「ナマエ」
病室の前。声をかけられた。
振り返ると、やはりハンジ。それから、もうひとりの調査兵。見覚えのない顔なので、新入り兵士のはずだ。
「ハンジ?」
「ナマエ、……って、なんて顔してるの。バリス、ごめん、ちょっと待ってて」
ハンジに引っ張られて、ついて歩く。周りに人がいないあたりまで来て、彼女は歩みを止めてナマエを振り返る。
「どうしたの」
「あー……」
「……ねえナマエ、今更、私に気を使ったりしないよね」
ハンジに顔を覗き込まれるが、ナマエは目線を逸らして、それから口を閉ざす。なんて言っていいのか、わからなかった。言葉を選ぶ。
「……今回、雷槍って、巨人相手だけに使われたわけじゃ、なかったんだよね。きっと」
「……!」
先程、医療班から聞いたのだ。今回被害者は少なかったが、負傷者の中には、雷槍の破片で怪我した者がいると。
味方ですらそうであれば、きっと敵にだって雷槍は打ち込まれたはずだ。
「ナマエ、私たちは」
「違う、ハンジを――みんなを責めてるんじゃない」
巨人を倒すために、あれだけの威力が必要だったのだ。だから開発した。だけど、それが巨人だけに使われるなんて誰が決めたのだろう。
雷槍だけじゃない。銃もそうだ。なんの疑問もなく生産したけれど、兵器は人を殺す。
――それに、そもそも巨人だって、中に人間が入っているわけで。
「……私の、落ち度だと思う」
せめて、もっとちゃんと、取り回しが安全になるように機械的に制御すべきだった。それから、爆発の威力を高める以外の方法で、巨人から人間を引き出す方法を広く検討しなおすべきだった。4年もあったのだ。島の中に巨人がいないから、気が緩んでいた。
「ごめん」
「なんでナマエが謝るんだよ、違うだろ!……違う、違うんだ」
ハンジがどん、と壁を拳で叩く。
「ナマエ、違う。世の中のものは、なんでも凶器になる。使い手の問題だ」
「ハンジ、使い手の気持ちなんて、誰にも制御できない。ミスだって当然発生する。でも、兵器は制御する方法がある。開発者側の問題だよ」
「……ナマエはなにも悪くない。それに、雷槍を作ることを依頼したのは、私だ」
「違う!」
ナマエの強い語気に、ハンジがはっとこちらを見る。
「違う、仕様を最終的に決めたのは、私。だから、ハンジは何も悪くない。兵器に関することは、技術班所長の私の責任だから。……ごめん、怒鳴って」
「ナマエ」
新しい技術を使えば、もっと人類は豊かになるはずだった。
港は良かったのかもしれない、鉄道も良かったのかもしれない、他にもたくさんの細々したものも開発してきた。
ナマエが感じているのは、兵器を発展させてきたことへの抵抗感だ。戦いたくないと思いながら、ナマエはこの4年間で戦う準備をちゃくちゃくと進めていたのだ。
脳裏に巨人に無残にも食われ潰された仲間たちがこびりついて離れない。
マーレでの戦いを直接見たわけではない。だけれども、ただの人が理不尽に殺されるのは、同じ状況だったはずだ。
こんなことを、やりたかったわけじゃない気がした。
「わかってるの、兵器がなければ戦えない。戦わなければ仲間が死ぬ。だから、大切だって。違うの、私の気持ちに整理がついていないだけで……」
顔を片手で覆う。
立体機動装置を改造するところから始まった。
それから、巨人を倒して壁の外に出るために、信煙弾やら、巨人の捕獲網やら、対特定目標拘束兵器やら、他にもたくさん作ってきて、決め手は雷槍だ。
――これまでの技術開発のすべては、一体どこに繋がっているんだろう。
「ナマエ」
ハンジの落ち着いた声。
「ナマエが技術班を立ち上げて頑張ってくれたおかげで、雷槍はできた。雷槍があったから、人類はシガンシナ区を取り戻せた。それは、事実だ」
「……」
「そして確かに今回の作戦で、雷槍が住民に向けて打たれたことも、等しく事実だ。雷槍に変わる兵器が必要になるのかも、しれない。……だけど、正直なところ、まだ雷槍は必要だ」
ナマエは頷く。彼女の声を聞いていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
団長として、長年の付き合いのある友人として、冷静に話してくれているのが伝わってくる。
「そう、だね」
「私から一旦の案として提示できるのは、雷槍を使うルールを定めることだ。ちょっと今は忙しいから、後回しになってしまうけれど。その間に、ナマエは雷槍を使わないで済むような兵器を考える。そして私は、そもそも戦争をしないで済むような、そんな方法を考える。どうだろう」
ナマエはゆっくりとハンジを見上げる。彼女は、柔らかい表情でこちらを見ていた。
いつの間にか、彼女は本当にちゃんと団長になっていたらしい。
――ああ、また。
ハンジは、いつだってナマエの一歩先に進む。だからナマエは、彼女が団長になっても大丈夫だと信じられた。
「……わかった。ごめん、気を遣わせた」
ポン、と頭に手が乗る。
「そんなことは今更だろ?」
「確かに」
ナマエは、ぎゅっと目とつぶって、よし、と気合を入れて、もう一度ハンジを見る。
「ありがとう」
ふっとハンジが笑う。
「いつものナマエだね」
「そうだよ。気合入った」
「じゃあ、気合入ったナマエに。早速団長から極秘命令だ」
ハンジの表情が真剣なものになって、ぴりっと空気が引き締まる。ナマエは右手を左胸に当てる。
「実は、これからリヴァイ班のサポートを頼みたいんだけど、どうかな」
どうかな、という言い方に、思わず気が抜けて、肩が下がる。
「ねえハンジ……命令では?」
「そうだった」
ちょっとお互いに笑って、一瞬で空気が緩んだ。
「リヴァイ班は別行動になる。詳細は彼から聞いてほしい。それに、リヴァイなら兵士としても信頼できる、だろう?」
さっきの話だ。そうだね、とナマエは頷く。
「あっちで待たせてるバリスに案内してもらってね」
「了解」
改めて、彼女の顔を見上げる。
「ねえ。これだけ、やらせて」
そう言って片手を上げれば、ハンジはちょっと目を見開いて、それからそっと手を合わせてきた。ぎゅっと握られる。
「ナマエ。本当に、本当に、頼りにしているから」
唇を噛んで、泣きそうになるのをこらえる。
「……ハンジ、ありがとう」
「リヴァイ班のバリスです。よろしくお願いします、ナマエさん、ですよね」
彼はさわやかにそう自己紹介する。名前を知られていて、少し驚く。
「技術班所長のナマエです。よく名前知っているね」
今の調査兵団はシガンシナ区奪還後に加入したメンバーがほとんどで、ナマエを知っている人は少ない。ナマエが調査兵だったころの仲間は既にほとんどが死んでいた。それに世間でも、それこそハンジやリヴァイは有名だが、表に立たないナマエの名前は全くと言っていいほど知られていない。
「時々、兵長から名前を聞いてます。団長と3人で長く生き残っているって」
「あ、そうなの?まあ、私は4年前から技術班だけれども」
「でも、兵長が入団した時にはもう調査兵だったと」
「うん。ハンジと同期なの。リヴァイとたくさん話しているんだね」
そう言えば、バリスは嬉しそうに笑う。
「俺は、兵長に憧れて調査兵団を選びましたから。班に配属されてからはたくさん話を伺っています」
「なるほど」
バリスに話をせがまれて、嫌そうな顔をしながら拒否しないリヴァイの姿が目に浮かぶ。
「やっぱり、長く一緒にいらっしゃるからか、兵長と団長とナマエさんは特別信頼しあっているように見えます。104期の先輩方も。俺もそうなれたらいいなあ」
「バリスは何期?」
「3年前に入団しました。105期です」
「そっか、じゃあこれからだね」
「はい。あ、ここで少々お待ちください」
人気のないひとつの階段。バリスが軽やかに階段を降りていく。松葉杖なので気を使ってくれたらしい。
しばらくして、リヴァイが階段を上ってきた。
「来たか」
リヴァイは近くの会議室のドアを開ける。ナマエが入ると、ドアを閉めた。ナマエは適当な椅子に座る。リヴァイは壁に寄りかかって腕を組み、口を開く。
「4連の雷槍が100本、それから俺の部下の武器とガスの補給がとりあえず2週間分、必要だ」
思わず息を吐きだしてしまった。必要な雷槍の数が、多い。
リヴァイが眉を顰める。
「どうした」
「……雷槍は、何に使うの?」
「金髪のクソ髭野郎の見張りで使う。逃げ出しそうになるなら打つ。口外厳禁だ」
金髪のクソ髭……と考えて、恐らく報告書で見たジーク、獣の巨人のことだろうと気づく。今回、死んだと見せかけてマーレからこちらに寝返る、と手紙に書かれていた。
彼の意図がわからないことは、行く前から話していた。結局未だよくわからないから、隔離という対応になったのだろう。
「ちなみに、雷槍を打つのは民間人がいないところ?」
「……」
リヴァイは何か察したらしい。彼は頷く。
「幽閉先は巨大樹の森だ。巨人は殺すが、民間人は殺さない」
「わかった」
ナマエは、ハンジとリヴァイを信頼していた。
正確に言えば、ハンジが考える未来はむやみに人を殺すものではないだろうということと、リヴァイがそれを裏切るような行動をむやみにしないだろうということを、信じていた。 それは、言葉を聞いた上での信頼というよりは、これまで何年も一緒に行動してきた上での信頼だ。
「部下は何人?」
「30だ」
「ガス以外は揃っている。ガスは1週間分しか用意できない。残りのガスは、3日かかる」
「バリス以外に2人、ハンジ班の奴らをこちらから連絡と補給の担当として出す。倉庫からの搬出時にお前の指示がいる。今からできるだけ早く用意して、奴らを送り出せ。残りのガスは、用意できたタイミングでいい」
「了解。バリスたちと連携して進める」
「……もうひとつ」
ナマエは、促すように首を傾ける。
「兵団が、分裂しかかっている」
「団長に従わない人がいるの?」
「ああ。マーレに全面戦争を仕掛けたいと考えている過激派がいる。いまのエレンは地ならしをしかねないが、過激派が積極的にエレンに手を貸すことも考えられる」
本当は壁内の人類はまとまって問題を解決しなくてはならないのに、どうにもそう物事は上手くは進まないらしい。
中央憲兵との争いもそうだった。皆で巨人の問題に立ち向かえばよかったのに、そうならなかった。今回も、マーレとの関係を解決したいのに、そう上手くは行かないようだ。
「過激派……」
巨人に余程恨みがあるのだろう。仕返しをしたいと、そのために地鳴らしを起こしたいと、そりゃあそう考える人もいるか、と思う。
「お前も、自分が狙われる可能性を考慮に入れておけ」
「私が?」
少し考えて、ナマエはなるほど、と宙を見る。
「確かに、私を知っている人であれば、私を狙うメリットも知ってる、ね」
「ああ。戦争するってなったら、当然お前の知識がほしくなるに決まっている」
技術に関して言えば、3年間港町で生活してきたナマエに、知識量で敵うものはパラディ島内にはいない。つまり、何か新しい武器が欲しいとなったときにも知識が豊富なナマエがいれば作りやすくなる。
そんなわけで、過激派にとってもその存在はありがたいというわけだ。逆に影響力があると判断されて殺される可能性も、なくはない。
「それに、人質として価値があると見られる可能性がある」
そうリヴァイは言う。
ハンジやリヴァイと交渉するための人質だろう。
「私なんか人質にしても意味ないのに」
「……」
返事をしないリヴァイに焦点を合わせて、言い聞かせるように続ける。
「私には、人質としての価値はない。何かあれば、見捨てていい」
目的のためであれば、ナマエの命は切っても問題ない。これは、大局を見た時の判断だ。
知識や経験に価値はあれど、命の優先順位でいえば、足の動かない所長よりも重要な人物はたくさんいる。例えば、ハンジやリヴァイや、104期のほうが、余程生かすべき存在なのだ。
信じてるから、そうダメ押しすればリヴァイが眉間に皺を寄せた。
「ったく、うるせえな。了解した」
「その言葉が聞けて安心した」
「だが、せいぜい人質になんかならねえようにしろ。ハンジが辛くなる」
それは想像がついた。ナマエが逆の立場でも、もしハンジが人質になって見捨てなくてはならないとなったら、辛い。
「わかってる。逃げ足には自信があるから、何があってもちゃんと捕まらないようにする」
そう言えば、リヴァイの目が緩まって、呆れがありありと表情に現れた。
「足を骨折している奴の発言とは思えねえな」
「中央憲兵からも逃げきった実績があるもん。それに今は、おかげさまで立体機動もできるし、馬に乗るのもできるから」
「てめえの心配をした俺が間違っていた」
「え、心配してくれてたの?珍しい」
「当然、心配はしていた」
どストレートな物言いに驚いて、ナマエはそれから少し複雑な気持ちになる。彼は、こちらを気遣ってはくれてもこれまで心配をすることはほとんどなかったから、心配されて嬉しいような気もするし、心配をさせたくないような気もした。
「護身用の銃くらいは持っておけ。お前はどれでも使えるだろ」
大変実用的な助言に、ナマエは頷く。
松葉杖でもともと他の人よりディスアドバンテージがある分、何かあったときのために切れるカードをたくさん用意しておくことは重要だ。
「でも、人を殺すのは嫌かも」
「昔、中央憲兵が睡眠薬の入ったやつを使っていた」
「そっか!それなら手に入りそうかな。……ねえ、それ、成分さえわかれば、いろいろ活用できるよね」
「裏ではな。儲かるだろうが手は出すな」
「うーん」
「やめておけ」
「わかった」
リヴァイは壁から身を起こす。話したかったことは、これで終わりらしい。ナマエも椅子から立ち上がって、ドアに向かう。だが。
「……リヴァイ」
ドアの前で立ち止まれば、隣でドアを開けようとしていたリヴァイが手を止めてこちらを見る。
「なんだ」
ナマエは息を吸う。
「……お願い。何があっても、死なないで」
リヴァイの切れ長の目が見開かれる。
「……」
サシャの死を見て思い出したのだ。戦場では、昨日まで一緒に笑っていた誰であっても、呆気なく死んでしまう。シガンシナ区のときだって、エルヴィンすら帰ってこなかった。
昔はそれを前提として生きていたのに、4年も戦ってなかったせいで平和というものを知った。
――知らなければよかったのに。
調査兵団に入ってから、希望もないのにたくさんの仲間を殺す苦しみを知って、そして忙しいながらも平和に生きる穏やかさを知って、そのせいで戦う苦しさも平和への渇望も、より強く感じるようになってしまった。
それなのにいま調査兵団は、エレンが何を考えているのかわからなくて、島の外の人たちがどう動くのか全然想像がついていなくて、戦うのかどうかそれすらもわからない。
そんな状況下で、リヴァイとはこれからしばらく会えない。次いつ会えるのかもわからないのだ。だから、いま、言うべきだった。
「足を駄目にしたとき」
ナマエはリヴァイの目をじっと見る。
「リヴァイ、私の胸倉つかんで無駄に痛い思いさせたでしょ。お詫びに、ひとつお願い聞いてくれる約束だった」
「……」
「だから、お願い。死なないで」
『苦しんででも、生きてくれ』
リヴァイは、あのときそう言った。だから、ナマエだって彼に同じ重さのお願いをする権利くらいはあるはずだ。
彼は少しドアノブを握る自分の手を見つめてから、もう1度ナマエに視線を向けた。
その目はまるで静かで。かつてエルヴィンが死んだ話をしていた時のことを思い出させた。
「了解した。俺は何があっても死なないで、生きていると伝えるためにお前とまた会うことを約束しよう。だからナマエ、お前も、何があっても死ぬな」
ナマエは頷く。
「了解、リヴァイ」
そう答えれば、ゆるり、その目尻が下がる。
「……ひでぇ約束だ」
何言ってるの、と笑う。
「先に言ったのはリヴァイだよ」
「ああ、そうだな。ひでぇ約束をさせたもんだ」
「ほんとだよ、もう。……ほら、そろそろ、行こう」
このまま一生ドアノブを回さずに、時間がこのまま止まってくれたらいいのにと、そんな感情は心の底の、見えないところにまで押しやって。
出なくては。
ここから出なくては。
「リヴァイ、行こう」
「……ああ、行こう」
がちゃりと無骨な手がドアノブを回して。
ナマエとリヴァイは部屋の外へ、足を踏み出した。
▽
ここかな、と馬を適当な場所に止めて、降りる。それから松葉杖をついて、森の中にある目的の家に近づく。子どもたちが、外に何人かいる。ひとりの女の子が振り返る。
「だれ?」
「こんにちは、調査兵団技術班のナマエ・ヤーシュラットです。サシャ・ブラウンさんのご両親はいますか」
「すみません、こんな田舎にまで」
サシャのお母さんが、お茶を出してくれる。
「いえ、むしろ申し訳ありません、遅くなってしまって」
ナマエは、持ってきた荷物を広げる。
サシャが使っていた調査兵団のマントに、弓矢。それから兵舎に残されていた、おいしいレストラン一覧と、使われた形跡のないレシピのメモのようなものだ。
普通であれば実働部隊の誰かがこうやって遺族に遺品を返しに来るのだが、レベリオから帰還後、調査兵団の誰もが忙しく手が離せない状況だった。だから、サシャとも接点があって、最近になってようやく休みが取れるようになったナマエが来ることになったのだ。
サシャのお父さんが、マントや弓矢を手に取って、目にわずかに涙を浮かばせる。
「ナマエさんは、サシャとはどういった関係で?」
「港町の開発のときの、上司です」
「ああ、あそこの。ずいぶん活発になったようですなあ」
「ええ、おかげさまで」
「うちのが、世話になりました」
「いえ、私のほうがお世話になっていました」
港町で、一緒に馬に乗ったり、ご飯を食べたり、散歩をしたりしたのを思いだす。
少しだけ両親とは思い出話をして、それからナマエはすぐにお暇することにする。調査兵団が遺族を訪問して言うことは、たった一つだ。
「……サシャの命を、我々は決して無駄にはしません。では失礼しま、」
「ナマエさん」
優しい表情のお父さんが、ナマエの言葉を遮る。
「はい」
「ナマエさんも、命を大事に」
「……ありがとう、ございます。では、失礼します」
敬礼をし、両親に見送られ、庭の子どもたちに手を振られて、それに手を振り返して、ナマエは馬の元に戻る。
しばらく馬を走らせ。
――……。
ふと、違和感を覚えて、胸元から操作装置を抜きとった。
「……ッ!」
ナマエは、トリガーとレバーを引いて飛び上がる。地面には、鍬が土深く刺さっていた。木の上に着地する。ちょっと周りを見回せば、ひとりの女の子。
「悪魔!!!殺してやる!!!」
彼女は地面の石を手に取って、こちらに投げてくる。
立体機動で飛んで、石を避ける。早く動くことはできないが、これくらいであれば問題ない。二投目も来るが、それは幹の陰に隠れてやり過ごす。
――久しぶりに悪魔と呼ばれたなあ。
パラディ島の人間を悪魔と呼ぶのは、島の外の人間だけだ。つまり、彼女は島の外からここに来た人だ。なぜそんな子どもがここにいるのか。
「調査兵団なんて、殺してやる!!!」
また、石が投げられる。石が通り過ぎた瞬間。ナマエは隠れていた幹から顔を出して、吹き矢を吹く。命中した。
少女が倒れこむ。地面に頭をぶつける前に、立体機動で木から降りて彼女の背中を支える。
「ガビ!!!」
金髪の男の子が駆け寄ってきた。武器の類は持っていなさそうだった。
「大丈夫、寝てるだけ」
指笛を吹けば馬が戻ってきた。馬の横にひっかけたままだった松葉杖を取って支えにし、ゆっくり少女を地面に降ろしてその横に自分も座る。
珍しく調査兵団のマントを着ていたのが良くなかったらしい。技術班なので普段はマントを使わないのだが、今日はサシャの両親に会う建前上、着けていたのだ。
「あの……」
「ごめんね、突然石を投げられたから、思わず必死に」
少年に謝る。彼は
「え、あ、いえ……」
と戸惑うようにそこに立っていた。
見覚えのある腕章を、少女は着けていた。マーレで見たものだ。もし仮に彼らがマーレに住むエルディア人だとしたら、一体どうやってここに来たのだろう、と疑問を覚え、もしかしたら飛行船に乗って、サシャを殺したという少女と少年かもしれない、と思い至る。地下牢にいるはずなのだが、脱走でもしてきたのだろうか。
「今から30分くらいで起きるはず。目を覚ますまでは貴方も不安だろうし、私もここで待ってようと思うけど、どう?」
「はあ……」
「たぶん彼女、起きたら攻撃してきそうだから、私は逃げるけど」
ナマエは、先程使用した手元の吹き矢を見る。中央憲兵の使っていた睡眠薬入りの銃を改造したものだ。
この睡眠薬は結構即効性もあるらしい。便利なので本数があると良いが、成分に関する情報は全く得ることができていない。数本しか手持ちはないので、大切にする必要があった。
ベルトにつけている小さなポシェットにそれを仕舞う。
「……貴方は、何者なんですか?」
少年のごく当たり前の質問に、ナマエは正直に事実を答える。
「調査兵団技術班所長。ナマエ・ヤーシュラット」
名前を名乗ったことに驚いたのか、少年はまた瞳を揺らす。
「技術班、所長……」
「そう、雷槍とか銃とか巨人を倒すための兵器だったり、ランプとか時計とか住んでいる人の役に立ちそうなものを開発してるの」
ずっと立ったままの彼を、ナマエは見上げる。
「貴方も座ったらどう?あと、これあげる。無理に食べなくてもいいけれど」
腰のカバンから、包装されたクッキーを2つ差し出す。小腹が空いたとき用のものだ。昔は珍しいものだったが、今はもう砂糖なども以前よりかなり流通して、食べやすくなった。
ナマエも、自分用にクッキーを開けて食べる。ちょっとして、金髪の少年も少女を挟んで向こうに座る。
「ナマエ、さん」
恐る恐る、話しかけられる。
「うん」
「なんで、僕たちを、殺さないんですか」
「……」
「僕たちが……」
「……マーレから来た?」
目線を上げれば、彼は黙る。
「うん、まあ、そうなんだろうな、って思うけど」
ハンジに極秘裏に見せてもらった、エレンの父の残した書籍、3冊。
それによれば、これまで散々苦しめられてきた巨人の元凶はマーレ人らしい。それに、大陸ではマーレ人以外の人も皆この島の人を悪魔だと思っているようで、つまり世界が我々の命を狙っている。
けれども、彼らを殺そうとかそういう気分には全くなれない。子どもだからというのもあるだろうが、そもそもナマエはマーレ人もヒィズルの人もたくさん知ってしまっていて、正直敵として接する気持ちにはなれなかった。
「バカみたいだけど、殺しても何も解決しないから」
「……レベリオで、貴方たちはたくさん殺しました」
「そうだね。でも私はいま、貴方もこの子のことも殺さないし、調査兵団にこれを報告するつもりもない。例え貴方たちが、私の大切な部下を殺した人間だとしても」
少年ははっと目を見開いた。
その反応を見て、やっぱりかと思う。何の因果か、彼らがサシャを殺した子どもたちだ。
あのご両親は、彼らを見たら殺すのだろうか、と顔を思い出す。ここから彼らの家は近くはないが、けして遠くない。巡り合わせによっては会うかもしれない。
「……なぜですか」
ぽつり、耳に届いた質問に、ナマエは端的に答える。
「殺すことは別に好きじゃないし、何の解決にもならないから」
しばらく、沈黙が落ちる。
少女の脈を確認する。正常だ。
涼しい風が柔らかく通り過ぎて、木々の葉っぱが揺れる。
「あの」
話しかけられて、少年の顔を見れば彼は大変真面目な顔をしていた。元来真面目な性格なのだろう。
「うん」
「ナマエさんは、あの……足が悪いんですか?馬にも乗っていたし、立体機動もしていましたけど」
他にも聞くべきことはあるような気もするが、目の前の少年にとっては他にも勝ってそれがとても気になることだったらしい。
「うん、4年前に左足首粉砕しちゃって。巨人と戦っているときに」
添木がされ、包帯が巻かれている左足を見下ろす。4年前から変わらぬ足。ちなみに、包帯を取ると結構グロテスクな見た目だ。
「足が悪いのにこんなに動けるのは変に見える?」
そう聞けば、少年はこくり、と頷く。
少女の動きは訓練されたそれだった。少年もきっとそうだ。とすれば、普通戦線から引くはずの手負の兵士がばんばん動いているのを見れば、なおさら変に思うのかもしれない。
「義足を開発したから」
こんこん、と義足のフレームを叩いて見せる。鐙から発展した形の義足。普通の鐙と立体機動装置を使うことができる、併用型だ。ここに至るまでは、結構長かったように思う。
「ただし、乗馬と立体機動特化の義足にしちゃったせいで、普通に歩けないの。もうちょっといい設計案があればいいけど、思いつかなくて。だから、普段は松葉杖を使ってるんだよね。私は前線に戻ることもないし、立体機動なんてやる必要ないけど」
「それでも、あんなに」
足が動かないのに、立体機動をしていたことが余程衝撃だったらしい。少年を見れば、彼はじっと立体機動装置を見ていた。
今日は単独で長距離の移動になるので、過激派なる派閥に襲われた時に対処できるよう身につけていたのだ。運が良かった。襲ってきたのは過激派ではなく子どもだったが。
「……立体機動って、楽しいよ」
「戦うために使っているんじゃないんですか?」
ごもっともな質問だが、ナマエは首を横に振る。
「確かに立体機動装置があれば、巨人と戦える。でもそれだけじゃない」
「それだけじゃない……」
「自分の身体で空を飛ぶと風が気持ちいいし、どこにでも行けるようなそんな気持ちになる」
少年が少し驚いた顔で、こちらを見る。
「ちょっとわかるかもしれません。僕も、よく鳥になる夢を見る」
「そうなの?」
「はい、気持ちいいですよね」
彼も空を飛ぶ開放感を夢で知っているらしい。
「貴方もいつか、現実でも飛べるといいね」
「はい」
そう頷く少年。
頭の良さそうな子だな、と思う。あれだけ大陸では島の人を悪魔だと言っているのに、彼はあまりそれにとらわれていなさそうだ。ずっと考えている顔をしている。よく見て、考えているのだ。
しばらく待つと、少女が起きる気配がした。
――ちょうど、30分だ。
松葉杖を支えに馬に跨って、松葉杖を横に引っかける。少女は話し合う余地がなさそうなので、いつでも逃げられるようにしておきたい。
「うん、……」
「起きた?」
「ガビ、大丈夫か」
「ん……」
少女の目がこちらを捕らえた。ナマエは馬の腹を蹴る。
「……!待て!ファルコ!なんで悪魔を見逃すの!なんで止めるの!!!」
「ナマエさん!自己紹介を!忘れていました!僕はファルコって言います!!!」
後ろを振り返れば、ファルコ、と名乗った少年が少女、いやガビにボコされているのが見えた。少女は走って追いかけてくるが、馬には当然敵わない。
――ファルコと、ガビかあ。
彼らも、無事に生き延びられますように。ナマエは無心で馬を走らせた。