届かないまま溶ける
「……どうしよっかな」
昼下がり。繁華街から少し離れた通りの脇で、ちょうど良い段差を見つけてそこに腰を下ろした。
手には先ほど彼へのお土産として買ったケーキ入りの箱が一つ。たまにはと思って普段はあまり選ばない甘い物を選んでみたのだが、このままいくとそれも時間の経過とともに無駄になりそうだ。
「参ったな…」
ぷらん、と顔の前に持ち上げたパンプスはまあまあお気に入りの愛用品だったが、それも今日この場限りでおしまいだ。
踵の部分からポッキリと折れて使い物にならなくなってしまったそれは、今となってはただのゴミと言っても過言ではないだろう。履いて歩けないんじゃないの意味もない。
左馬刻に連絡して迎えを呼ぶことも考えたが、彼はあれで一応人の上に立つ忙しい身だ。わざわざわたしのこんな些細な用事に付き合わせる訳にはいかない。
かといってどうするかと言われば、特にこれといって思い付く打開策もないまま、無情にも過ぎていくだけの時間にはあ、と深い溜め息がこぼれた。
「………#name1#さん?」
「?」
しかし、そんな完全に手詰まり状態のわたしへ親切にも声をかけてきた人物がいたのだ。
顔を上げれば、目が合った瞬間ホッとしたようにもう一度やっぱり#name1#さんか、とわたしのことを確認するなり近付いてくる姿に、にこりと笑いかける。
「久しぶりっすね」
「うん、久しぶり一郎くん」
路肩に座り込むわたしの周りをキョロキョロと見渡してから近付いてきたということは、やはりまだ彼との関係は良くないのだろう。
いつからかパッタリと名前を聞かなくなってしまい、気付けば会うこともなくなってしまった彼のことを、わたしは恋人である彼から何も聞いていなかった。
左馬刻は自らの交友関係をベラベラと話す方ではないし、その中でもある一時期から一郎くんのことだけは不自然なほど話さなくなったが、それをあえて追求しようとは思わなかったからだ。
もちろん、恋人の良き友人としてわたしのことまで慕ってくれていた彼との交流が一切無くなってしまったことには多少の寂しさも感じたが、それだけだ。左馬刻が話さないなら、わたしからもあえて聞く必要はないと判断したから。
「……あー、その、元気してたっすか」
「うん。すっごく元気」
「なら良かったです」
「一郎くんは?今日もお仕事?」
「まあ、そんなとこっす」
「そっか。お疲れ様」
当たり障りのない会話というのは、意外にも続けることが難しい。
久しぶりに会ったということもあるだろうが、やけに緊張した様子の彼からはどことなく他人行儀な雰囲気を感じる。
「一郎くん」
「はい」
「そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。今日は左馬刻いないから」
「あー…」
「気にしすぎ。そんなに警戒するなら声なんて掛けなきゃいのに」
「それは、」
優しい彼のことだ。きっと昔の知り合いとして途方にくれている可哀想なわたしを無視出来なかったのだろう。
ほんの少し意地悪かとも思ったが、からかうようにそう言って笑えば、視線をわたしの手元に移した彼が目の前にしゃがみ込んでから、その壊れたパンプスを指差した。
「それ、折れてちゃ歩けないでしょ」
「うん」
「その様子じゃ左馬刻にも連絡してなさそうだし」
「凄い。よく分かったね」
「凄い、じゃありませんよ。どうするつもりなんですか」
「う〜ん、どうしよう」
「……相変わらず危機感の無い人っすね」
へらりと笑って答えれば、そんなわたしの呑気さに、はあ、と溜め息を吐いた一郎くんが懐から何かを取り出してみせた。
小さな紙のようなそれはおそらく名刺と呼ばれる類のもので、一度社会に出た人間ならば知らない人はいないだろう。
そのままわたしに向けて差し出されたそれを、つい癖で両手を使い受け取ったところで、見れば書かれているのは山田一郎という目の前にいる彼の名前と、一目見ただけで分かるその仕事内容だった。
「一郎くん、今は萬屋なんだね」
わたしが最後に彼と会った時、その姿はまだ真っ黒な制服に包まれていた。指定のそれを自分用にカスタマイズし、どこからどう見てもヤンチャなその風貌は高校生にしてはどこか貫禄があって、それなのに話すととても良い子で。
そういえば、あの頃は会えば真っ先に挨拶をしてくれた一郎くんとよく左馬刻に二人っきりで話すなと怒られたな、なんて昔を懐かしむように噛みしめているわたしを見て、一郎くんも何か思うところがあったのだろう。特に黙り込むわたしを見て何か言うわけでもなく、ただジッとその場で次に何を言おうか考えているようにも思えた。
「#name1#さんはさ、」
「ん?」
そして、一度視線を手元に落としてから、もう一度その視線を目の前にいたわたしへ戻した一郎くんは、どこかすがるような目でこちらを見上げ口を開いた。
「#name1#さんは、どうして今でもアイツと一緒にいるんですか」
アイツ、というのはおそらく左馬刻のことだろう。
わたしが知らないうちに、二人の間ーーーひいてはあのチームの中で何があったのかは知らないが、昔からずっと彼のことを憧れの存在として崇拝していた一郎くんのことしか知らないわたしとしては、どうにも違和感が拭えなかった。
「どうしてって聞かれても、好きだからとしか言えないよ」
「何であんな奴、」
「わたしにとってはあんな奴じゃないから」
「でも、」
「ただの好きな人なの。左馬刻は」
だから一緒にいるんだよ、と目の前で複雑そうな表情を浮かべる彼に笑って言えば、それまでジッとこちらを見つめていた視線が、不意に逸らされ下を向いた。
一郎くんには、きっと理解できないのだろう。あんなに慕っていた左馬刻のことを、今ではアイツと呼ぶほどだ。そこまで彼を変えてしまった何かが二人の間にあったからこそ、わたしのことも心配してくれているのかもしれない。
「やっぱり優しいね、一郎くんは」
「そんなんじゃないっすよ」
「そう?」
「はい。ただ悔しいだけなんで」
逸らした視線は、未だに下を向いたまま。相変わらずこちらを見ようとしない一郎くんは、それでも数秒ジッと何かを考えるように黙り込んでから、やがてもう一度わたしに視線を合わせるように顔を上げた。
左馬刻と同じ、その吸い込まれそうなほど綺麗なルビーの瞳は昔からずっと変わっていない。
「もし…」
「……」
「もし左馬刻より先に俺がアンタと出会ってたら、」
その言葉の続きを、聞くわけにはいかないと咄嗟に彼の口を押さえたわたしの判断は間違っていなかったはずだ。
だって、そうでしょう。
後とか先とか関係ない。わたしには左馬刻しかいなくて、それ以外にもし、なんてことはあり得ないのだから。
「萬屋ヤマダさん、お願い。靴を買ってきて」
暗に受け入れられないと、遮ったその意図を充分すぎるほど理解しているのだろう。
笑って言えば、歪められた表情とは裏腹に、それでも数秒置いてからかしこまりましたと言う彼の瞳は、あの時からずっと大人へと成長していた。
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