゃん!白のワンピース!天使か!?
ベポはうれしそうにぶんぶんと手を振りながら駆け出した。
シイラが花冠を持ったまま、両手を広げて立ち上がる。走ってきたベポはシイラの目の前で立ち止まると、ぎゅっとシイラを抱きしめた。さすがにキャプテンにするように飛びかかるようなことはしない。シイラもめいっぱい腕をベポの身体にまわしている。
いいな。と、目の前の光景を眺めながらシャチは毎回思う。自分がやったら犯罪級のことを、このシロクマはまったくなんのお咎めもなしにやってのけるし、むしろシイラはうれしそうだ。羨ましさの底が見えない。
「シイラ全然こないから、どうしたんだろうって思ってたよ。シャチとなにしてたんだ?」
シイラはうふふと笑って、作った花冠を両手で突き出した。じゃーん!という効果音つきで。
「これ作ってたの。ベポにあげるね」
「え、おれにくれるの?」
シイラは満面の笑みで頷く。ありがとう、シイラ!とにこにこしながらしゃがむベポ。シイラはその頭に花冠をそっと載せてあげた。ジャストサイズ。さすがシイラ。
感謝の意味を込めてなのか、もう一回シイラをぎゅっとするベポ。うれしそうなシイラ。羨ましすぎるので正直もうやめてほしい。
「シャチのは誰にあげるんだ?」
シイラを解放したベポがシャチの持つ花冠に指を差す。シイラはシャチを見て微笑むと、その顔のまま、ペンギンとキャプテンのほうを向いた。誰にあげるかは”ヒミツ”と言われたシイラは、どうやらペンギンかキャプテンにあげるものだと思っていたらしい。シャチは花冠をかぶるふたりを想像して苦笑いしながら、そっとシイラの頭に花冠を載せる。
ん?という表情で目の前のシャチへと顔を向けるシイラ。すっと手を伸ばして自分の頭に載せられたものを確認すると、その意味を理解したシイラの頬がだんだんと緩んでくる。
「ありがとう」
シイラが春みたいに頬を染めてふにゃりと笑う。えーっかわいい、花の妖精?!春の女神?!
そんな胸のときめきを悟られないように、シャチは緑色に染まった指で、へへ、と鼻をこする。とても蒼い、春の匂いがした。