キャプテンの船室の扉の前で、なんだか深刻な表情で立っているシイラ。さっきから、なかなか決心がつかないのか、ノックをするような格好の右手を、上げては下ろしを繰り返している。
見かねたペンギンはシイラに声をかけてみた。よっぽど目の前の扉をノックすることに全神経を集中させていたのか、びくりと細い肩がはねる。

「どうした、シイラ? キャプテンに何か用でも?」
「ああ、うん、ちょっと。……キャプテン、まだ寝てるよね?」

時計は10時を回ったところ。前日に徹夜で医学書でも読み耽っていたんだろう、キャプテンの起床時間が遅いのは珍しいことじゃない。

「だな。あとじゃダメなのか?」

シイラは、ううん…と言い淀む。

「実は、眼鏡を置き忘れてきちゃって……」
「あー、そりゃ、困るよな……」

それほど生活に支障はないんだけどね。おずおずと笑うシイラ。キャプテンの起きる時間がわかればいいが、いつ目を覚ますかなんて神のみぞ知る、だ。もしかしたら、このまま何時間も起きてこないかもしれない。
よし。とペンギンは決意した。困っているシイラを無視するなんて大罪も同然だ。決して、シイラの自分に対する株を上げるチャンスだとか、そんなことは微塵も思っていない。思ってないからな。

「じゃあ、キャプテン起こさないように取ってくるか。おれも手伝うよ」

ペンギンの提案にシイラの顔がパッと明るくなる。でもすぐに、なにかを思い出したように眉が下がった。

「でも、寝てるのに勝手に部屋に入ったら、キャプテン怒らない?」
「大丈夫だって、バレなきゃ」

そう言って笑うペンギンだが、シイラの心配は尤もだなと思った。船員の間ではまことしやかに”寝起きのキャプテン最恐”説が囁かれている。
くじ引きで決めようがジャンケンで決めようが、なぜかいつも自分がキャプテンを起こしに行く羽目になるペンギンに言わせれば、それは噂でもなんでもなくただの事実だ。寝起きのキャプテンの不機嫌そうな顔といったらないし、視線だけでひと一人ころせそうなくらいだ。もうすでに誰かが犠牲になっていると聞いてもペンギンは驚かない。
シイラが、いいのかな?というような顔をしながらも頷いたのを見て、キャプテンの船室の扉を音の立たないように慎重に開く。光の筋が暗い部屋の一角を照らした。

「眼鏡どこ?」

一歩足を踏み入れたペンギンは、シイラを振り向いて小声で尋ねる。

「机の上だと思うけど、キャプテンが動かしてるかも」

ペンギンの後ろを歩きながら、シイラも小声で応じた。
二人は空き巣よろしく息を潜めて部屋を進み、机の前にたどり着く。少しして暗闇に目が慣れてくると、机の上に置かれたものの判別ができた。積まれた本と、インク壺、万年筆、開かれたままの本とノート、そして……。

「あ、あった」

シイラは安堵したようにそう言って、本の上に置かれていた眼鏡を手に取った。つるがきちんと折り畳まれている。

「よし、じゃあ戻、」

ろう。と続くはずだった言葉は、ドサッ、という音で声にはならなかった。
ウソだろ?!
ペンギンはもう泣き出したかった。踵を返した拍子に腕が当たって、積まれていた本を床に落としてしまったのだ。実はこのとき、同時にインク壺も倒していたことなど、いまのペンギンには知る由もない。
普段なら気にもとめないような音だが、この状況下では別だ。
自分たちが動かないことでさっきの音が帳消しになるわけではないものの、ペンギンもシイラも、このまま空気すら動かさなければキャプテンが起きることはない、とでも信じきっているように微動だにしない。
数十秒の時間が過ぎた。
何も起こらない。
同時に肩の力を抜く二人だったが、う…、という声が聞こえてきて、すぐさま肩をこわばらせた。声のしたほうを見ると、キャプテンが寝返りを打っただけらしく、目を覚ます気配はない。
セーフ。ペンギンがジェスチャーをしておどけると、シイラもくすくすと笑う。
床に落とした本を拾い上げて机の上に置いたペンギンは、先に出口に向かったシイラのうしろを忍び足で追いかけた。
二人とも部屋の外にでたところで、船室の扉を慎重に閉める。さながら爆弾処理班にでもなった気分だ。……爆弾処理班が本当にこんな気分で任務に当たっているのかは知らないが。

「キャプテン起きなくてよかったね」

ほっとしたように胸を撫で下ろすシイラ。

「いやァ、一時はどうなることかと……」

ペンギンもじっとりと額にはり付いた変な汗を拭う。
ありがとう、ペンギン。こんどお礼させてね。シイラはそう言って、笑顔で手を振って歩いて行った。お礼ってなんだろうなー、と鼻の下を伸ばしながらひらひらと手を振り返すペンギン。
その背後でガチャリと音がしたことに気づくまで、あと10秒。


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