求める手


わたしがここに連れて来られてから2日。相変わらず、千景さんはわたしの監視という名目でこの部屋に居座ることが多く、日常的な会話くらいならしてくれるようになった。
もちろん、会話といってもその半数はわたしがただ一方的に話しているだけであって返事はないことの方が多い。しかし、ここに連れて来られた当初、まだ完全にわたしのことを敵だと認識していた頃の彼と比べると、その扱いは天と地ほどの差と言っても過言ではなかった。


「千景さん、寝ないんですか」
「あぁ」
「逃げませんよ、わたし」
「その言葉に嘘はないと思うが、確信は持てないんでね」


どうやら、多少の警戒は解けたものの、やはりまだ信頼には値しないようだ。彼の性格や目的を考えれば、それも当然と言えば当然のことだろうが、わたしはあと何日ここに閉じ込められていれば良いのだろう。

劇団のことが気になる。春組の公演はもうすぐだ。当の主演である千景さんがここにいて、その演出担当であるわたしが不在のまま、彼らは今をどう乗り切っているだろうか。
心配しなくても、きっといづみがなんとかしているはずだ。わたしが一人いなくても、総監督であるあの子がいれば、団員たちの心が折れることはないだろう。大丈夫だ。心配はいらない。
自分で自分に言い聞かせるように納得したフリをして、それと引き換えにズキリと痛む心に酷く嫌悪感を覚えた。


「また自己嫌悪か」


千景さんは、そんなわたしのことを嫌というほどに見透かしている。
姉がコンプレックスだと、大嫌いだったと告げたその日から、汚い感情で埋まるわたしの心が手に取るように分かるのだろう。なんとなく、それまでとは違い、自分からわたしの感情を汲み取ろうと寄り添ってくれているような気がした。
もちろん、寄り添うとは言っても、それはいつもそばにいてくれた彼のように全てを包み込む様な優しさではない。
しかし、千景さんは人間として当たり前に持っている醜い感情を否定せずにいてくれる。度合いは違えど、お互いに強く誰かを「嫌悪」として意識する気持ちがあるからだろう。とても褒められたことではないが、そこに生まれた共感というある一種の同族感情が、今のわたし達二人をかろうじて繋げている鍵なのだ。
とても最低な繋がりだろう。
誰かを憎み、誰かを嫌い、誰かを恨む可哀想な一人を、救えるのは同じような一人ではない。だからこそ、あの劇団に戻って、あの温かい人達の中で、誰かにすくい上げてもらうという幸せを感じて欲しいと願う一方で、自分には出来ないその役目を果たせる誰かがいることに胸が痛んだ。

あぁ、情けない。
また羨んで、嫉妬している。


「千景さん」
「なんだ」
「わたし達、悲しいですね」


縛られた呪縛から、抜け出す方法は知っているのに。それを失った途端息苦しくて仕方なくなってしまうわたしと、その方法には決して頼ろうとしない彼。
全く違うようで、どこか似ている彼へすがるようにふわりと笑みを向ければ、その瞬間「かもな、」と自嘲気味に笑った千景さんの瞳は揺らいでいるように見えた。


「ごめんなさい、もう寝ます」


その言葉に返事はなかった。
しかし、急激に襲いくる眠気に意識が遠のいた頃。深いまどろみの中で、誰かに泣くなと言われているような気がした。


何故だろう。分からない。
わたしは、泣いていたのだろうか。

頬を伝う涙の感触すらないのに、目元を優しく包み込むような温かさだけは感じることができて、その温かさに顔を寄せた。

不思議だ。
とても、安心する。

辛くて、苦しくて、悲しくて。真っ暗闇に染まった心の中から引きずり出してくれるような、その目一杯の優しさが、沈んだ心を軽くする。


「#name1#……」


あぁ、そうだ。
知っている。
わたしはこの優しい手を、覚えている。

この優しい手が、いつもわたしを救ってくれた。


「………い、たる、くん、」
「………」


#name1#ちゃん、といつもわたしを呼んでくれる彼の声は聞こえなかったけれど。この優しい手は、きっと彼に違いないと思った。

会いたい。
顔を見たい。

大丈夫だよ。#name1#ちゃん。と、その優しい笑顔で、わたしをここから連れた出してほしい。


至くん。


「……っ…いたるく、ん…」


ねぇ、至くん。
どこにいるの。

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