13


馬車が駆け抜けていく。
ナマエは窓に頬杖をつき、取りすぎていく景色をただ見る。

あのあと、すぐに準備をしてシガンシナ区を出発した。行先は、まずトロスト区。そこで馬車を乗り換えて、カラネス区へ向かう。シガンシナ区を出て2時間もすれば、周りは自然ばかりだ。
ふと、馬車が止まる。がちゃり、と馬車のドアが開く音。振り向けば、ナマエは銃を突きつけられていた。



「……本当に、私のことなんて放っておいてもいいと思うんだけど」

あっという間に、シガンシナ区に逆戻りしてきた。戻り先は、どこか宿の一室だ。ナマエはツインベッドのひとつに座る。もう1つのベッドには、イェーガー派と名乗る男がひとり、向かい合うように座っていた。

「仕方ないでしょう。この島にとって、貴方の知識はそれだけの価値があるとご認識されたほうがよいですよ」
「だから、牢屋じゃなくてこんな部屋なのね」
「そうです。丁重に待遇すべきだと」
「ご丁寧にありがとうございます。でももう室内は飽きたんだけど。外に出たいな」
「逃げるなんて考えは、お辞めになってください。無理でしょう、松葉杖で我々から逃げるなんて」

――なるほど。

我々、ということは、おそらくこの宿はイェーガー派のものであると言うことだ。
目の前の男。顔は知っている。名前は知らない。だが、シガンシナ区を奪還したあとに入団した男だ。あの時の生き残りのひとりであるフロックとよく一緒にいた気がする。

「ちなみに、貴方の名前は?」
「はい?」
「私は、ナマエ・ヤーシュラット」
「……貴方の名前は知っていますが。なんで僕が名乗る必要があるんでしょうか」

戸惑いの表情。敵だと思っている人から名乗られると、皆同様にこの表情をする。マーレ工兵も、ファルコもそうだった。

「だって、これからしばらく同じ部屋にいるんでしょ。お話し相手の名前は知りたいなって。それに、協力して島を盛り上げるために私を連れてきたはずなのに、なんで名乗る必要がないと思うの?」
「……ロンド」
「ロンドね。105期?」
「なんでわかるんですか」
「シガンシナ区奪還した後、フロックと仲良くしてたのを見たから」

シガンシナ区奪還より少しして、新しい訓練兵が配属されてきた。
調査兵団は当時英雄的扱いを受けていたので、105期以降はそれまでが嘘のように、調査兵団へ入団する人が多かった。そういえばリヴァイ信奉者だったバリスも105期と言っていた気がする。
人数が多くても覚えているのは、やっぱりフロックと一緒にいたイメージがあるからだ。

「……なんでそんなこと」
「フロックとは直接話したことはないけど、でもシガンシナ区で生き残っていたから、覚えているの。104期、皆仲がよいのに、彼はなんだかちょっと距離があるように見えて、気になってたし」

フロックが気になっていたのは事実だ。ひとりだけ港町にも来たことがなくて。
もし仮に、イェーガー派とかいう組織のトップがフロックなのだとしたら。自分の指示は甘かったことになる。彼も、104期だ。
港町のことやらヒィズルの飛空艇のことやらで頭が一杯で、まったく調査兵団内の状況を把握しきれていない自分に、少し腹が立つ。そこまでのキャパシティはなかったらしい。

「105期が入ってきてから、フロックが他の調査兵と楽しそうに話しているの見て、ちょっとだけ勝手に安心した。港町に来てくれたら、仲良くなれたかな」
「どうでしょうね。港町からマーレ人が出て行ってくれさえすれば、行ったかもしれません」
「そっかあ。やっぱり、マーレ人、嫌い?」

そう尋ねれば、ロンドは、はあ、とため息をつく。

「懐柔しようとしているのかわかりませんけど、無理ですよ。マーレ人は、俺たちの敵です。巨人に喰い殺されてきた同胞たちを、技術班所長の貴方は見たことがないだろうから仲良くできるんですよ」

彼の言葉を聞いて、ナマエは逆に、彼の目を真っすぐに見る。

「貴方は、誰を巨人に食べられたの?」
「トロスト区で、父が食われました。死体も見ました。当時訓練兵だったので、トロスト区の後処理に参加していたんです。105期の南方訓練兵はみんな、あの悲惨さを目の当たりにしています」
「それは……」

トロスト区での防衛戦は、初めて人類が巨人に勝った戦いではあったが、それでも多大な犠牲が出た。
荒れたトロスト区の後処理に、若い訓練兵も動員されたのだ。

「……あの日私、トロスト区にいたの」

ナマエは窓の外を見る。

「調査兵として」
「……え?」

トロスト区防衛戦は、4年前。当時、ここシガンシナ区は巨人の手に落ちていたことを考えると、大量の犠牲を払った結果の目覚ましい快進撃だったな、と痛みとともに感じる。

「そのときに足をやってしまって、調査兵としては使い物にならなくなっちゃったの。そのあと、当時のエルヴィン団長の命令で、実働部隊を抜けて技術班を立ち上げたんだけど」
「……」
「結局、当時の私の部下で生き残っている人は、いま、ひとりもいない」

ゴーグル。ディータ。ルーク。シャノン。クライダ。
全員の顔が、思い出せる。

返事が返ってこないのでロンドのほうを振り返れば、彼は酷く目を見開いて、こちらを見ていた。

「どうしたの?」
「当時、トロスト区防衛戦での調査兵の重傷者は1名、軽傷者は8名」
「うん」
「貴方は……2人の子どもと、母親を、見ましたか」

彼はもう既に確信しているような、それでも答えを聞くのを恐れるような、そんな目をしていた。それを見てナマエはいろんなことを察して、息を吐いた。

「……あの子どもたちとお母さんは、元気?」

ロンドが小さな声で答える。

「無事、です。母は仕事も見つかって……。あいつは――弟は、あと2年で、訓練兵に入れるようになります。末の弟は、あと3年で」
「それなら、よかった」

ナマエは目を閉じる。
彼は――ロンドは、あの子どもたちの、兄だ。

命を救えたとしても、母親や子どもたちがあのあとどうなったのかまではさすがにわからなかった。トロスト区は荒地になってしまって復興が大変だったのだ。住民間の問題もたくさん起きていた。
父親を失ってもちゃんと今まで生き残っているなら、ホッとする。

「俺の弟たちは、貴方たちのことを話してくれました。自分は女性の調査兵と、男性の調査兵に命を救われたから、2人とも調査兵に入って恩返しをしないといけないって」
「……そっか」
「でも、もしそうなら」

ロンドは聞く。

「巨人に仲間を殺されてきた貴方が、なぜマーレに対抗しないのですか?憎くないのですか。なぜ、マーレ人と仲良くできるのですか」
「違うよ、ロンド」

ナマエは瞼を上げて、ロンドを見つめる。

「殺されてきたし、私たちが殺して進んできたからだよ」

ロンドも強い視線を返してくる。彼も、考えている。答えを探している。

「私、10年間、巨人も仲間も殺してきたのに、何も解決してないの」
「……」
「シガンシナ区奪還のとき、たった9人、帰還して英雄として称えられたけれど、たった9人しか帰ってこなかった調査兵団本部の景色。あれを今でも忘れられない。それだけ仲間を殺して、その先に皆が幸せになれるような道があると信じてきたのに、結局何も解決していなくて新しい戦いが生まれてしまった。
だけど、話せばわかってくれるマーレ人がいる。彼らだって、性格が悪いからこちらを悪魔だと呼んでいるわけじゃない。だから、時間はかかるけどそうやって対話を通して、戦いの種をひとつずつつぶしていけばいい。だけど時間を稼ぐために、圧力は必要でも暴力は必要ない。
……ねえ、ロンドは、どうしても殺したいの?」

彼は黙った。
ロンドはずいぶん長いこと考えていた。その間、ナマエはずっと彼を見ていた。彼は俯いて、ずっと考えていた。す、と彼の頭が動く。

「……ごめんなさい、僕には理解ができません」

ナマエは少しだけ俯いて、また彼の顔を見る。彼もナマエを見ていた。

「貴方の話は、ただの理想論に聞こえる。こちらに攻撃的なマーレに対して、同様に攻撃をすることに妥当性はあると思います。彼らが過去、我々にしたことは許しがたい。それに、いまだって反撃しなければまた誰かが死んでしまう。そして誰かがそれを見て辛い思いをする。そんな惨状を、手をこまねいて見ていろと、貴方はそうおっしゃるのですか。トロスト区の惨状を目にした貴方が、そうおっしゃるのですか」

――理想論、か。

ナマエは俯く。
理想の世界のためでなければ、これまでの100年の歴史の中で、数百数千の調査兵は何のために心臓を捧げてきたのだろう。

「……そっか」
「僕が間違っているのかもしれない。それでも貴方の話は理解ができないし、納得ができない。まだ僕の論のほうがまともに感じられる。だから、申し訳ありませんが、貴方にはここにいてもらう必要が、……ッ!」

枕をひっつかみ、義足のばねを最大限活用して向かいのベッドに座るロンドに飛び掛かる。そのままの勢いでベッドに押し倒し、顔を枕で押さえ、声が出せないように、身動きができないように固定する。手早く腰のポーチから吹き矢を取り出し、ロンドの首に躊躇いなく刺した。枕を外せば、ロンドの表情が驚きで固まっていた。

「……な、んで……」
「ごめん、ロンド。そうだとしたら、私は貴方から逃げないといけないから」

ロンドの目がゆっくり閉じる。
ナマエは手早く彼の手と足を自分の来ていたジャケットとベッドのシーツで拘束し、ハンカチで猿轡を噛ませる。それから、窓のカーテンを破る。ここは2階だと、外の風景でわかっていた。

腰に松葉杖を括り付け、外を確認してカーテンを降ろす。

「……ごめんね」

そのままナマエは、カーテンを降りた。







身を隠しながら、馬小屋まで向かう。
自分の立体起動装置を探しに行ければベターだが、そこまでわがままは言ってられないだろう。

馬小屋には、駐屯兵が屯していた。味方か敵かもわからない。
ちょっと待つが、動く気配もなさそうだ。どこかの民家から拝借しようか、悩む。

「おい」

はっと振り返れば、ひとりの駐屯兵。ぎらりとこちらを睨みつけてくる。

「なんだ、お前、ここは住民は退去命令が出てるだろ――って」

彼はじっとナマエの顔を見つめる。

「お前、ナマエ・ヤー……!」

ナマエは、思わずその口を押さえて、シーっと人差し指を当てる。それから気づいた。
2回、壁外から単独帰還したときに、面倒を見てくれた駐屯兵団の兵士だ。びっくりして手の力を緩めるが、彼は大声は出さない。

「あ、あの、……久しぶり」

思わずそんな挨拶をする。

「お前、こんなところで何をしている?ここは壁内だぜ?」

彼は小声でそんなことを言ってくる。いやいつも壁外にいるわけではないんだけど、と思ってから、そういえばここ3年はほとんど壁外で生活していたんだった、などと気づく。いやそんなことはどうでもよい。

「ごめん、今、どうしてもトロスト区に行かないといけなくて」
「トロスト区?」
「……」

イェーガー派から逃げるため、と言ってもよいのか悩む。

「……あの、一般市民、だから」
「なにを言っているんだ、お前は調査兵、」

言いかけて、彼はナマエのもつ松葉杖に気づく。それからがしがしと頭を掻く。

「なんだ、2回も壁外から単独帰還をきめたっつーのに、兵士じゃなくなったのか?」
「うん、そうなの」

彼は呆れたように目を細めて、はあああ、とため息をつく。

「……しょうがねえ、付き合ってやる」
「あ、馬も、1頭貸してもらいたくて」

先程細められた目が、再び開く。

「何言ってるんだ?松葉杖のやつが馬に乗るってどんな冗談だよ。門まで連れてってやるから、そこで馬車でもなんでも手配しろ」
「大丈夫だから。どうしても、必要で」

彼はうーん、と腕を組んで考える。
それから、また盛大なため息を吐いて、指を3本立てる。

「ワイン」
「3杯?」
「3本に決まってるだろ」
「わかった」
「松葉杖を隠せ。ここでしゃがんで待ってろ、向こうから顔だけ見えねえようにしておけ」

彼はそのまま、馬小屋に向かって、あまりにも当然のように3頭の馬を用意しだす。
それに気づいた他の駐屯兵になにか言われていたようだったが、こちらを親指で指さしてなにかを言い、駐屯兵たちに手を振られてこちらに戻ってきた。

「ほらよ」
「ありがとう、なんで3頭も?」

彼も行くのだろうか、と疑問に思ったが、彼はそれを完全に無視する。

「で、お前、どうやって壁を越えるんだよ。その様子じゃ、どうせ訳アリなんだろ」
「あ」

シガンシナ区の出入口は奪還時にいずれも硬質化でふさいでしまい、開く方法がないため、今でも出入りにはリフトを使っているのだ。隠れて出るのは難しい。

「……だよなあ、考えてないよなあ」

指が6本。

「追加で6本?」
「ああ、いいやつな」
「あの、ワインはいいんだけど……大丈夫なの?」

思わず尋ねれば、彼はにっと綺麗な歯を見せて笑う。

「2回も壁外から帰ってくるのを見つけたのは俺だぜ?2回も命を救ってやったんだから、ここで死なれちゃ胸糞悪い」
「……ありがとう」

そのまま彼に連れられ、リフト乗り場へ向かう。だが、彼は駐屯兵のいるところはわかっているのかほとんど誰にも会わずに済んだ。
リフト乗り場には、2人の駐屯兵がいた。1人は男性で、もう1人は女性だ。待っていたほうがいいかとも思ったが、お前も一緒に来い、と言われ後ろについていく。

「よう」
「クロウさん!お疲れ様です。どうしました?」

女性がにこやかにこちらを向く。

「怪我している住民がまだ退去できてなかったらしい。トロスト区まで送ってくる」
「あら、そうでしたか。まさか、いまから駆け落ちですか?」
「悪いか」
「貴方はそういう人だと思いますよ」

女性が笑ってそう言う。だが。

「……駄目だ」

もうひとりの駐屯兵が、こちらをじっと睨む。

「おい、クロウさん、コチカ、こいつ、イェーガー派に……」

どがっ、と音がして、一発でその駐屯兵が沈む。例の彼――いや、クロウとかいう名前らしい、ナマエの命を二度救った彼が殴ったようだ。

「コチカ、わかってるな」
「わかってる。で、クロウ、彼女は連れていくの?」

コチカと呼ばれる女性は、先程までのにこやかさとは一変して、淡々と気を失った駐屯兵を服で縛り上げながら話す。

「ああ、連れていく」
「理由は?」

その横で、クロウは手際よくリフトの準備をし、そのまま馬を乗せて答える。

「こいつがいたから、2頭追加で馬を連れてこられた」
「そう、わかった」

呼ばれてリフトに乗る。コチカは、近くの家の中に縛り上げた駐屯兵を隠してくると、同じようにリフトに乗った。しゅるしゅる、とリフトが上がっていく。シガンシナ区が遠く、遠くなっていく。
壁のてっぺんに到達すれば、そこには3人、駐屯兵がいた。彼らが、え、と驚いたようにこちらを見る。

「クロウさん? それに、コチカ、どうした」
「クロウさん、今日は……」

言葉の途中で、駐屯兵が倒れる。コチカが飛び蹴りを食らわせたのだ。もうひとりも、3人のうちのひとり、フードを被った駐屯兵が殴りかかり気絶した。

「……え?」

ナマエは戸惑った。あまりにも状況が理解できない。

「……こいつは」

フードを被った男が、ちらっとこっちを見てから、クロウを見る。

「腐れ縁だ」
「……わかった」
「さっさとずらかるぞ」

ナマエは目をパチクリとして、そのまま馬を引くクロウについて反対側のリフトに乗る。コチカに加えて、フードの男も乗ってきた。
そのまま、ナマエはウォール・マリアを越えた。



ナマエは3人と並べて馬を走らせる。
初め、クロウがナマエと相乗りすると言っていたのだが、ナマエがあまりにも自然に松葉杖を腰につけて馬に乗ったのを見て、コチカという女性とラッテというフードの男性が相乗りすることになった。ナマエが普通に馬に乗ったことに、3人は初め相当驚いていた。クロウは、お前やばいやつだな、と言った趣旨の感想を10回は漏らした。

「それで、あの……」

シガンシナ区から1時間ほど全力で走り、もう大丈夫かと少しスピードを緩めたところでクロウを見れば、彼は、ああ、と笑った。
どうやら、クロウとコチカ、そしてラッテは、駐屯兵団から抜け出すタイミングを見計らっていたらしい。だが、馬を確保することが難しかった。3人がそれぞれ1頭ずつ馬小屋から引いてしまえば、目立つからだ。
そこに、ちょうどナマエが現れた。一般市民を送っていくことを口実に、荷物を乗せるからと余分に馬を持ち出せると判断しての、あの行動だったようだ。

「このまま駐屯兵団にいてもジリ貧だからね」

コチカの言葉に、クロウが頷く。

「最近のシガンシナ区はこう、あまりにもきな臭かったからな。こんなところでおめおめ死んでられねえっての」

そう言ってから、クロウは、あ、とナマエを見る。

「悪いな、あんたの前でこんなこと言うべきじゃなかったか」

ナマエは首を横に振る。

「いいと思う。実際、ちょっとシガンシナ区の雰囲気はちょっと……まずい感じがする」
「それで、あなたは?なんで民間人がシガンシナ区に?」

コチカが、ラッテの後ろからナマエを見る。ラッテは真っすぐ前を向いたまま、馬の手綱を握っている。

「……えっと」
「あ、もしかして、知らないほうがいい話かな。そしたら聞かない」

ナマエはごめんなさい、と謝る。

「知らなかったことにしてください」
「そうね、わかった。私たちはトロスト区に行くけど、あなたは?」
「途中で、カラネス区方面に」

トロスト区への入口も岩で閉ざされており、イェーガー派に顔が割れているナマエは入ることが難しい可能性がある、と判断したためだ。巨人討伐後、基本的には門は開門しておくようになったので、むしろ直接カラネス区に向かえば問題なく中に入れるはずだ。
なにより、ナマエがトロスト区へ向かっていたことは、イェーガー派にも知られている。壁と壁の間は広いとはいえ、追手に見つかるリスクも高い。実際、1回見つかっているのだ。

「なんだ、本当に駆け落ちかなと思ったのに」

コチカがそう言えば、クロウが肩をすくめる。

「俺は駆け落ちしてもいいがな」
「ううん、彼女は多分だめ。貴方なんかじゃ釣り合わないわ」
「コチカ、これでも俺はそこそこモテるんだぜ?」
「知ってるけど、まともな人からはモテないじゃない。例外よ例外」
「……モテるかどうかは別として、駆け落ちは最終手段だな」

わちゃわちゃと話す3人の雰囲気に、なんとなくナマエは懐かしさを覚えていた。エルヴィンや、ミケや、ナナバや、他にもたくさんの調査兵が生きていた時とどこか似たようなところがあった。

――いいなあ。

思い出せば、そんな大切な仲間を殺してしまった悲しさと、そしてそんな仲間と一緒に生きている彼らへの羨ましさとで、胸が苦しかった。それでも、苦しくても、あまりにもなじみ深い空気ゆえに息ができた。

ナマエはただ黙って、3人の心地よい会話を耳に、トロスト区に向けて馬を走らせた。


事が起きたのは、唐突だった。
もう間もなく、トロスト区を出て3時間が経とうとしているときだった。ナマエは、少し先のところで3人と別れてカラネス区方面に道を逸れようと、そんなことを考えていた時だ。
ふと、3人の身体が、びくり、と跳ねた。

「……なんだ? 今、電流が走ったみてえな」
「私も」
「……俺もだ」

体に異常はないんだけどな、とコチカが自分の体をチェックしていく。

――電流?

ナマエは、はっと目を見開く。巨人化のときにそういう症状が出る、とハンジが言っていた。
エルディア人は、脊髄液を注射したり飲むことで巨人になる。だがいま3人は、巨人になっていない。脊髄液を摂取してもすぐには巨人にならないこともあるのだろうか、などと色々な疑問が浮かんでくる。
いずれにしても、エレンかジークの仕業だと考えるのが妥当だ。ジークは巨人を操ることができるらしいから、その可能性もあるかもしれない。

さっぱり確証がない。ナマエはだが、ひとつだけ断言する。

「早く、シガンシナ区から離れたほうがいいです」

3人がこちらをじっと見る。
ナマエは考える。シガンシナ区にいるエレンと、巨大樹の森にいるジークからは、離れたほうがよい。操るには範囲の限界がある。ないのであればジークはこれまでもっとたくさんの巨人を操って壁内を攻めてきたはずだ。その範囲さえ、出られれば。

「少なくとも、トロスト区までは早く行かないと」
「なぜだ」

3人を見れば、揃って真意を確かめるようにこちらを見ていた。ナマエもそれを見返して、馬の腹を蹴る。

「離れないと、3人が危険だから。急ぎます!」
「……わかった。お前ら、急ぐぞ」

後ろから、馬の走る音がついてくる。3人が範囲外から出るのは、間に合うだろうか。間に合わなかったときに、ここには誰も巨人と戦える人がいないのでリスクが大きいが、それでも命の恩人の3人を置いていくなんてことは考えられない。賭けだ。
間に合うことを祈るしかなかった。







――雨だ。

目を開けば、大ぶりの雨であった。左足が痛む。いまでも、こういった酷い天気の時にはぶり返す。長時間馬に乗っていたせいですでに足が痛いところに、追い打ちがかかっていた。動くことは危険だと判断し、ナマエは義足を外して、身体を横にしたまま雨宿りを続ける。横で馬もじっと雨を見ていた。

あのあと2時間全力で走り、トロスト区が見えてくる前にナマエは3人と別れてカラネス区方面に道を逸れた。シガンシナ区と巨大樹の森から距離もとれたので、3人は安全だと思いたい。
その後、ナマエは夜通し馬で走ってカラネス区に向かっていた。ナマエは、何よりも生き残らなくてはならない。朝日が見えるころにはさすがに足が痛んできて、ちょっと木の下で休憩をしているうちに寝てしまったらしい。

ぼんやりと雨を眺める。視界が薄れるくらいの雨だ。

初めてリヴァイが壁外調査に参加して、そして彼の仲間だったイザベルとファーランが死んだ日もこんな雨だったな、などと思い出す。
あの日、エルヴィンとミケとリヴァイの3人が本隊に合流したとき、エルヴィンの手が真っ赤に血で染まっているのを見て、そしてリヴァイの表情を見て、ナマエはイザベルとファーランが死んだのだと、きっとエルヴィンとリヴァイの間でひと悶着あったのだろうと状況をすぐに理解した。

雨が上がって、はぐれた調査兵が集まってから、死体の回収をした。あの日は、雨のせいで被害が大きかった。並べられ、布で覆われた2人の横に膝をつくリヴァイに、ナマエは、死体に触れていいか声をかけた。彼は答えなかったが、小型のナイフで彼らの腕章を取るナマエのことを止めはしなかった。

それは、バレットがナマエを守るために目の前で喰われたときに、他の先輩がナマエにしてくれたことでもあった。

『これが、バレットの生きた証だ。忘れねえように持っておけ』

ナマエにとってバレットの死は、仲間を失いたくないと強く思うきっかけだった。

『これが、2人の生きた証。忘れないように、持っておいて』

取った腕章を2つ、リヴァイに渡したときに、ようやく目が合った。少し驚いたように目を見開いていた。彼はそのまま黙って腕章を受け取って、ひとりでどこかに行ってしまった。泣いていたのだろうが、あとでちゃんとお礼の言葉はくれた。


結局、数えきれないほどの仲間を失ってきた。ナマエが調査兵だったころに一緒に活動していた仲間たちは、いまもうハンジとリヴァイしかいない。

たった、3人。たったの、3人だ。

こんなに死んだんだから、そろそろ世界平和みたいなものが実現してほしい、と心底思う。

それを理想論だとばっさり切り捨てたロンドのことを思い出す。彼は、許しがたい、という言葉を選んでいた。それにこのままでは、もっと辛い思いをする人が増えると。悲しいことに、ナマエもロンドの話が理解できなかった。なぜ、大切な人を失うという同じ経験をしているはずなのにあんなにもすれ違ったのか、ナマエは不思議だった。

――ハンジ。私も、わからないよ……。

ハンジは無事だろうか。そして、リヴァイは。







空を見上げる。綺麗で、大きな虹だ。これまでに見たことがないほどくっきりとしていて、どこか怖いほどだった。
ナマエは、義足を着け、幹に手をついて立ち上がる。まだ痛みはあるが、進んだほうがいいだろう。

「行こっか」

馬が、ぶるりと身体を振るわせて、水しぶきを飛ばす。
松葉杖を支えに馬に乗って、松葉杖を横にひっかける。

足の痛みがひどく、走るのは無理そうだった。ゆっくりと足を進めていく。雨が降った後だからか空気がおいしい。そのうちに太陽が真南を越え、東側を進んでいく。

少し悩んで、それからナマエは決める。

――遠回りになるけれど、巨大樹の森に、少し寄ってみよう。



リヴァイがいるはずの巨大樹の森は、ひどく静かだった。ナマエはゆっくりと巨大樹の森の中に入っていく。
巨大樹の森は広い。それに、ナマエはリヴァイが巨大樹の森の中の、どこにいるのかまでは知らされていなかった。馬に乗って、探索を進める。

「あ」

しばらくして、ナマエは巨人を見つけた。
なにかあったことは確実だ。しかも、遠くにも巨人が倒れていた。

――綺麗に削がれてる……。

間違いなく、リヴァイの切った跡だろう。だが、すでにこの島に無垢の巨人はいないはずだ。なぜ、こんなところにいるのだろうか。
ナマエは、そのまま巨人の死体をたどっていく。すぐに、目的地らしい場所は見つけた。

崩れたテント。10体……いや、20体を越える巨人の死体の山。
上を見上げれば、木に残る爪痕のようなもの。

「どういうこと……」

リヴァイは、生きているのだろうか。

ナマエは少し息を吸って、馬を降りる。地面を見ると血はすでに流れてしまっていて、恐らくこの激闘があったのは少なくとも雨の前だと想定された。
松葉杖をついて、巨人と巨人の間を抜け、つぶれたテントを巨人の下から引き抜いてみる。が、当然巨人は重くて、そんなことは叶わなかった。
もう少し周りを広く歩く。松葉杖で大量の巨人たちの間を歩くのは、なかなかにハードだ。巨人の死体が少なくなって、何もないかな、と思ったとき、木と木の間にテントが見えた。近づけば、10個程のテントが並んでいる。調査兵団が、ここで寝泊りしていたのだろう。巨人の死体で一部潰れてはいたが、ほとんど被害はない。中を見られそうだ。
まだ太陽の光はあるが、さすがにテントの中は暗く、光る鉱石のランプをつける。名前の書かれた箱があって、そこに私物が入っていた。バリスの名前も見つける。ひとつひとつ、名前を確認していく。

なんとなく、嫌な予想をしてしまう。
――あそこで死んでいる巨人は、もしかしたら元調査兵団なのでは、などと。

ゆるり、首を振る。そんなことは。
だが、もしも、もしも仮にそれが正しいのだとすれば、なんらかの形で全員が髄液を摂取していないといけない。そして、それをジークが操った。だが、リヴァイが巨人を殺した跡があるのだから、彼だけは巨人化しなかったと考えるのが自然だ。髄液を摂取することを避けたのだろうか。あるいはアッカーマンだからだろうか。

昨日のクロウ達の様子を思い出す。あの時だ、とパズルのピースがはまっていく。
きっとあの時、ジークが巨人を操ったのだ。
となれば、かなり時間は経っている。

次のテントに入って、ナマエはここにリヴァイの箱があると確信した。テントの中の綺麗さが、段違いだった。すぐにリヴァイの箱を見つける。箱を引っ張り出して、開く。綺麗に畳まれたシャツや下着が入っていた。丁寧に取り出していって中身が空っぽになる。が、底に違和感を覚えた。押せば、やはり二重底になっていた。それを取り除けば、紙の束と、一番上に、手紙。

『ナマエ』と綺麗な文字で書かれている。

――そういえば、文字、教えたなあ。

もう10年前のことなのか、と少し驚くとともに、そんなことなどすっかり忘れるくらいには、リヴァイは地上の生活に馴染んでいることに気づく。地下から地上に出てすぐは、本当に態度も口も悪かったのだ。口は今でも悪いけれど。

とりあえず手紙を横において、紙の束を見る。報告書だ。なぜこんなところに報告書があるのか、と思いつつ、ざっと目を通していく。最後の日付は、2日前だ。ということは、やっぱりこの事件が発生したのは昨日だということで間違いない。

「どうしよう」

手紙の端っこをつまんで、ぺらぺらと眺める。開くか、開かないでおくか。
とりあえず、書類と手紙だけ持って、それ以外をもとのように戻す。それから周囲を簡単に探索するが、まったく人がいる気配がしない。
リヴァイはここにいない、きっと、獣の巨人を追っているはずだと結論付ける。まだきっと、死んではいないと、そう思いたい。


――そして、それは突然の出来事だった。


ひどい地響き。

巨大樹がゆらゆらと揺れている。ナマエは、巨大樹に手をついて、振動に耐える。指笛を使っても、馬は来ない。なにより、音が大きすぎて、聞こえないだろう。

ナマエは、はっと直感する。

「地鳴らし……!」



――全てのユミルの民に告ぐ。