終章


「ねえ、見てよ。ナマエ、あんなにたくさん、巨人がいる」

ふわり、立体機動で浮けば、眼下に巨人がいた。

「うわあ、本当だ。すごい。こんなに巨人っているんだね」
「この何十万体もの壁の巨人が、もともとは人間だったんだと思うとすごいなあ」
「壁の中に100年もずっといるの、飽き飽きしそう」
「本当だよね。壁の巨人として選ばれることは名誉なことだったのか、あるいは、いまようやく自由になったと思っているのか。彼らはどうなんだろう」

蒸気と熱を発しながら歩みを進める、巨人。

「巨人って、やっぱり素晴らしいな」

その言葉に、ナマエは頷く。

「ハンジが研究を続けた理由もわかるよ」

ハンジは軽やかにくるりと回る。

「ねえ、ナマエ、エレンが、この巨人を率いてるんだよ」
「うん」
「私は結局、彼に答えを出してあげることができなかったな」

不思議な骨格が浮いている。あれが、104期のエレン。

「難しい問いだったね」
「大人の責務として、彼の問いに答えてやりたかった」
「私はもうちょっと考える時間がありそう」
「答えが出たら、あとで私にも教えてほしい」
「出るかわからないけど」

まだやり残したことがたくさんあるから、と言えば、ハンジは首を傾げる。

「何をやり残しているの」
「いろいろな人から背負わされたものの消化。ハンジにも、エルヴィン元団長にも、他にも」
「エルヴィンにも?」
「うん。あの人、世界をくまなく見て壁外に人類がいるかを確認したいんだって。人類がいることはもうわかったけど、絶対それじゃ満足しないよね?」
「あはは!しないだろうねえ」
「だから、もうちょっとちゃんとどんな人類がいるのか見ようと思って。想定以上に世界が広かったから、ちょっと安請け合いしすぎかもしれないけど」
「背負わされたね。私の分も、忘れないでね」
「えっと、壁外の世界を知りたいのと、巨人についてもっと知りたいのと、あと、さっきのエレンへの回答ね。なんか一個一個重いし、多い気がするけど」
「よろしく頼んだよ、親友」

思わずハンジを見れば、満面の笑顔。

「あと、リヴァイは治療しておいたから」
「え?」
「ちゃんと仲良くやるんだよ」
「仲はいいと思うけど」
「本当にナマエは鈍感だな」
「……違うよ。気づいてるけど、気づかないようにしてるだけ」
「……そうか」

ハンジが片手を上げる。

「皆と見てるからね。背負ってくれる2人には、ちゃんと幸せになってもらいたい」

その手に、ナマエも片手をぶつける。

「ハンジ、ありがとう。……ちゃんと、見ててね」






目を開く。

――さぁぁぁぁぁぁ……


風が通る。濃い緑の葉が散っていく。

たくさんの視線を感じる。仲間たちが、こちらを見ている。

「ねえ、もう終わったのかな」

最後の壁の巨人が、パラディ島を後にして3日。
ナマエは、巨大樹の森の中で、死んだ巨人たちに囲まれながらひとり地面に転がってじっと青い空を見上げる。壁の巨人がいなくなってから、パラディ島は3日間、快晴が続いていた。

ナマエはここからずっと動かなかった。
生き残るのであれば、それが最善策である。ここに戻ってくる人など、1人もいるはずがない。地鳴らしがあっても巨大樹は倒れない。天然の要塞だ。

ナマエの横には、リヴァイの書いた報告書と、開いた手紙。

どうやら、大変暇だったらしい。暇すぎて、調査兵団に送る報告書をわざわざ二部書いて、一部を生き残るであろうナマエ向けに手元に残しておいた、と手紙に書かれていた。暇すぎるでしょ、とナマエは思う。そもそも手元に残しておいても会うなりして渡さなければ意味がない。今回はナマエがここに来ようと思ったから、運がよかった。いや、彼はまたこれを持って会えると思っていたのかもしれないが。
読むか読まないか散々迷った手紙には、実際のところ大したことは書かれていなかった。イェーガー派が反乱を起こしたから気をつけろとか、今更すぎる話だ。いろいろ考えてしまって迷った時間を返してほしいくらいだ。


しゅううう、と湯気が湧くような音がして、巨人が突然に蒸発し始めた。

ナマエは身体を起こし、巨大樹に寄りかかる。
周囲が白くなって、全ての巨人の陰から、おぼろげに調査兵の影が見える。その中にバリスもいた。彼はこちらを見て、さわやかに笑って握った右手を心臓に当てる。やっぱりこの巨人たちは、調査兵だったのだ。

巨人が、消えていく。


――もしかして、終わったのかな。


「私は直接は見られないけど――みんなは、ちゃんと見られたかな」
「みんなの心臓を捧げた、先――」


周りを見れば、それだけじゃない。

皆が、いた。皆が、右手を心臓に当てて。
ハンジが、エルヴィンが、ミケが、ナナバが、バレットが、イザベルが、ファーランが、ゴーグルが、ディータが、シャノンが、ルークが、クライダが。
テレンが、そして、タノが、イディが。

それに、懐かしい祖父がいた。彼の後ろには、見知らぬ人たちもたくさんいた。きっと、これまでの技術者たちだ。皆、空を飛ぼうとして死んだのか、あるいはテレンのように実験の中で死んだのか。ナマエには全くわからなかったが、彼らは笑顔でこちらを見ていた。
技術者たちまでついていてくれたのか、とナマエは思わず笑う。


「みんな」


右手を握りしめる。
そっと、それを心臓に。

ふわり、涙が一粒。

「――――」











「え、コチカとラッテ、結婚したの!?おめでとう」
「ナマエ、ありがとう。ラッテはこういうの、後回しにするのよ」
「……俺は、ちゃんと金ができてからにしただけだ」
「ラッテのほうが堅実だな」

コチカは綺麗な顔で、クロウを睨む。クロウはおーこわ、と笑って、それからナマエを見る。

「ナマエは次何飲む」
「どうしようかな、甘いカクテルとかがいいかも」
「はいよ」
「クロウ、私は、次もナマエが入れてくれたワインがいい」
「……俺も」

ちょっと暗めのバーカウンター。端っこの席なので、3人で角を囲んで、話しやすい。
他にもいくつかだけテーブルがあり、人も何人か入っている。クロウは最近になって開業資金が溜まったとかでようやく自分のバーを開店した。約束のワインは、この日のためにとっておいたのだ。

「あのね、あの日から1年経ったでしょ。その間に、おいしいワインいろいろ探して。だから今日持ってきた15本、全部おすすめ」
「15本もねえ。どうせ、クロウが吹っ掛けたんでしょ」
「1回命を救ってもらうたびに3本。クロウに3回、コチカとラッテに1回ずつ。合計15本」
「なんてったって、2回も壁外から帰ってくる奇跡の調査兵を助けたのは俺だからな」
「それはクロウがすごいんじゃなくて、奇跡を起こしたナマエがすごいんでしょ」

コチカは呆れたようにそう言う。

「それに、私たちもナマエに命救われているんだから。計算も合わないし」

ナマエと一緒にシガンシナ区を脱出したことで、3人は巨人化を免れることができた。脊髄液はワインに入れられていたようで、3人とも飲んでいたのだ。
あのときにナマエとクロウとが出会ったのが、お互いにとってすごい運である。ナマエ自身もシガンシナ区を出られたかわからないし、彼らも巨人化せずにいられたか際どいところだった。

「……確かに。ナマエは3人救っているから15本は多すぎるな」

ラッテの言葉にクロウも頷いて、ぽん、とワインを開ける。

「15本が多いかどうかは別として、俺たちの女神ではあるな。無事に人間のまま、バーを開けたぜ」
「……15本もらったのを流そうとしているぞこいつ」
「信じられないんだけど」
「1本くらい脊髄液入りが混ざっちゃってるかも。そしたらごめん」
「まじかよ!」

とっとっと、とワインが注がれる。

あの時のことをこんな風に話せるようになったのだから、1年と言うのは意外と長いのかもしれない。
この1年で、クロウ、コチカ、ラッテとはよく会って話す間柄になった。というのも、彼らがここカラネス区に越してきたからだ。どうやらトロスト区は、駐屯兵時代の知り合いが多いとかで、やりにくかったらしい。
ナマエはカクテルを一口飲む。お酒を飲む頻度がちょっと増えたのもここ1年だ。それまでは調査兵や所長として、あまりにもいろいろなことに追われていたので飲んでも年に1、2回だった。

「ねえ、ナマエ、そういえば最近は大丈夫?居場所ばれたって」

ふとコチカに尋ねられ、ナマエは肩をすくめる。
ラッテもクロウも心配そうにナマエを見た。

ナマエがいま住んでいるのは、祖父の研究所。長いこと隠れられていたのだが、最近になって、ナマエの目撃情報から軍に居場所がばれてしまった。何度かロンドが訪ねてきて、新しい軍の研究所に入ってほしいという話を持ちかけてきたのだ。久々に会ったロンドは新軍の幹部になったとかで、なんかかっこいい軍服を着ていた。1度、クロウにその現場を見られてから3人にはずいぶん心配されている。

「今のところは、大丈夫。とりあえず、軍に関わるのはもう遠慮したいから、お断りしてる」

気をつけろよ、とクロウは言って、カクテルを出してくれる。ナマエはありがとう、と受け取った。

「あいつら、今はナマエが必要で勧誘にとどまってるだけで、いつ口封じに殺しにくるかなんてわからないからな」
「そうよ、きな臭い事件なんてそこら中で起きてるんだから」
「うん、気をつける。ありがとう」
「俺が3度救った命を無駄にするなよ」
「わかってる、大切にする」

なんであのとき、シガンシナ区にいたのか。再会したとき、もう時効だろうと、そんなことを3人には聞かれた。当然、住民には退去命令が出ているから、ナマエがあのとき軍の関係者だったのは明らかだ。正直に調査兵団の技術班所長だったと言えば、ナマエってそんな偉い人だったの、と大変驚かれた。所長のくせに全く威厳とかないな、とクロウが言うので、ぱしっと元調査兵らしく一発かましておいた。

実際、ナマエはいつ殺されてもおかしくはない立場でもあった。新しい軍には一切協力しないし、パラディ島にとって敵にあたる調査兵たちともともと親しかったし、何よりパラディ島側の持つ兵器のほとんどにナマエは関わっていた。情報流出を懸念されても、変ではない。

「軍はもういいとしたら、ナマエはカラネス区は出ないといけなくなっちゃうのかな……」

コチカはそう言って、ワインを飲む。寂しいと思ってくれていることが伝わってきて、ナマエは微笑み、少し前向きな話題に変える。

「軍の研究所は嫌だけど、働くなら技術者かな。どこでやるかが難しいだけで」
「王都の学校とか工業都市とか?」
「うん、それもある。ただ正直、どこも新軍の手が入ってるから」
「ここでスタッフをやってもいいけどな」
「ナマエが?もったいない」

コチカがクロウを睨む。ちなみに、ナマエの感覚値では、彼女がクロウに向ける視線の7割はこれだ。コチカは美人なので、怒った顔や睨むときの圧が結構ある。

「いいだろ、俺は大事にするぜ?」
「何言ってんのよ、いまはナマエの仕事の話でしょ」
「冗談だって」
「冗談だとしたらそれはそれで失礼よ。ナマエだってきっと好きな人とかいるでしょ、ねえ」

コチカに聞かれ、ナマエは苦笑する。

「正直、調査兵やっているうちに考えるの、やめちゃったんだよね」
「そっか、調査兵はそれこそ命かけてたから」
「うん、それに」

ナマエは腹を決めて口を開く。今日、3人には言うと決めていた。

「それに、死ぬのを想像したら、辛くて」
「……その気持ちはわかるな」

突然のラッテの同意に、コチカがえ、と振り向く。

「ラッテ、好きな人いたの?」
「……いや。コチカは、強くて死ななさそうだから、安心して好きになれた。それ以外に好きになった女はいない」

コチカが、あ、そう、と誤魔化すようにワインを飲む。ちょっとその横顔が赤い。ラッテはなにも気にせずにつまみに手を伸ばす。
クロウと目を合わせて思わず笑った。コチカとラッテはいつもこんな感じだ。ラッテは天然なのか計算でやっているのかあまりわからない。

「まあでも、強くて死ななさそうで、安心して好きになれるって、すごいよくわかる」

ナマエもラッテに同意する。

「私が男でも、コチカを好きになると思うもん」
「やめてよナマエまで」
「……好みが合うな。ナマエが男じゃなくてよかった」
「俺はもうちょっと可愛げがあるほうが好きだな」
「クロウの好みは聞いてないんだけど」

楽しくて、ふふ、と笑ってしまう。このメンバーでいるとき、ナマエはいつも楽しい。30歳を越えてから、こんなに楽しい人たちに会えるなんて思っていなかった。

「でも、調査兵で10年以上も戦ってたナマエよりも強くて死ななさそうな人、この世に数えるほどしかいないよ」

コチカがそう言うので、ナマエはそうだねえ、とカクテルを飲む。

「昔は、私よりも強い人なんて調査兵団に本当にたくさんいたんだけどね。皆死んじゃったから。でも、ちょっと鍛えてる男性2人相手に格闘術決めた時は、さすがに自分強いなって思った」
「噓でしょ。え、それは左足首を怪我する前?」
「怪我したあと。男性はわかりやすく急所があるから、こう、やり方があるの。しかも松葉杖ってリーチが長いから」
「ねえ、それ最高なんだけど!」

コチカが大笑いして顔を片手で覆う。クロウとラッテは苦笑いをしている。男性陣は想像するだけで辛いらしい。
あれはちょっと可哀相だったかもしれない、とナマエは思いだす。中央憲兵2人に追われていて、テレンとタノのことも絶対に守りたくて、どうにもできずにやってしまったのだ。左足首も治り切っていないときだったので、そのせいで本格的に治らなくなったのではないかとナマエは思っているが、松葉杖も時には武器になるとあのとき学んだ。

「……それで、」

とラッテが言う。

「ナマエの好きな人は、まだ生きているのか?やめちゃった、ってことはいるんだろう」

楽しい雰囲気のところに、ぽんと放り込まれた言葉。
口数は少ないし、フードをとったときはいつも眠そうな目をしているくせに、ラッテは時たま、ナマエの考えとか行動とかをまるでわかっているような言動をすることがある。多分逆も然りで、考え方とか感性とかが似ているからだろうとは思っていた。

「ラッテ、なんてこと聞くの」

コチカはラッテの肩を叱るように叩く。大丈夫だよ、とコチカの手を止めて、それから答える。ラッテに聞かれても聞かれなくても、言うと決めたことだ。

「幸いなことに生きているようだし、たぶん好きなんだろうなって思うけど、会えるかわからなくて」
「なぜ」

ラッテの問いに、ナマエはグラスを見て、抑え目の声で正直に答える。

「あの人、パラディ島には帰ってこられないから」

コチカが目を瞬いて、それから、ナマエに顔を近づけて小声で聞く。

「……それってもしかして、リヴァイ兵長?」

ナマエは黙って首を縦に振って肯定する。

認めてしまった。一度認めてしまえば思ったよりも辛くて、息を吐き出して顔を覆う。認めてしまったら、会いたいと思ってしまうとわかっていたから、やめていたのに。生きているだけで、彼は彼で生き延びているだけで、それで十分なはずなのに。

『了解した。俺は何があっても死なないで、生きていると伝えるためにお前とまた会うことを約束しよう。だからナマエ、お前も、何があっても死ぬな』
『了解、リヴァイ』

会議室でのあの会話が、最後の会話だ。巨大樹の森で何があったのか、そのあとどうしたのか、なにも聞くことができていない。
それに――ハンジの死に際に彼はいたのか、いたならどうだったのか。

ぽん、と肩にコチカの手が触れる。

「会いたいの?」

ナマエは頷く。

「好きとかどうとか、そういう話は全然したことないけど。でも、せめて、お互い生き延びたね、お疲れさまって……」

ちゃんと2人とも、”背負う側”であり続けたのだ。
だから、ねぎらいの言葉だけでも交わせたら、嬉しい。

隣で、3人の言葉が飛び交う。

「ねえ、この子、本当に調査兵団で10年以上も生きてきたんだった」
「……ああ」
「よく忘れるけどな」

ぽんぽん、とコチカは背中を軽くたたいてくれる。
ナマエは大きく息を吸って吐いて、泣きそうになるのをこらえる。そして、少しカクテルを飲む。

「あの人ほど、強くて死ななさそうな人いないね、確かに」

コチカの言葉に、ラッテが笑った。クロウもそうだな、と頷く。
コチカはワインを飲み、それからナマエに身体をくっつける。

「ねえねえ、でも私、あの人が普段どんな感じなのかってちょっと気になる」
「普段?」

ナマエは首を傾げる。

「だって、全然想像できない。遠目からしか見たことないけど、雰囲気が怖いし雲の上の存在すぎて」
「あー、なるほど」

確かに、彼は世間ではそういう扱いだった、と思い出す。一応、人類最強なのだ。

「2人で出かけたりした?」
「うーん、まあ」
「どっちから誘うの?あっち?」
「どっちだったかな……でも、巨人討伐が終わってから、港町に私がいたときは向こうが会合で定期的に来ていて、その時に毎回顔を出してくれてたな。私もシガンシナ区に行くときは挨拶くらいはしてたし。予定が合えばご飯も行ってた」
「へえ、結構マメなんだ。どんな話したの」
「え、なんだろう。仕事の話とか、部下の話とか、あと近況報告?」
「デートは、デート」
「デート?」

ハンジに、ロマンについて一晩説かれたのを思い出す。

「デートかわからないけど、私が足悪くして、でも立体機動がしたくて。1日どっちも仕事休んで、練習に付き合ってもらった」
「それ、デートなの?」
「同期にもそれ言われた。どうなんだろうね?」

男性陣に目線を向ければ2人とも、

「デートだよな、ラッテ」
「……ああ、デートだな」

と言う。

「調査兵団らしいデートだな」

クロウが揶揄うようにそう付け足すので、ナマエはちょっとむくれる。

「だって足が使えないのに立体機動で落ちたら、下手すると死んじゃうし。それをちゃんと拾ってくれそうなの、あの人しかいなかったから」

ナマエはそこまで言ってからすぐに、話過ぎたと思って誤魔化すようにナッツを摘まむ。ふうん、とコチカは楽しそうに笑って、ワインを飲む。

「命を預けられる相手、ってことなんだ。ねえ、ラッテ、ものすごく素敵じゃない?」
「……ああ、そうだな」
「おいおいナマエ、顔真っ赤だな」
「クロウ、うるさい」
「かわいいねえ」
「コチカも、うるさいなあ」
「いつから好きだったの?」

ナマエは考える。いつから。

「わかんない。けど」
「けど?」
「割と初めのほうから、立体機動が綺麗で自由で、いいなって思ってたよ」

地下街で会った時から。そう。あのとき、リヴァイが飛んでいるのを見たときから、きっとナマエは彼が好きだったのだ。

「……多分、向こうも初めのほうからナマエのことを気に入っていただろうな」

ラッテがそう言って、わかるだろ、というようにクロウを見る。クロウは苦笑して、頷く。

「そうだろうな。あの人、相当ナマエのこと大事にしてたように見えたし。そうじゃなきゃ、わざわざ迎えになんて来ないと思うんだよな」
「え?」
「ん?ナマエが壁外から帰ってきたとき、2回とも迎えにきたのは兵長だったよ。知らなかったのか?しかも病室にひとりで入ってからしばらく出てこなくて、多分泣いてんだろうなって。あの兵長がって当時は驚いたもんだけどな」
「……え」
「あらあらあら」

コチカが楽しそうに煽ってくる。
ナマエは右手で心臓を押さえる。心臓が、苦しかった。







荷物を点検し、もう何も残っていない部屋の中を振り返る。

「……いってきます」

ドアを閉めて、ゆっくり鍵を回す。
朝焼けの空の下、ナマエは松葉杖をついて坂を下る。下った先には、馬車がすでに待っていた。ナマエに気づいた従者が馬車を開ける。

「ナマエ所長」

中から、見覚えのある女性。

「マイ、ありがとう」

彼女が手を差し出してくれ、馬車に乗り込んだ。



「ごめんね、本当に。わがまま言って」
「気にしないでください。私だって、所長に恩返ししたいんです」
「そんな、こちらこそだよ」
「たくさん面倒見てもらったので。今日は任せてください」

マイはそう言ってガッツポーズをした。

からからから、と馬車が走って、カラネス区が遠ざかっていく。テレンやタノと逃げ隠れた場所。クロウやコチカやラッテと友達になった場所。
しばらく走ると巨大樹の森が見えてきた。立体機動の練習で使った場所。地ならしから自分を守ってくれた場所。
シガンシナ区が見えてくる。自分の無力さをまざまざと実感した場所。

シガンシナ区の横で鉄道に乗り換える。

「なんだか、改めて、ナマエ所長は本当にこのパラディ島を豊かにしたんだなと思いますね」

ナマエの荷物を代わりに持って、マイは列車を見上げる。

「私だけじゃないよ。義勇兵にもマーレの人にも、マイたちヒィズルの人にも、それにパラディ島の他の技術者たちにも、みんなに助けてもらってここまでやってきた」

列車が出発する。シガンシナ区が遠ざかっていく。昔は、たった5年前までは、あの区にすらナマエたちは住むことができなかった。それが今はこんなにも、自由に出られる。もう、それを阻む壁すらない。

「私、所長に初めて会った時、びっくりしたんですよ」
「え?どうして」
「だって、想像してなかったんです。この小さな島に、こんなに技術を語れる人がいるなんて」

ナマエは苦笑いをする。

「大袈裟だって。私は少し義勇兵とマーレの人に教えてもらっただけで」
「そうかもしれませんけれど。港町でタノに基礎研究の資料をいろいろと見せてもらって、衝撃でした。私たちにとって未知の氷瀑石の活用が早く進んだのも、所長たちの研究のおかげですし」

ガスの利用を効率化するための研究。当時は立体機動装置の改良のためだったが、氷瀑石の飛空艇の開発にあたってヒィズルの技術者たちには神の如く有難がられた。
その気持ちはわからなくもない。全くのゼロから手をつけるのは、なんでも大変だから。

「でもいいんですか?」

列車を降りれば、そこは港町。少しずつ活気を取り戻しつつある港町には、たくさんのヒィズル国からの技術者たちがいた。
ここは、3年間吐きそうな程忙しい思いをしながら生活した場所。

「基本的にいま、こちらから大陸へは一方通行です。今回が本当に特別なだけで、普段は行ったり来たりなんてできないから」

ナマエは躊躇いなく頷く。

「うん。世界を見て、世界中のいろんなことを知る、って約束しちゃったから。行かないとね」
「そっかあ……」

マイはナマエの荷物を代わりにもって歩く。
街中を通れば、知っている顔の技術者たちが、笑顔で挨拶をしてくれる。ナマエも会釈を返す。

「私、実は結構寂しいです。パラディ島でナマエ所長やタノと、ヒィズルのみんなと、マーレの人たちと、みんなで暮らしていたの、楽しかったのに」

港を開いてから、港町にはヒィズル国の技術者も何人か住むことになった。その1番初めのメンバーのひとりが、まだまだ若い学び盛りのマイだったのだ。ヒィズル国の技術者の中ではたったひとりの女性だったので、話すことも多かった。

「……タノのこと」

ありがとう、と言えば、姑みたい、とマイは笑った。

「あの人、私を守ったんですよ」

ナマエは黙って、ちょっと先を歩くマイの背中を見つめる。

「イェーガー派が来た時、氷瀑石の搬送をしていて外にいたから、何人か逃げ遅れたんです。私も、タノも。そうしたら流れ弾が来て、タノが私を庇って。不運でした」
「……氷瀑石の」

ナマエは息をのむ。
あのとき氷瀑石を積込倉庫に移動させていたから飛空艇を曳く船の準備が間に合ったのだと、あとでヒィズルの技術者から聞いた。だが、それによってタノの命が失われていたのだ。
唇を噛み占める。人の生き死になんて、運だとかいうものに気まぐれに左右されて、きっと紙一重なのかもしれないけれど、それでもまたひとり、殺してしまった。
タノには生きていて欲しかった。テレンに救われた命を、彼も大切な人のために使うことになってしまった。

「でも、所長。鍋、ありがとうございます」

マイはこちらを振り返って微笑む。

「タノの夢のひとつだったから。便利だったので、いくつか本国に持ち帰りました。向こうでも生産できないかなあ」
「何か手伝えることがあったら言ってね」
「もう、次いつ会えるのかわからないのに、なんでそういうこと言うんですか」
「ごめんごめん」

気づけば、小型飛行艇の前に到着していて、マイは笑顔でそのドアを開けてくれる。
操縦席には、少し白い髪の混ざった男性。彼も、初めにパラディ島に住むことになったヒィズルのひとりだ。

「今回の操縦は、ショウヘイさんにお願いしてまーす!」
「ショウヘイさん、久しぶり」
「所長、久しぶりだね」

たったこの1年で小型飛行艇の開発に成功したのは、他の国に比べてパラディ島で壁の巨人の被害が少なかったことと、パラディ島内での周囲からの攻撃に対する危機感が根底にあった。その技術開発を主導するヒィズルも、踏みつぶされた故郷を守るためにパラディ島の資源と威厳を存分に活用している。
マイも言っていたが、小型飛行艇はこんな風に気軽に乗ったり、マーレに行くために使ったりできるわけではない。今回のナマエの出国は、女王であるヒストリアや、ヒィズルのキヨミ、マイやショウヘイを巻き込んだナマエの盛大なわがままと、ナマエが過激派に命を狙われているという情報が入ってきたのとが、ちょうどタイミングがよかったから偶然実現できたようなものだった。

マイが荷物を乗せてくれ、それから手を差し出す。その手を借りて、そっと飛行艇に乗る。

――おじいちゃん、プタックさん、見てくれているかな。

とうとう、もっと高い空を、飛べる。
兵士たちはもうレベリオに行くときに乗っているが、技術班のナマエが空を飛ぶのは、実は初めてだ。これまで過去100年、空を飛ぶことを夢見て死んでいった技術者たちに、ちゃんと見ていてもらわなくては。人類の遺跡はないけれど、空を飛べば新しい技術には出会うことができる。

「じゃあ、ショウヘイさん、所長をよろしくね」
「了解」
「ねえ、マイ」

マイがドアを閉める手を止めて、こちらを見上げる。

「タノの分も、幸せに長生きしてね」

マイが生きていくことが、タノにとっては救いになるはずだ。
マイはちょっと目を見開いて、それからいつもの可愛らしい、満面の笑みを浮かべる。

「ナマエ所長も、長生きしてくださいね!」

ドアが、閉まった。



「ナマエ所長、まもなくだよ」
「はーい。よろしくお願いします」
「わくわくしてるね?」
「何気に初めてなの、空を飛ぶの」
「そうか!じゃあ、たくさん楽しんでもらわないとね」

飛行艇が走り出す。
そのまま、ふわりと空に浮かんだ。

夢中になって、地上を見る。

あっという間に飛行場が遠のいて、家が小さくなっていき、港町が見え、鉄道が見え、山が見え、川が見え、その向こうにもぽつぽつと家のような点が見え。
きっと、あそこに壁があったんだ、なんて思う。

巨人を越えて、その先へ。
過去の人類の遺跡や失われた技術なんて見つからず、ナマエたちが出会ったのは生きている人間たち。
彼らにたくさん助けてもらいながら、パラディ島は発展した。これからは本当は、その恩返しをしていかないといけないはずなのだ。けれども、そううまくはいかなさそうだとナマエはわかっていた。仕方がない。なのでまずは、ナマエだけでもできることから。

上空から見るパラディ島は、涙が出るほど美しい。

「ショウヘイさん」
「うん?」
「パラディ島ではね、空を飛ぶことは禁じられていたの」
「どうして?」
「ユミルの民は、壁の中にいないといけなかったから。でも、それでも、たくさんの技術者が挑戦して、殺されてきた。いま、彼らも隣で見てる気がする」
「そうかあ」

前ほどではないが、いまでもなんとなく、一緒にいてくれているように感じる。

「なら、たくさんの人に、この小型飛行艇の素晴らしさを見てもらえているんだね。嬉しいな」

パラディ島が遠ざかっていく。そのうち手のひらサイズになって、人差し指の先っぽくらいになって。そうしていつしか見えなくなった。





「飛行艇、どうだった?」

少しずつ見えてきた大陸を見下ろす。昔、一度だけきた、マーレ。

「楽しかった、それにやっぱり技術がすごい」
「我が国の技術の集結だからね」

空を飛びながらも、ショウヘイがいろいろと技術面の解説をしてくれたので、充実した時間だった。飛ぶとはいっても立体機動とは全く異なるので、面白い。ヒィズルの航空技術には、毎度圧倒される。
そのうちヒィズルにも来てほしい、とショウヘイは言ってくれるので、機会があれば行きたいものだとナマエは思う。東洋なので、マーレともパラディ島とも全く異なる文化のはずだ。

ショウヘイはナマエを降ろした後、一度ここで給油をして、それからまたすぐにパラディ島に戻るらしい。秘密裏の移動だから、あまりゆっくりはできないとショウヘイは言った。

「ナマエ、緊張してる?」

ショウヘイの言葉に、ナマエは首を傾げる。

「え、なんで?」
「1年ぶりに会うんでしょ、彼と」
「彼?」
「リヴァイ兵長だよ」

なぜ彼の名前が、と不思議に思いながら答える。

「どうだろう。生きてることはわかってるから、まだ連絡してもないよ。とりあえず、アルミンたちがいろいろ手配してくれているってヒストリアからは聞いてるんだけど、リヴァイとも会えるかなぁ」
「そっか。なんだか愛が深いね」

愛、と固まれば、ショウヘイは、ははは、と笑う。

「港町で所長と兵長が並んで歩いてるの、時々みんなで見ていたよ」
「えええ、なんか見られてたと思うと恥ずかしい」
「いいじゃないか。見ていて幸せだったよ。所長も普段はぱきぱきしているのに兵長といると気が抜けているようだったし、何よりあんなに怖い兵長が所長と一緒だと明らかに丸かったから」

思わず眉を顰める。

「全然丸くないよ。口も態度も悪い」
「ははは。それに、兵長は所長といるとき、いつもゆっくり歩いていた」
「そういうところは気が利くとは思うけど」
「歩調を合わせられる関係は、大切だよ」

白髪のあるショウヘイの重みのある言葉に、ナマエは思い出す。リヴァイは本当に、いつでもナマエの歩調に合わせてくれていたのだ。


ゆっくりと地面に飛行艇が降りた。ショウヘイは操縦が上手いらしい。

「ショウヘイ、ここまで送ってくれて、ありがとう。あとキヨミ様にもいろいろ掛け合ってくれたって聞いたよ、本当にありがとう」

ショウヘイはいいんだよ、とひらひら手を振る。
外から、現地のヒィズルの技術者がドアを開けてくれた。

「フライト、お疲れさまでした。荷物は後ほどお持ちしますので」
「ありがとうございます」

そのまま手を差し伸べてくれ、ナマエは飛行艇から降りる。



「ナマエ」

突然に、あまりにも懐かしい声に名前を呼ばれて、顔を上げる。

すぐそこに、車椅子に座った彼がいた。呼吸が止まる。

――なんで。

何も、連絡していなかったはずなのに。思わず立ち止まってじっと見つめる。顔を半分縫った跡があるが、よく知った顔だ。
松葉杖で、ことり、ことり、ゆっくり近づく。彼も、車いすから立ち上がる。
ようやく目の前に立って見れば、やっぱり彼だった。残っている左目が、じっとこちらを見ていた。ナマエもそちらをじっと見てから、それから縫ったほうの頬にそっと触れる。

「……リヴァイ、――」

気づけば背中に手が回って、抱きしめられていた。包帯を巻いたあたたかな手で、まるで存在を確認するように、強く抱きしめられていた。

1年前、何があっても死なないと約束した彼。
死が目の前にある世界で、どうして彼とは躊躇いなくそんなひどい約束ができたのだろう。どうしてそんな約束を、こうして果たすことができているのだろう。

どちらも、背負うと決めてしまっていたのだ。
仲間たちの心臓の捧げられた先を、背負うと決めたから最後まで生き抜いた。死ぬわけにはいかなかった。きっと彼もそうだ。どんなに辛くても、苦しくても、思い通りにならなくてもどかしくても。
そして全て終わっても、どちらも死ぬわけにはいかなかった。まだ、約束を背負っていた。破ることのできない約束を。

肩が少し、濡れるのを感じる。

「リヴァイ?……泣いてるの」

ぎゅう、と腕の力が強まった。苦しいくらいだ。そっとナマエも、リヴァイの背中に手を回す。松葉杖が、からん、と倒れる。片手でポンポン、とリヴァイの頭を撫でる。彼は抵抗しなかった。応じるように、ナマエの頭がくしゃりと撫でられる。
そうして、ようやく彼も生きているのだと、心が理解した。

「……ナマエ」

ぽつり、優しい声で名を呼ばれて呼吸が苦しくなる。苦しいほどに、感謝とも愛情とも安心とも表現できない感情に全身が満たされていく。

「うん」
「……」
「……」

「……ありがとう」

小さな声が、耳に届く。ナマエは息をゆっくり吸う。

生きていた。ちゃんと。
死なないでくれた。こんなに辛い世界で。

声にならなかった。
言葉が伝わるように、ナマエもリヴァイを強く抱きしめる。

「リヴァイ、も……」



――生きていてくれて、ありがとう。




end