09

「所長、お疲れ様です。海の生態系について――」
「おう、ナマエ、久しぶりだな。報告だ。銃の生産体制だが――」
「お疲れ様です。鉄道、なるものの稼働する仕組みについてですが――」
「おつかれさん。新しい立体機動装置の開発だが、ちょっと遅れていて――」
「ナマエ所長!雷槍だが、いくつか連結させて――」

「……クソみてえな面してんじゃねえよ」

ナマエは机に突っ伏した。頭から煙が出そうである。目の前には大量の書類、書類、書類。壁には島の開拓に関するスケジュールと、兵器生産に関するスケジュールがずらっと貼り付けられている。
パタン、とドアが閉まる音が聞こえ、目の前に座る気配を感じて、顔を上げる。私服姿のラフな格好をしたリヴァイが座っていた。

「リヴァイだ〜〜〜……」
「……お前、どうした」

小さいため息が聞こえて、手が伸びてくる。そのまま頭をくしゃっとなでられた。

――落ち着く……。

シガンシナ区を奪還して2年、壁の外に出て約1年が経った。
初めて海を見て、それからナマエが出会ったのは、失われた技術などではなく、生きた人間がもたらす真新しい技術だった。マーレから来たというイェレナやオニャンコポンたちが教えてくれる、外の世界、技術の話。

そうして、ナマエは死ぬほど働く毎日を過ごすことになった。調査兵団技術班所長として、団長ハンジの元、オニャンコポンらと協力しながら、マーレの技術活用と島の開拓を遂行していく立場に任命されたからである。
基本的な科学知識については割と網羅していたから、オニャンコポンたちとは比較的会話ができたし、パラディ島の事情もよくわかっていたし、元調査兵団だったので足は動かなくても体力と気力があったし、とにかくナマエは適任だったのだ。

そうだとしても、実際の現場はそんなに生温いものではなかった。

義勇兵は、よいのだ。みなパラディ島に対して好意的で、オニャンコポンはなんでもちゃんと知りたがるナマエに幅広い知識をくれたし、本もたくさん貸してくれた。他の義勇兵たちも、聞けばなんでも答えてくれた。

問題は捕らえたマーレ工兵たちだった。
もちろん、イェレナたちが何らか上手いことやったのか、彼らは手は動かしてくれてはいたものの、作る技術を持つマーレ工兵たちを殺さずに力を借りると決まった以上、ナマエはあえて彼らの近くに――つまり壁の外に住み、現場にどっぷりと入ることにした。ハンジやリヴァイ、その他軍の上層部には口をそろえて心配されたが、ナマエは押し切った。

かつて、中央憲兵所属の技術者と協力したとき。あのときは、敵対していた彼らと話をして、それから一緒に雷槍の開発をして、そしてようやく何か通じるものを得られたのだ。今となっては、彼らも大切な技術班の一員である。
だからナマエは、マーレ工兵たちとも『ちゃんとした』協力関係を結ぶに、彼らと話をして一緒に何かをする必要があると思っていた。彼らは技術者だ。全員とは言わなくても、聞けば技術を語ってくれる人はいる。
悪魔と呼ばれても、いろいろな問題が発生しても、ナマエは対話を続けた。そのうち技術が、ナマエとマーレ工兵を繋げてくれた。そうして少しずつ、向こうから話しかけてくれるマーレ工兵が増えていった。

苦労ばかりだったが、それよりもわずかに楽しさが勝っていたから、ナマエはどうにかここまで来られているようなものだ。彼らからもたらされる世界の技術は、未知のものばかり。知らないことを知るのは、楽しかった。

「最近は、ちゃんと寝ているのか」

リヴァイはそう言って、ぽんぽん、としてから手を離す。ナマエも机に伏せっていた身体を起こす。

「うん、港も完成が見えてきて、最近はちょっと落ち着いた。雷槍を開発してたときよりはまし」
「そうか。あのときみたいなクマもないな」
「ない?」
「ああ、ない」

よかった、と自分の目元を押さえる。ちょっと気合が入って、ようやくまともにリヴァイの顔を見る。

「リヴァイ、久しぶりだね。今日は来るって聞いてなかったけど……」

ナマエや義勇兵が住んでいるのは、港の建設予定地からそう遠くない場所であり、反対にウォール・マリアからは馬で休みなく走って1日かかる場所だ。

「イェレナたちと一緒に来た」
「あ、そっか、今日帰ってくるって言ってたね」

数日前に、イェレナやオニャンコポンが壁内の会合に参加するために出発したのを思い出す。

「ハンジが、お前とエレンたちの様子を気にしていた」
「ハンジもリヴァイも忙しいんじゃないの?」
「あいつは忙しそうだな。俺は巨人がいねぇ分、前よりは暇だ。明日には戻るが」
「そっか」

とは言え、最近、港の建築を手伝ってくれるとのことでこちらに来た104期の面々からは、2人とも忙しさゆえになかなか捕まらないと聞いている。
リヴァイの場合は、調査兵団の訓練に時間が割かれているらしい。精鋭が減ってしまった調査兵団は、とにかく新しい兵士を育て上げる必要があったし、なにより今後のことを考えると対人戦の訓練もすべきだとの結論に至っていた。そしてリヴァイは、あの憲兵団を苦しめた切り裂きケニー直々の教え子なのだから、彼をおいて他に対人戦の訓練をできる人はいない、そういうことである。

『リヴァイ兵長に対人戦叩き込まれた兵士とか、怖すぎますよね』

と、ジャンが言っていたが、ナマエもそう思った。

「あいつらとは上手くやってんのか」
「あ、エレンたち?」
「ああ」
「うん、時々お話するし、一緒にご飯食べたりする」

104期のエレンたちとは、ヒストリアをのぞいて実はこれまでほとんど接点がなかった。調査兵団の報告書で名前や何をしてきた人かは知っていたのみである。今回の開拓でよく手伝いに来てくれていて、ナマエとしてはありがたかった。
エレンたちの間では、ナマエのことは噂にはなっていたらしい。というのも、シガンシナ区から帰還した日に、リヴァイの事で話したからである。あの松葉杖の人は誰だ、となったわけだ。
港に来てくれる時には、それこそ雷槍の開発の話や、104期が入る前までの調査兵団の話、反対にナマエが抜け104期が入ってからの話でよく盛り上がった。皆ちょうどひと回りくらい年下なので、たくさん可愛い弟や妹ができた気分である。

「みんないい子だよ。エレンはやっぱりいろいろ考えているみたいに見えるけど」
「だろうな。まあ使ってやれ、どうせ暇人なんだ」
「人手はいつでも足りないから、正直ありがたい。調査兵はタフだし。みんなには会ってく?今は多分現場にいると思うけど」
「ああ」

ナマエはぐっと伸びをして、案内するよ、と立ち上がって松葉杖を手に取る。リヴァイがドアを開けてくれた。
外に出る。この家は最近できた。仕事部屋と居室の2部屋だけの作りのもので、それがずらっと規則的に並べられている。それまでのテント暮らしからはだいぶ改善されて、割とナマエは気に入っていた。ちなみにナマエの家は1番端にあり、隣はタノの家となっている。最近になって、パラディ島内の技術者も何人かこちらに住むようになってきた。

「タノは」
「いま、工業都市に出張中。新しい時計の生産が始まるから」
「時計?」
「そう、義勇兵の人が持っているのをお願いして分解させてもらって、島の資源で再現したの」

そうか、とリヴァイはナマエの横に並んでゆったりと歩く。

「そういうの向いていそうだな」
「リヴァイ、タノと仲良いよね」
「あの鍋をいつかくれる約束をしている」

そう言えば、と思い出す。
昔、タノが作った早く水が湧く鍋に、リヴァイは随分興味を持っていた。実際、紅茶を飲むのがより手軽になるので便利なのだ。

「そんな約束をしてたんだ?」
「あの鍋は量産が難しいと聞いたからな」
「そうなの。ちょっと作るのが難しいんだよね。タノはそういうところがあるから」

しばらく歩けば、もう8割ほど完成している港が見えてくる。もともと、人を巨人にするためにあった高い壁を壊して更地にしたうえで、必要な施設を建てているところだ。

「ナマエさん、お疲れさま!」
「お疲れさま、トールさん。休憩?」
「そう!」

マーレ工兵だ。手を振って別れ、オニャンコポンを見つける。

「オニャンコポン、おかえり」
「ナマエさん、ただいまです。リヴァイ兵長もお疲れ様です」
「ああ」
「俺がいない間に、突然港の建設も進んだ気がします。やっぱり屋根がかかり始めると違う。もう完成も間近だ」

うん、と頷いて、海を見る。太陽が眩しくて、手を目の上にかざす。
1年前までは、壁の上から地平線を見つめていた。今は、水平線を。

「いつかオニャンコポンの故郷にも行けるようになるね」
「マーレから解放されたらぜひ来てください。俺の故郷を紹介したいし、ナマエさんには俺の通っていた大学の先生と話してもらいたくて。きっと楽しいと思いますから」
「うん」

ナマエは目を細める。
以前、オニャンコポンから見せてもらった、彼の故郷の街並みの写真を思い出す。まるで壁のように高くすっとした時計塔、たくさんの形や色のガラスが使われるという教会、下り坂から見える海。それらはとても美しかった。
それらの一部がマーレとの戦争によって失われてしまった、とオニャンコポンは言った。故郷を取り戻すべく、彼はパラディ島の人に希望を託しているらしい。
だが正直、ナマエはパラディ島がマーレにどう対抗すべきかどうかは、答えがよくわかっていない。協力してくれるオニャンコポンや他の義勇兵たちに対して、ナマエたちが何か恩返しすることはできるのか。恩返しするにしても、より平和的な形で実現できないのか。そして、マーレ工兵に対してはどうするのか。
都合のよい話だとはわかっているものの、調査兵団が9名しか帰ってこない、なんてことをナマエはまた経験したいとは思えなかった。

オニャンコポンを振り返る。

「これからリヴァイのこと、ちょっと案内してくるね。オニャンコポンがいなかった間の作業報告は、明日でもいいかな」
「もちろんです。リヴァイ兵長も、ゆっくりしていってください」
「ああ、ありがとう、オニャンコポン」

オニャンコポンから離れたところで、リヴァイが口を開く。

「……マーレとの付き合い方については、軍上部でも意見が割れている」

だろうな、とナマエは思う。誰も世界を相手にしたことがないのだから、判断ができないのだ。

「マーレ工兵の人たちも結局マーレの中で一部の人たちなんだろうし、実際に見に行けたらいいのにね。私たちが巨人を命がけで調査していたみたいに」
「ハンジと考えることが似ているな。あいつも同じことを言っていた」

同期の顔を思い出して、ちょっと嬉しくなる。
最近、彼女とは文書のやり取りばかりで、全然会うことができていない。

「あのあたりが104期の子たちがいるエリアだよ。屋根を上まで運んでもらってる、ほら」

と、見れば、ジャンとエレンが屋根材を持ったまま喧嘩を始めていた。馬面がとか死に急ぎ野郎がとか、なんとか言っている。

「あいつらまだやってんのか」
「いつもだよ」
「あ!ナマエさん!それに、兵長!」

サシャがこちらに気づいて、屋根の上から手を上げる。ミカサ、コニー、アルミンもこちらを振り返って、立体機動装置でしゅっと地面に降りてきた。

「兵長!」
「来てたんですね」
「お前ら」

リヴァイがアルミン達と話始める。喧嘩をしているジャンとエレンは無視だ。
ミカサはリヴァイを無視して、すっとナマエの隣に移動してきた。

「……ナマエさんは、あのチビと仲がいいんですか?」
「まあ、昔一緒に調査兵やってたからね」
「ナマエさんにはもっといい人がいる」

思わず苦笑する。ミカサはリヴァイのこととなると、いつもこの調子だ。

「確かに、リヴァイより口も態度も悪くない人はいると思う」
「ナマエさん、兵長がいいんですか」

サシャが反対側に立つ。なんか口がもぐもぐしているが、何を食べているのか。

「そういうのじゃないよ」
「ええ!そうなんですか?でも仲いいですよね?」
「それは、そうかもしれないけど」
「少なくとも兵長は、ナマエさんのこと気に入ってると思いますけどねぇ」

ぽす、とサシャの頭を軽く叩く。

「昔からの仲間だからね」
「なるほど、兵長は振られるってことなんですね!これは」

サシャの言葉に、ミカサが、ふふん、とちょっと嬉しそうな表情になる。なんでだ。全く、と笑ってしまう。

「それより2人とも、この間も練習に付き合ってくれてありがとう」

そう言えば、ミカサは別にいい、と首を振る。サシャもいえいえ!と元気に返事をしてくれる。
ナマエは、壁の外に住むようになってから、気分転換も兼ねて馬に乗る練習を始めた。動かせないのは左足首だけなのでどうにかなるんじゃないかと思っていたが、本当にどうにかなってしまった。足首に負担がかからないように独特の形状をした鐙を作ったのが功を奏した。最近は走る練習をしているので、念のため2人のどちらかに付き合ってもらっているのだ。

「ナマエさんは、やっぱり調査兵だって思います」
「そうかな」
「はい」
「……ありがとう」

恐らく、ミカサなりに励ましてくれているのかな、と思って、お礼を言う。ミカサは微笑む。
話が終わったのか、リヴァイが頭を動かしエレンとジャンの元へ向かう。華麗な腹パン。見事に2人が吹っ飛んだ。相変わらず容赦がない。

「エレン!」

ミカサはすぐにエレンに駆け寄る。彼女は本当にエレンが大切なんだな、と毎回ナマエは思う。そして、ジャンにはミカサのように気にしてくれる人がいないのがちょっとだけ可哀想だな、とも思う。

「屋根材の上に吐くなよ!」

とコニー。

「そうですよ!これから上に上げるんですから」

サシャにもそんなことを言われ、やっぱりジャンは可哀想だな、と思う。
アルミンはそれには構わずに、こちらに近寄ってきた。

「ナマエさん」
「アルミン、お疲れ様」
「作業は問題ありません。ワイドさん、とても親切で」

ワイドさん、というのは、マーレ工兵だ。

「うん、ワイドさんは頼れるから、困ったら彼に聞いてね」
「はい、そうします。あと、何か僕のほうでナマエさんの仕事、お手伝いできることはありますか?書類整理とか」
「え?」

ナマエは目をぱちくりとする。アルミンはちょっと楽しそうに笑う。

「リヴァイ兵長が」

それだけで理解した。そして、それは実際に助かるな、と思って、結局アルミンには明日は書類整理をお願いすることにした。



――気が利くんだよな、この人は。

横をゆっくり歩くリヴァイをちらっと見る。
104期たちとは別れて、リヴァイとともに夕方の港を見て回っていく。

「ナマエ、お疲れ!」
「ホッポ、お疲れ様」

時折、すれ違うマーレ人たちや義勇兵が手を振ってくれる。まもなく暗くなるので、今日の作業は仕舞いにかかっている。

リヴァイはそんな様子を見て、

「ハンジが、お前のすごさをピクシスとナイルに語っていたが、その気持ちが理解できるな」

と言った。ナマエは大きく息を吐く。

「褒めてもらえるのは嬉しいけど。でも、ここで失敗するわけにいかなかったから」
「失敗?」
「失敗したら、また皆、戦争するしかなくなっちゃうでしょ」

技術力で負けているのだ、世界に攻められたら、きっとあっという間にパラディ島は蹂躙される。義勇兵だっていつ何時気持ちが変わってしまうかわからない。マーレ工兵だって、いつかパラディ島を出ていくかもしれない。そうであれば、そもそも戦う理由がひとつでも減ったほうがいい。
だからナマエは、どうにかして『ちゃんと』仲間になりたかったのだ。ただの、作業員としてではなく。

リヴァイが、ちらりとこちらを見る。

「……港が完成するのはいつだ」
「上手くいけば、再来週かな」
「開港式のあとに、休みをとれ」

突然の言葉にナマエは目をぱちくりとさせる。

「え?無理だよ」
「あ?」

鋭い目つきで睨まれる。それでも無理なものは無理だ。

「だって鉄道開通に向けて計画を練らないといけないし、新しい雷槍とか立体機動装置の検証結果を確認しないといけない」
「2,3日くらい、誰かに任せろ」
「……なんで?」
「お前は休んだほうがいい」
「……ひとりで?」

思わずそう確認すれば、目つきがさらに酷くなった。

「ひとりじゃなかったらなんなんだ?誰かに任せろと俺は言ったんだが」
「え?リヴァイ、馬鹿なの?」
「お前には言われたくない」
「ひとりで休み取るくらいなら仕事してても変わらないじゃん」
「……仕事のし過ぎで脳味噌にクソでも詰まったか?」

ナマエは立ち止まる。リヴァイも立ち止まった。

「え、これ、リヴァイのほうが馬鹿だよね?『休め』って言うくらいなら、普通リヴァイがどっかに連れてってくれるとかじゃないの?」

リヴァイの目つきが僅かに緩まり、ちょっと戸惑うように瞳を揺らす。
しばらくして、チッと舌打ちが返ってくる。

「……わかった、ハンジに確認する」
「え、やった!じゃあ、一緒に行きたい場所があるんだけど」
「……は?」





「お前、やっぱり馬鹿だろ、そうでなければアホだな」
「どっちも違うよ。馬鹿とアホには技術班の所長は務まらないと思う」

ナマエは、立体機動装置のレバーをカチャカチャと点検する。約2年半ぶりの感覚だが、何度も手を慣らせば身体が思い出していく。それから身体にベルトを巻いていき、装置を身に着ける。
リヴァイはそんなナマエを、腕を組んで眉間にしわを寄せてただ見ていた。

「足首を壊して立体機動やる技術班所長がどこにいる」

それからナマエは、左足に厚底の靴を履き、右足に義足をつける。義足は、馬の鐙の研究から作ったもので、ふくらはぎと太ももに力がかかるようになっている。これで徒歩のトレーニングもしてみたのだが、さすがにばねの動きが上手くいかなかった。逆に立体機動で踏ん張るのには向いているのでは、と思う次第だ。
上手く調整すれば、この義足をつけているだけで乗馬も立体機動もできるようになるかもしれない。

「まあでも、それでも飛ぶくらいしか、できないけど」
「あ?飛べたら万々歳だろうが」

目の前には、巨大樹の森。立体機動の練習に最も適切な場所だ。

「てことで、リヴァイ、私が危なくなったら助けてね」

よいしょ、っと松葉杖なしで立ち上がってみる。うん、立つだけであれば足首は痛くない。いまは安定しているが、ちょっとバランスの取り方が難しい。飛び上がるときにも着地のときにも、できる限りバランスの取りやすい方法をちゃんと考えたほうがよさそうだ。

「……チッ」

彼はひとつ舌打ちをして、ようやく立体機動装置を着け始めた。まずそもそも、この巨大樹の森まで馬で行くと言ったところから彼の眉間のしわは深まってきていたのだが、ようやく諦めてくれたらしい。なんにせよ、『死にそうになったら助けて』などと、こんな難易度が高いことを頼めるのはリヴァイしかいない。

リヴァイも準備ができたのを見て、ナマエはしゅっとアンカーを飛ばし、木の上まで飛んでみる。
目標の木の枝の上に降り立つ、その瞬間バランスを崩す。――なるほど。

「オイ!」

すぐに信頼している手が背中を支える。

「お前、そんなんで……」

ナマエは次の枝に向かって、またアンカーを飛ばす。降り立つ前に真上の枝にもう一個のアンカーを飛ばして、衝撃を押さえる形をとる。衝動を押さえすぎたらしい、目標の上空で浮く形になった。ナマエはゆっくり自分の身体を降ろしていく。

――できそう。

目標は、この木から木への移動を、ちゃんと一定のリズムでできるようになること。それが安定しさえすれば、かなり自在な動きができるようになるはずだ。
何度も、何度も試行錯誤しながら繰り返す。ふたつ目に刺すアンカーの使い方が肝だ。これまで足でやっていたことを、手元でやろうとしているのだから。

「……ふっ!」

しゅ、と綺麗に着地ができる。よし、と小さくガッツポーズをとる。しゅたっ、と隣にリヴァイが降り立つ。

「……」
「……」

もう一度、この感覚を。
次の枝にアンカーを飛ばす。先程と同じようにふたつ目を飛ばす。が、飛距離が足りない。落ちる。

――このままだと、ワイヤーが……

「……!」

次の瞬間、抱きかかえられていた。強く左手で腰を支えられている。

「……」
「……ありがとう」

リヴァイは無言で、ナマエを木の上に戻す。ナマエはまた、反復練習を繰り返す。何度も落ちたり、バランスを崩したりするが、少しずつ、成功を積み重ねて行く。



「おい」

ずいぶん集中して取り組んでいたらしい。練習を始めてから、初めてリヴァイの声を聞いた気がした。

「うん?」
「一旦、昼飯にしねえか」

そう言われ、お腹が空いていることに気づく。

「もう2時だ、3時間はやってる。休憩を挟んだほうがいい」
「え、もうそんな時間なの?ごめん、声かけてくれてありがとう。……あ、その時計」

タノが手掛けたものだ。どうやら買ってくれたらしい。

「ああ、正確だからな。あいつが作るものは、役に立つ」
「タノ、それ聞いたら喜ぶよ。あとで言ってあげて」
「そうか」

昼飯を取ってくる、そう言って、リヴァイはしゅうっと飛んでいく。
ナマエは、幹に手をついて立ち上がる。前も後ろも横も、豊かな木で囲まれていて遠くまでは見通せないが、とても空気がおいしい。大きく深呼吸する。

昔、こんな感じの巨大樹の森で、リヴァイと一緒にタイムアタックをしたなと思い出す。
ルートを決めて、立体機動で移動して早くゴールにたどり着いたほうが勝ちという、単純なゲームだ。単純な割には、立体機動の訓練にもなる上に結構面白い。
確か、イザベルやファーランが死んだあとに、気晴らしになればと誘ったのだ。いつもルート決めはナマエがやっていた。普通なら難しくても、ナマエの改造した立体機動装置であれば簡単に通れるルートを考えていたので、よく文句を言われたものだ。時々ハンジやナナバやゴーグルや、他にも仲の良い調査兵たちが混ざることもあって、あのしんどい日々の中での楽しい思い出だ。

――みんな、生きていてほしかったな……

風を切る音が聞こえて、意識がそちらに向く。リヴァイがお昼ご飯の袋を片手に戻ってきた。

「おかえり」

今日のお昼用にと、ここに来る前シガンシナ区でサンドイッチを一緒に買いに行った。
ちなみに、ナマエは肉が挟んであるちょっといいサンドイッチを選んだ。肉が手に入るようになったとはいえずっと港の近くで生活しているので、どうしても海鮮が増えがちなのだ。

そのまま木の上で向かい合ってお昼ご飯を広げる。

「こっちがお前の分だな」
「うん、ありがとう。いただきます」

サンドイッチを口に含めば、久々のお肉に感動を覚える。

「でも、リヴァイ、よく休みとれたね」

そう言えば、目の前の男の眉間にしわが寄って睨まれる。

「お前が言ったんだろうが」
「そうだけど」

まさか本当にリヴァイが休みを取るとは思わなかった。絶対に言わないが、彼が休みを取ったというから、ナマエも慌ててオニャンコポンに相談して休みをもぎ取ったのだ。
そのせいで、前日までの忙しさが倍くらいの感覚だった。

「ハンジが、会いたがっていた」

リヴァイはそう言って、ぱくりとサンドイッチを食べる。

「私も会いたいなあ」
「お前ら、ウォール・マリアを越えてから、前ほどまともに会えてねえだろ」

ナマエは頷く。

「そうなの。どっちもやることが多いし、住んでる場所が遠くて」
「だろうな。今日と明日は時間を作れそうだと言っていたから、会いに行くといい」

ナマエは昨日馬車でシガンシナ区に移動してきて、適当な宿に泊まった。今日の夜も同じ宿に泊まって、明日また馬車で港に戻る予定だ。だから、今日の夜か、明日の朝は会おうと思えば会える。

「ハンジは、私が休んでること知ってる?」
「ああ、言った」

あ、面倒くさいことになりそう、と直感して天を仰ぐ。仕方がない。
ちなみに、面倒くさいのはハンジだけではない。104期にも、オニャンコポンにも、義勇兵にも、マーレ工兵にすら、ここ最近何度も聞かれている。リヴァイとはどうなの、と。

――リヴァイを、男性として好きか、なんて。

ナマエの回答は毎回決まっている。『そんなの、わからないよ』だ。リヴァイは確かに頼れる人ではあるが、何よりいろんなことが解決していないのに、好きとかどうとかを考えるに至らないというのもある。
ただ、話す機会は増えた。リヴァイがふた月に1度は港町に来ているし、ナマエも時々シガンシナ区に行っているから。何かがあるわけではない、ただ、穏やかな関係だった。

しばらくしてサンドイッチがなくなって、水分補給をし、少し休憩する。

「お前、まだ練習続けるのか」

既に食べ終わっていたらしいリヴァイに尋ねられる。

「うん、日が落ちる前くらいまではやりたいかな」
「……アンカーの向きが斜めになると、バランスを崩していることが多い」

突然のアドバイス。
リヴァイは立ち上がって、例えば、とアンカーだけ出して見せる。

「あっちの木に行く場合、いま、こういう風にアンカーを出しているだろう」
「うん」
「むしろ近づけてこっちにアンカー刺す方法も、ある」

ひとつのアンカーを抜いて、リヴァイはちょっと身体を傾けて刺し直す。

「俺の立体機動装置だと無理だが、お前のならできるだろ。着地の衝撃を吸収するときに、完全にハンマースイッチとレバーだけでコントロールする。頭と手が追いつくのかわからねえが」
「あー!なるほど」

彼は、ものすごくちゃんと、ナマエの動きを見ていてくれたらしい。

「リヴァイの言ってくれているやり方だと、確かに難しそうけど、慣れれば安定する」
「アンカーを刺す障害物が少ないところでも、立体機動ができる」
「確かに、それいい」

リヴァイはアンカーを戻す。

「あんだけ落ちるの見ていたからな」
「ありがとう、助かる。この後は今のやり方でちょっと挑戦してみる」
「ああ」

ふわり、穏やかな風が抜けていく。

お昼ご飯の箱なんかをリヴァイが戻しにいってくれ、その間ゆっくりとお腹を休ませる。イメージすれば、リヴァイの言ってくれた方法は割と上手く行く気がした。
ナマエはまたぐっと背筋を伸ばして、立ち上がった。

リヴァイが帰ってきて、練習再開。
アンカーを飛ばして、目標の木を目指す。もう一方のアンカーを刺すが、先程までと少し勝手が違う。木にぶつかる直前にリヴァイが来てくれる。

――違うな、もっと、ぎゅううううう、っと長く引く感じだ。

そのイメージで次に飛ぶ。
しゅう。
綺麗に着地。

同じように横にリヴァイが来る。

「……」
「……できたな」
「……すごい」

ナマエはもう一度、飛んでみる。
同じほどではなかったが、普通に着地ができた。

「え、すごい」
「お前は手先が器用だから、そっちのほうが向いてるのかもな」
「よくわかったね」

ふつふつと感動が胸を満たす。まるで訓練兵時代に、初めて立体機動がちゃんとできたときのような、そんな気持ちだ。

――やっぱり、立体機動、好きだな。

これができれば、どこへでも行ける気がするのだ。

「ごめん、まだ練習させて。もうちょっと、自由に動けるようになるまで」
「やりたいだけやればいい」

ナマエは飛ぶ。リヴァイが後ろで、どこか寂しそうな、それでも安心したような、そんな顔をしていることには気づかなかった。



その晩。

「えええっ!?デートじゃないの!?というか、休みに立体機動の練習してるってロマンの欠片もないな!いい感じの空気とか、そういうの、ナマエ、わかる!?あのねえ……」

と、ハンジにロマンなるものを一晩かけて説かれ、ナマエはぐったり疲れ切ってせっかくの休みを終えた。(モブリット、助けて……)