ふ、と息を吸ってブレードを振る。うなじから血飛沫が飛んだ。
そのまましゅっと屋根の上に登る。
「ナマエさん!」
呼ばれて振り返れば、部下たちがいた。ゴーグル、ディータ、ルーク、それから昨年入団したばかりのシャノンに、クライダ。
「あちらも無事倒しました」
と、ディータ。
「さすが。みんな、ガスとブレードを確認して、それから荷物の整理をよろしくね。ゴーグルは私と見張りを」
「了解」
ゴーグルを残して、他の部下たちが荷馬車の方へ向かう。
「足は」
そう問われて、自分の左足首に触れる。左足首骨折から復活して、リハビリを終えたのはつい最近のことだ。
「うん、問題ないよ。痛みもない」
「無理しなくてもいいのにと、エルヴィン団長もハンジ分隊長も言ってましたよ」
そんなこと言われても、とナマエは肩をすくめる。
「3か月も壁外調査に出られなかったら、壁の外も恋しくなると思わない?」
ゴーグルの向こうに見える目が、わずかに細くなる。
「……ナマエさんって結構馬鹿ですよね」
「私、調査兵団の中では一番計算が早いはずだけど」
「そういうことではないです」
いつも通り、ゴーグルはばっさりとナマエの言葉を切る。だが、
「死に急がないでくださいよ」
と、低めのトーンで続いた言葉に、ナマエはゴーグルを見る。彼との付き合いはかなり長いほうだが、こんな風に言われるのは初めてである。こちらの視線に気づいたのか、彼は膝をついたままナマエを見上げた。ナマエはしっかりその目を見る。
「大丈夫、死に急がないよ。私これでも、壁外からの単独帰還を2回も達成してるの」
ゴーグルは少し黙ってから、そうでしたね、とふっと肩の力を抜く。空気が緩んで、ナマエも遠くを見つめた。後ろのほうには、ハンジの班がいるはずだ。
「それにしても、これだけの巨人と会うのも珍しい」
ナマエの言葉に、ゴーグルも頷く。
ナマエの率いるような荷馬車護衛班は、中央に位置することがほとんど。稀にこうやって巨人と対峙することもあるが、頻度は少ない。だが、今日はもうすでに、無垢の巨人に3体出会っている。
遠くで緑の信煙弾。このまま進行だ。
「信煙弾の感じからして奇行種は他の班がちゃんと対応してくれていそうだし、隊列が崩壊しているわけでもないんだけどな」
「おそらく、巨人の数が多いんだと思います。対処しきれなかった無垢の巨人がここまで来ているのかと」
「だよね。なんで多いんだろう。それに巨人の動きもちょっと変な感じがする。……なんかきな臭いよね?」
「はい」
たまたま多いだけなら良い。だが、異常事態を『たまたま』で片付けるのは危険だ。
――いったいこの違和感はなんだろうか。
屋根の上から、部下たちが道で荷馬車の確認をしているのを見る。ディータは入団して3年を超えて、随分しっかりし始めた。今もテキパキと後輩たちに指示を出している。
「……荷馬車に問題がなければこのまま進もう」
「了解です」
ふと、遠くから地響きのような音が聞こえることに気づく。巨人の足音だ。
「……ん?」
今いる旧市街地の外側。1体の巨人がこちらを無視して北に向かって走っていく。その後ろを、また1体。
「……!そういうことか!」
違和感の正体を、突然に理解した。
部下たちがナマエの声に反応して、こちらを見上げる。
「班長?どうしました?」
「5年前と同じ」
「5年前って……もしかして、シガンシナ区陥落のときの」
巨人の、こちらに対する関心度合いが低い。まるで、街に向かって一直線に走っているかのようだ。
ゴーグルを見れば、彼も頷いた。彼も、5年前を経験した数少ない調査兵のひとりだ。
ぱあん、と信煙弾の音が鳴った。見れば黄色、撤退である。やはりだ。
ナマエの判断は早かった。
「出発の準備を!物資を捨てて、最速でトロスト区に戻る!」
「捨てて、いくんですか」
「確認してくれたのに、ごめんね。物資よりも速度が優先」
「了解しました」
部下の戸惑う気持ちはわかる。大量の補給物資。ウォール・マリアが落ちてから、どの資源も大変貴重なものになっているのだ。補給地点でもない場所に置いていってしまえば、回収できるかどうかもわからない。
だが、トロスト区は絶対に落としてはならない。面積と人口と食料を考えれば、ウォール・シーナ内だけで全ての人類が生き残ることが不可能であるのは明らか。だから、ウォール・ローゼはまさに死んでも守る必要がある。
部下が馬から荷馬車を切り離し全員が身軽になるのを待って、ナマエたちは馬を走らせた。
少し戻れば、ハンジの班が見えた。彼女も既に退却準備を進めており、捕獲網を乗せている荷台の切り離しをしている。今回の壁外調査でも、巨人を捕獲する予定だったのだ。
「ハンジ!」
「ナマエ!」
ナマエはハンジの横で、馬を止める。すぐそこに巨人の死体。先ほどまで戦っていたらしい。
「ナマエ、悪いけど作ってくれた捕獲網は置いていくよ」
「気にしないで、本部にも残ってるから」
「わかった。捕獲網の荷台を切りはなしたら、すぐに追いかける」
「了解、先に向かうね」
馬の上から少し身を屈めて左手を出せば、ハンジがぱん、とそれに同じく左手をぶつけてくる。気をつけて、とお互いの無事を祈る。
ナマエは馬の横腹を蹴る。最悪の事態を想像しながら、とにかく速く、トロスト区の壁を目指した。
しばらくして目標のトロスト区が見えてきた。
外門が壊されていた。シガンシナ区のときと、同じ壊れ方だ。前回と同じように、超大型巨人が一瞬で現れて外門を壊したのだろう。
まずいな、とナマエは思う。シガンシナ区と同じであれば、次に鎧の巨人が内門を破壊してしまう。
だが、突如門の向こうに見えた光景に、ナマエは目を見開いた。
「なにあれ……」
後ろを走る部下たちからは、ひとつの言葉すら出てきていない。
巨人が大きな岩を持ち上げて、外門に向かって歩いてきていた。
ナマエはごくりと唾を飲む。
事態が理解できない。そのまま馬の速度を変えずにじっと状況を見る。
どおん、と大きな音。
それとともに、壊れたトロスト区の門が岩によって閉ざされた。
「……」
「……なんてこった……」
ディータが呟く以外、全員が何も言えなかった。全員、同じ気持ちだった。
4年かけて、トロスト区からシガンシナ区まで大量の物資を運ぶルートを、たくさんの死人を出しながら開拓したのだ。それが、たった1個の岩で全て台無しになった。あの門を通ることができなければ、シガンシナ区の門をふさぐための物資を運び出すことは難しい。これまでに死んでいった者たちの命も浮かばれない。
――でも。
ナマエは考える。これは、人類にとって悪いことではない。
後ろを見れば、不安げな表情の部下たち。
「……何も、不安に思うことなんてない」
はっきりと彼らに向けて言い切る。
「門が壊されれば後退、門を閉じればただの現状維持。壁を越える手段なんて、また考えればいい」
そう、まだ、終わっていない。門が塞がれたなら、まだ負けていないのだ。
「わかった?みんな」
「了解!」
真っ先に答えたゴーグルの声に続いて、他の部下たちの声も聞こえてきた。部下たちの声にどこか安心感を覚えて、ナマエはふっと口元を緩ませた。
壁の周囲に群がる巨人を避けて壁に近づき、立体機動で壁を登る。
壁の上で固定砲台の準備に動き回る駐屯兵団の間から壁内を見れば、大量の巨人が闊歩するのが見渡せた。遠くを見れば、内門は壊されていないようで、ほっとする。これで被害はここトロスト区内で最小限に収めることができる。
その、門。岩の前で横たわる、湯気を上げた一体の巨人。あれが、門を閉じた巨人だ。
――あの巨人の意図はなんなのか。
ナマエは頭を振る。考えるのは後だ。
「オイ」
呼ばれて振り返れば、いつも通り眉間に皺を寄せたリヴァイが立っていた。その後ろを見て、彼の部下が1人減っていることに気づく。
「リヴァイ」
「お前はミケのところで動くように、エルヴィンが言っていた。東側のほうだ」
「了解、ありがとう」
ナマエはもう1度壁の中を見て、それからリヴァイに視線を戻す。一瞬だけ、ちらりと強い視線と目線が合った。彼も、シガンシナ区のことを思い出しているのだとわかった。
リヴァイはそのまますっとこちらに背中を向ける。
「……無駄死にするなよ」
「わかってる」
足早に立ち去るリヴァイと部下たちを背に、ナマエも東側に向かう。
「ミケさん!」
背の高い彼は、すぐに見つかった。彼はひとつ鼻をすん、とさせる。
「ナマエ、来たか。ハンジはもうすぐだな」
「はい。状況は?あの巨人は?」
「あの巨人は、訓練兵らしい」
「……」
少し考えて、ナマエは額を抑える。言葉の意味はわかっても、全く理解は出来なかった。
「それって、あの、……つまりどういうことですか……?」
「俺もよくわからない。とりあえず味方ではある。終わってから調べればわかることだ」
疑問ばかり浮かんでくるのに、今考えるべきでないことが多すぎて少し混乱する。とにかく最優先にすべきことは、このトロスト区内にいる人の安全を確保して、そして巨人を片づけることだ。
気持ちを切り替える。
「……わかりました。それで、動きは」
ミケから作戦を伝えられる。
住民の避難は完了していて、あとは駐屯兵団の精鋭部隊がまだ中に残っているとのことで、まずは彼らの離脱援護を行う。全兵士の撤退が完了したら、巨人を壁に寄せて固定砲で片付ける。
「了解です」
「俺の隊とは、屋根2つ以上離れないように動け。無理をするな」
「はい」
ミケを見上げれば、彼もナマエを見ていた。
シガンシナ区の陥落したあの日。調査兵たちが目の当たりにした、絶望の風景。
当時の生き残りたちは、皆同じ気持ちだった。
――あんな思いは、もうしたくない。
「……たくさん死んでるんですね」
ガスの補給をしながら、隣で部下のシャノンがぼつり、そう言うのが耳に届く。ナマエは黙って頷いて、ガスの栓を閉じる。
壁の下。蒸気でかなり見えにくいが、たくさんの死体が転がっているのがわかる。血と死体の臭いが酷い。
「この犠牲を、無駄にはできない」
「はい」
シャノンが立ち上がる。ナマエも立ち上がって、壁の端で待つ、部下たちの顔をひとりひとり見る。
ゴーグル。ディータ。ルーク。シャノン。クライダ。
全員、ガスも満タン、コンディションも良い。
ナマエから彼らに伝えることは、いつもひとつだけだ。
「みんな、どんな状況でも、生き延びる工夫は忘れないこと」
「了解!」
心強い声に、そのまま足を進めて門のほうを見やれば、軽やかな自由の翼が飛ぶのが目に入った。
2体の巨人のうなじから、血飛沫が散る。
――相変わらず、綺麗な立体機動。
彼も、きっとあの時の雪辱を。
「出撃、行けええええッッッ!!!!!」
ミケの声。
ワイヤーの伸びる音とともに、ナマエは、部下たちと一緒に壁の上から飛び立った。
クリアに目の前の巨人たちのうなじが見えた。
今回こそは、シガンシナ区のような無力感など感じたくない。
これまで心臓を捧げてきた仲間たちのために、これ以上の後退は許さない。
▽
「右1体、左1体!」
「私が左に、ディータは右を!」
「了解!」
さっと、これまで何度もやってきたように、班がふたつに割れる。
身を屈める巨人。駐屯兵がそこにいるのが先程見えた。怪我をしていそうだったが、とにかく動くことができていない。ナマエは巨人の目の前を通り、まずは注意を引き寄せる。後ろのほうで、シャノンが周囲に目を光らせて控えている。
ナマエの立体機動は、普通の動きではない。
部下たちが裏で『変態機動』と呼ぶそれは、改造された立体機動装置によって実現されるものだ。
屋根の上を軽く走って誘導し、隣の家にアンカーを差して飛び上がる。
手が伸びてきた。ナマエはハンマースイッチとレバーを引く。瞬間、ナマエの進行方向がくいっと曲がった。そのまま指先を避け、右手のレバーを弾いてアンカーを差し直して地面スレスレまで下がっていけば、巨人も前屈みになっていく。
「とった!」
巨人の背後にゴーグルが現れ、うなじが削がれた。地面に足をついて横に移動し、倒れてくる巨人を避ける。向こうではルークが同じようにうなじを削いだようだ。
巨人が2体、地響きとともに倒れる。
「さすが、ゴーグル!2人とも、周りを見ておいて!」
「了解!」
ひとりの駐屯兵が怪我をしているようだった。そちらに走り寄って見れば、足が酷く腫れて、肩や腕から出血している。ゴーグルに指示されたのか、ルークも地面に降りてきた。
「大丈夫ですか」
「調査兵が……来てくれたのか……。ありがとう、ございます……」
「いえ、無事で何よりです」
腰のポーチにいれている包帯で腕の止血を手早く行い、自分のマントを脱いで肩にかけそちらも止血する。ルークは適当な添木を探してきてくれたらしい、足の応急処置を施していた。
駐屯兵の体格が大きいうえに怪我の程度がひどく、立体機動で抱えて連れていくのは難しそうだ。
「ルーク。彼を」
「了解です」
ルークが彼を背負うのを手伝う。あとは彼を無事に壁の下まで連れていき、リフトに乗せなくてはならない。負傷者発見の連絡の信煙弾を打てば、近くの屋根にいた、ナナバと他数人がすぐにこちらに来た。
「ナマエ!」
ナナバの声に、屋根の上を見上げる。
「ナナバさん!」
「よく見つけた。2人の保護は任せて」
「お願いします!ルーク、あとよろしくね」
「はい!了解です」
ナマエの班よりも、ナナバの班のほうが実力者がそろっている。地面を走るルークを守りながら壁まで誘導するのは、彼女の班のほうが適任だ。
ルークとナナバたちを見送って、ナマエは屋根の上に戻り自分の部下たちと合流する。
キリがないですね、とクライダ。多いな、とディータが言って、少し頭のバンダナを調整する。周りを見ても、単純に巨人の数が多い。
しばらくして、信煙弾が上がる音が響いた。駐屯兵団の精鋭部隊が壁に離脱できたのだろう。
「よし、じゃあ撤退――」
ふと、あ、とシャノンの目が大きく見開かれた。
「あの巨人、!」
ナマエは声につられて振り向く。
はっ、という小さな声を共に、ひとつの影が真横を飛んでいった。ナマエも反射的に追う。
「クライダ……ッ!!!」
巨人が、子どもを持ち上げるのが視界に入った。子どもの悲鳴が響く。クライダは、真っ直ぐ子どもの方へ飛ぶ。
住民の避難は完了していたはずだ。逃げきれていなかったのか。
子どもを食べようとする巨人の横には、さらに別の巨人がいる。子どもを正面から助けに行こうとすれば、その巨人に狙われる。
このままだと、クライダが危ない。普段は冷静な彼がこんな判断をしたのは、きっと彼に同じ年頃の弟がいるからだ。
――仕方ない……!
子どもを掴む巨人の目に向けて、ブレードを投げつける。巨人が手を開いて目を押さえた。落ちていく子どもを拾おうとするクライダに迫る、別の巨人の手。
その先に、ひとりの女性と、女性に抱かれるもうひとりの子どもが見えた。だから巨人が集まっていたのだ。
「ふっ!」
クライダを掴もうとする巨人の手に向かってアンカーを直接飛ばし、素早く引いて体当たりをかます。受け身をとって地面に転がって立ち上がりブレードを抜いてから、さらに追加で屋根にアンカーを差し直して無理やり上方に飛び上がる。
もう一方の手がこちらに伸びてきたのを見て、ハンマースイッチとレバーを握り込み身体を無理矢理引く。
唐突に、思わぬ方向にぎゅいん、と全身がひっぱられ、はっ、と人差し指を引く。
どこかにアンカーが刺さった感触。レバーを握る。だが、間に合わなかったらしい。瞬間、身体が地面に打ち付けられた。まるで何かが割れるような、嫌な音がした。いや、正確には、耳から聞こえたのではなく、身体に響いた。
一瞬のことだった。
目を潰した巨人の手が、ナマエのワイヤーに引っかかったのだと、ようやく気づいた。
「班長!!!」
横の道にいた巨人の手が迫ってくる。遠くで、ざしゅ、と音がした。巨体が地面に倒れ込み、迫ってきた手が身体の上にのしかかった。誰かが殺ってくれたらしい。
かは、とせき込むと、地面に血が飛び散った。もう1体、巨人が倒れるのが響きで伝わってくる。
「ナマエさん!」
ワイヤーの音がふたつ。ゴーグルとディータが横に降り立ったのが声でわかった。巨人の手が退けられ、ナマエは抱き上げられた。苦しくて痛くて、意識が飛びそうだ。
――駄目だ、まだやるべきことが――
「……女性と……子ども、たち、を……」
「いまミケさんたちがそちらを保護に向かっています」
「クライダ、は……」
「無事です、シャノンが面倒を見ています。周りに巨人が多いので、このまま離脱しますよ、いいですね」
冷静に応対するゴーグルと対照的に、ディータはただナマエの名前を何度も呼んでいた。
「……ディータ」
「ナマエ班長。お願いっす、死なないでください……」
またそんな無茶を、と心の中で笑って、ナマエは意識を手放した。