「はあ?商売道具を貸すわけないだろう。子どもは大人しく家で寝ていたほうがいい」
「子どもじゃない!もうちゃんとした訓練兵です」
「ああそうかいそうかい。だがお前、運動下手だろう」
「……なんでわかるんですか」
「なんか動きがとろい。というか、運動下手なくせに兵士目指してるのか?命を失う前に諦めな。ほら、さっさと家に帰れ」
「お前、また来たのか。しつこいな。何回来ても駄目だ」
「トロスト区で、小型のグラインダーを持っている技術者が他にいないんです。お願いします」
「当たり前だろう。高いし扱いが難しいんだ」
「駄目ですか」
「駄目だ、帰れ」
「……まだいたのか」
「お願いします。使い方はわかってます。壊したり絶対しません」
「アホか。この世に絶対なんてあるわけないだろう」
「どうしても、やりたいことがあるんです。だから、貸してください。貸してくれるまで夜になっても朝になってもここを絶対動きません」
「……」
「弟子は取らない。帰ってくれ」
「お願いします!テレンさん、僕を弟子にしてください!」
「……お前の耳は節穴か?それにお前、どんくさいだろう。できるわけがない」
「どんくさくありません!」
「口でならなんとでも言える。ほら、帰れ」
「もう来るなと言った」
「お願いします。僕もいろいろ作れるようになりたくて」
「他をあたってくれ」
「テレンさんにお願いしたいんです。この取っ手が熱くない鍋を作ったの、テレンさんですよね。僕もこういうのを――」
「他をあたれ」
「……お前」
「お疲れ様です、パンの差し入れです。昨日、納期直前で忙しそうだったので、アイゼン工房への支払いは代わりに行ってきました、勝手にすみません。支払期限が過ぎているとか文句言われましたが、見逃してもらいました」
「……」
「あと、書類が溜まってますよね、僕、事務処理は得意なんです」
「……」
▽
「それで、とうとう兵士じゃなくなったのか」
ナマエは、先程熱でくっつけた部品をひとつ持ち上げてくるくると回してチェックし、よし、とテレンを見る。彼はこちらに背を向けて、作業をしていた。
「そうなの。左足首の骨が粉々でもう元に戻らないんだって」
「10年以上もよく死なずにきたな」
「あのとき、テレンがグラインダーを貸してくれたから、こんなに生きられてる」
工作機器がなければ、立体機動装置のブラックボックスは開けられない。当時訓練兵だったナマエが、シガンシナ区に工房を開いていたテレンの元に通い出したのはそういったきっかけからだ。
それを機に、個人的に作りたいものがあるだとか、誰かに頼まれて何か作る必要があるようなときには、ここに来るようになった。テレンは、なんやかんや時々相談にも乗ってくれたりもした。代わりに、ナマエは調整日にテレンの仕事を手伝った。
「普通の小娘があまりにも手慣れて使うから、びっくりしたもんだ」
「テレンの仕事も、たくさん任せてくれたもんね」
「腕はいいと思ったからな。まあ、あのときいろいろ貸し出さなければ、お前はきっと兵士にならずに済んだんだろうが」
どうだろうね、とナマエは笑って誤魔化す。
「まあ、どっちでもいい。で、技術班だかを立ち上げて、初っ端の案件がこれか」
テレンはやすりをかけた部品を軽く拭いて、次の部品を手に取る。
「そうなんだよね……」
大型の巨人を仕留めるものがほしい。15m級以上の巨人を捕まえられるような兵器が必要だなどと、よくも簡単に言ってくれる。今日は、その兵器製造の手伝いをテレンにお願いしにきたのだ。
「アイデアは悪くないが、部品の数が多すぎる。しかもこれを6かけることの10、60セット。信じられねえ量だ」
テレンはそう言って、また次の部品を手に取る。
そう。今回開発した巨人を捕獲するための装置――『対特定目標拘束兵器』と名付けられたこの兵器は、ひとつひとつ恐ろしいほどの部品の数で構成されており、しかもそれを大量に生産する必要があった。
小さな矢じり。鉄の筒。特殊な構造のワイヤー。
また、ナマエは自分の手元に目線を戻して、作業を続ける。
「お前なら、最初の検証段階で作るのが大変だってことくらい想定できただろ」
ナマエは頷く。
「うん。部品数が半端ないってわかってたし、1人だと間に合わないだろうなとも思ってた。ハンジが手伝える範囲を越えてたし」
「でも、時間もないし、他に思いつけなくて、これで無理矢理通すしかないってなったわけだな」
「そういうこと。それでテレン師匠にお願いしたっていう経緯です」
「師匠はやめろ、お前にそう呼ばれるとやりにくい」
対特定目標拘束兵器を作るのに手が足りないとなって、ナマエが頼れる相手として真っ先に思いついたのが、彼だった。というより、頼れる技術者は彼しかいなかった。
「期日もまあやばいが、ナマエ、お前、まだ足も痛いんじゃねえのか」
わずかに心配するトーンの含まれたテレンの言葉。
当然だ。まだトロスト区防衛戦で左足首を粉砕してから10日も経っていない。だけど、急ぎの仕事だ。
「痛み止め飲んでるから、痛くないよ」
「あんなの気休めだろうが。お前のところの団長は随分鬼畜なんだな、これまでの依頼だって相当な難易度のものばっかりだぜ?」
「鬼畜ではあるけど、人類のためだからね。こっちも甘ったれたことは言ってられないってわけ」
そうか、とテレンがぽつりと言って、それからぐっと背を伸ばしてこちらを振り返ってちょっと笑う。
「だったらまあ、俺もそれに答えなきゃいけねえわけだが。残念ながら、このペースだと、2人でも期日には間に合わない」
本日、製造開始日1日目。2人で作ってきた部品の量をナマエは見るが、これから連日徹夜をしたとしても明らかに期日には間に合わないだろう。
「どうする。期日を伸ばすか、他の手を借りるか、だ。期日を伸ばすのは無理だろう?だが、他の手って言ってもなあ」
「あの子は?えっと、タノ」
「……」
テレンは黙る。ナマエは知っていた。テレンの代わりに事務処理をやっているタノという青年が、テレンに弟子入りを希望していることを。シガンシナ区防衛戦後も、荒れた工房の整理を手伝いに毎日ここに来ているとのことだった。今日はすでに帰宅させた後だが、熱心な彼はまた明日も来るはずだ。
テレンが弟子を取ろうが取らまいが、ナマエが口を挟むことではないので、何も言うつもりはない。だが。
「タノってなんか私に似てると思わない?」
以前、タノが弟子入りしたいとテレンの家に押しかけてきたときに、たまたまナマエも現場に居合わせたことがあった。そのときの様子が、自分にとても重なったのだ。
テレンも同じ考えらしい。
「しつこいところが似ていて嫌になるな。あと変に頭が回るところも」
と本当に嫌そうな声が返ってきた。
「あはは、確かに」
ナマエの取った、ここから動かないと宣言して待つ戦法は結構ずるい。夜に街中で女の子が1人でいるのなんて、危険に決まっている。テレンの罪悪感につけ入る戦法だ。ナマエはそうして町工場に入れてもらった。
一方のタノはテレンの事務処理から懐に入り込んできた。テレンの金回りのトラブルを持ち出してきて、これも結構ずるい。彼もそうして町工場に入れてもらっていた。
「テレンはなんやかんや……親切というか」
「ものすごく言葉を選んだな。間があった」
「タノを弟子に取るかはテレン次第だから、私は口は挟むつもりないけど。期日に間に合わないと困るから、必要なら他の人を雇うつもりでいる」
「……こういうのは、あんまり多くの人を巻き込むものじゃない」
「それは、危ないから?」
テレンがはっと短く笑ったのが背中越しに聞こえた。
「そうだよ。新しいものや面白いものなんて、全部危ないに決まってる。俺は口が堅いから言わない。でも技術者っつうのは、語っちまうもんなんだよ。新しい発見だとか、面白い技術だとか」
以前、信煙弾の開発の時に、彼が最先端の化学染料の存在を教えてくれたことから、テレンがもともとは王都で働く技術者――しかもかなり優秀な技術者だったことは容易に想像がついていた。工業都市か、技巧科か、憲兵団か。ナマエが立体機動装置を改造することに対して何も言わないので、おそらく工業都市でトップを張っていた技術者なのだろう。
そんな彼が、どんな経緯を経て、こんなトロスト区のような場所で個人の工房を開いているのかは、ナマエはわからない。だが、テレンは時々、こういう暗い面をのぞかせる。
一応言っておくけど、とナマエはテレンに伝える。
「もしもテレンが危ないことになったら、助けるから頼ってもらっていい。そうでなければ、私を切ってもらってもいい。私は絶対にテレンを裏切らないって決めてる」
「……そりゃありがたいこった。小娘にそんなことを言われるとは」
「これでも、調査兵団で12年は生き残ってきたの」
「そうだったな」
ナマエは、次の部品をまた持ち上げてくるくると回してチェックする。
「……だが」
「うん?」
「危なかろうが、お前を信じてこれを作れば、巨人を倒せるんだろ?」
テレンを振り向けば、彼は相変わらずこちらに背を向けて、手元を動かしていた。
ナマエは目線を戻して部品を置き、次の部品を手に取る。
「そうだよ、テレン。……巨人を、倒すための、第一歩」
▽
「やったああああああああ!!!!」
「うおおおおおおおお!!!!!!」
ナマエは大きくガッツポーズを天に向けて突き上げる。その途端、足から力が抜けてしゃがみこんだ。
「所長!」
どん、と背中に重さがのしかかる。
「タノ!やった、やったよ!」
「やりました!やりました!」
目の前には、新しい兵器によって粉々になった木の破片。
顔を両手で覆う。疲労と、達成感と、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって、溢れ出てくる。
「師匠、師匠……!」
背中が、少しだけ暖かい。タノの体温だけでない。彼は泣いていた。
「師匠、俺ら、やりました……!!!」
地面にうずくまり、拳をドン、と地面に叩きつける。
「テレン、私たち、やっとここまでたどり着いたよ……」
新兵器は、圧力を閉じ込めておく栓を抜くことがきっかけで爆発する。
誤爆だったのだ。栓を抜くための紐が引っ掛かり、テレンと、タノと、他数名の技術者がその爆発に巻き込まれた。爆発の瞬間、ナマエは少し離れた場所で木材を用意していた。
タノは言う。あの瞬間、テレンはタノの前に出て庇ったのだ、と。
腹が割れ、内臓が飛び出ていた。テレンと近くにいた他2名の技術者は、即死だった。
兵器は、命をかけて開発される。
事件が起きてから、爆弾はその威力を保ちながら安全に運用できるように作り変えられていった。その過程で何人も死んだ。だから、何がなんでも、成功させなくてはならなかった。
中央憲兵の資料室にあった武器の仕組みと元中央憲兵配下の技術者の持つ知識をもとに、爆弾の火力を高める方法のアイデアを出したのは、テレンだ。彼のアイデアをもとに、ナマエがそれを実際に作れて取り扱える兵器の形に落とし込んだ。そして製作は危険が伴うにも関わらず、若いタノが積極的に計画を立て主導した。
「ナマエ所長、お疲れ様」
ぽん、と肩に手が置かれ、振り返る。元中央憲兵配下の技術者たちが、老若男女並んでいた。ナマエは立ち上がって頭を下げる。
「お疲れさまでした。ありがとう、ございました」
「頭を下げないでくれ」
何人かの技術者が慌てたようにナマエの頭を上げさせる。
「たくさんの犠牲はあったが……我々はやり遂げた。以前貴方は、私たちに『誰かのために使われてこそ、技術に価値が生まれる』と言った」
目元を拭う。そうやって、彼らに説いて回ったことを思い出す。もう、2か月弱も前のことになるらしい。ひどく長かったようにも、あっという間だったようにも思える。
「はい、言いました」
「本当にそうだと思う。この兵器はもしかしたら、我々を自由にする。我々を呪縛から解き放つ。死んでいった奴らに報いるためにも、誰かのために、これからも、一緒に開発させてくれ。よろしく頼む」
ナマエは目を見開く。彼は、彼らは、笑っていた。
「はい、これからも、よろしくお願いします……」
トロスト区、調査兵団本部。
腹に響く音。木の幹の倒れる音。
――しん、と静寂が落ちた。
「……おおお」
「ナマエ、ナマエ、すごいよ!!!やっぱりナマエは最高だ!」
突如、ハンジに勢いよく抱き着かれて、ナマエは尻もちをつく。
「いったあ」
「すごい、本当にすごいよ」
そのままぶんぶんと身体を揺すられて目が回る。
横で立っているエルヴィン、リヴァイをはじめ、分隊長ら幹部陣の表情からは驚きが見えた。
「分隊長!ナマエさんの目が回りますから!」
モブリットがハンジをナマエから引きはがす。ナマエはほっと息を吐く。完成してから休む暇なく王都からこちらへ馬車で移動してきたせいで、吐く寸前だった。
エルヴィンが、すっとナマエの横に片膝をついた。
「ナマエ、素晴らしいよ。これで我々は、鎧の巨人を倒しシガンシナ区を取り戻すことができる」
「ありがとうございます」
「君のおかげだ」
「いえ、みんなが、頑張ってくれたので」
「……そうか、ありがとう」
エルヴィンは、遠慮をしすぎて後ろのほうに立っているタノに向けても、少し口元に笑みを浮かべる。
「新兵器の名は、決まっているのか」
「はい、もう、皆と決めています」
「なんという」
「……雷槍、と名付けました」
▽
翌日、ナマエはものすごく眠かったが、隣の机で雷槍の生産計画を立てているタノに励まされながら、その搬送計画を完成させなくてはならなかった。取扱が難しい兵器なので、慎重を期する。
「誰か他にも連れてくればよかった……」
「急ぎだったんだから、仕方ないですよ」
調査兵団本部併設の研究室で、2人は作業していた。2人以外の研究者は全員中央憲兵の根城にある研究室にいるので、ここには誰もいないのである。
雷槍の完成に調査兵も湧きたっているのか、時折ナマエの知り合いの調査兵が顔を出しにきては挨拶をしていくので、タノは少しばかりやりにくそうだった。ちなみに、一番彼が怯えていたのは当然リヴァイだ。彼が使っていた早くお湯が湧く鍋について、リヴァイは興味を持ったようだったのだが、質問が飛ぶたびにびくっとするので、ちょっと可哀相ではあった。
今後、このまま2人はここに滞在する予定である。いつかわからないシガンシナ区襲撃の日に向けて、できる限り早く、ここで兵器の準備をする必要があった。あとから他の技術者もこちらに来る手筈だ。
兵器の準備を整え終え、泥のように眠った。
研究室の固い机ではなく。ただの布切れ同然の毛布ではなく。
やわらかいベッドで。ふわふわの布団で。
何日眠ったのだろう。
ドアがノックされる。
「ナマエ」
ふっと目が覚める。窓の外は赤く、日が傾きかけていた。
ゆっくりとベッドから降りて松葉杖をつき、ドアを開けた。やはり、ハンジであった。
「ゆっくり休めた?」
「うん、かなり」
穏やかに、ハンジは微笑む。ハンジのくせになんだか大人しくて、調子が狂う。
「ハンジ、どうしたの」
「大切なお知らせだよ。……2日後だ」
ナマエははっとハンジを見る。
「それって――」
2日後、シガンシナ区に向けて出立する。そういうことだ。ハンジは頷いた。
「今夜は実働班で前祝いなんだけど、明日はみんな準備だ。最後かもしれない。挨拶したい人がいたら、したほうがいい」
「最後……。うん、わかった、ありがとう」
自分よりも背の高いハンジを見上げる。
何を言ってよいのかわからずに、なんとなく見つめあう。
「ハンジは……もう行かなきゃいけない、よね?」
「うん、いろいろと山積みでね。前祝いが始まるまでに、片づけたい」
「大変だ」
「そうだね、時間がない」
そう言いながら、彼女はそこを立ち去らない。表情も、どこか固い。
ナマエは黙ったまま、ハンジが話すのを待つ。
「……エルヴィンが死んだら、次は私だ」
ぽつりと呟いた声。
団長の話だ、とわかった。
クーデター成功後、ナマエは次期団長がハンジに決まったことをエルヴィンから聞いた。
もともと次期団長候補はミケだった。だが、彼はもういない。ミケの次がハンジ、というのは、ナマエには理解できた。だがハンジからは、全く話題に出さなかった。彼女なりに思うところがあるのだろうとは想定していた。
「そうだね」
「今回の作戦で、仮にエルヴィンが死んだ場合を考えると……本当に、私でいいんだろうかって」
ハンジの瞳が、小刻みに揺れている。彼女にしては、相当珍しい弱音だった。
調査兵団に入団してから、初めはナマエもハンジも同期や他の仲間たちを殺した巨人が憎くて、それを原動力に動いていた。だけど、それを先に乗り越えて前を向いたのはハンジだ。巨人の不思議さに惹かれて研究を始めたハンジの影響で、ナマエも少しずつ調査兵団に入団した当初の目的を思い出した。
前向きな彼女の背中を、ナマエはいつも見ていた。
だが、彼女自身、自分が団長になることを全く想定していなかったのかもしれない。しかも、あの超人エルヴィンの次。プレッシャーを感じるのは、当然だった。
「ハンジ」
ハンジの腕をぎゅっと握る。
「初めての壁外調査で、同期が半分死んだ。でも、私とハンジは生き残った。あれから12年も経って、私とハンジ以外の同期はみんな死んだ。でも、私たちはやっぱりまだ生きている」
「……」
「だからハンジ、ハンジでいいか悪いかじゃない。私たちは生きているから、やるか、やらないか、どっちかしかない」
「生きているから、か」
「そう」
ハンジは黙る。
ナマエも黙った。
「ナマエは」
ぽつりとハンジが呟く。
「手厳しいね……」
「慰めの言葉とか、言えなくてごめん」
「……あーっ!もう!」
ハンジの突然の叫びに、ナマエはびくっと肩をすくめて腕から手を離す。それからハンジは、ぱんっ、と自分の手で頬を叩いて、次に顔を上げたときにはいつもの前向きな表情に戻っていた。
「ごめん、気力吸い取りお化けに取り憑かれていた」
「気力吸い取りお化け……?」
「私は、やる」
その眼鏡の奥に見える強い目。胸が騒ぐ。が、それも一瞬のことだった。ナマエは、ハンジに笑顔を向ける。
「……ハンジがやるなら、私もやる。ハンジが欲しいもの、全部作るから」
「頼りにしてるよ」
「今までハンジの頼みを断ったこと、ないでしょ」
「そうだったね」
うん、とハンジは頷く。いつも通りの彼女の笑顔に安心する。
「ありがとう、ナマエ」
「ううん。ねえ、明日は、話せるかな」
「どうだろう、難しいかもしれない」
じゃあ、とナマエは片手を上げる。いつも壁外調査に行く前には、必ずお互いの無事を祈って、ナマエとハンジは手を合わせる。同期がどんどん死んでいく中で、自然とできた習慣だった。
ハンジはふっと笑う。そして。
――パンッ。
いい音が、兵舎の廊下に響いた。ナマエはハンジの手を握る。
――お願い、ちゃんと、帰ってきてね。
▽
エルヴィンの執務室に向かう。研究室のほうにある自室から本部までは、割と遠い。松葉杖での移動なので、なおさら時間がかかる。
だができれば、激戦が容易に想像されるシガンシナ区出撃前に彼には会っておきたかった。
部屋のドアをノックする。
「団長、ナマエです」
がちゃ、とドアが開き、招き入れられる。
「ちょうどいいところに来た。入れ」
「失礼します」
中に入る。彼の執務室は綺麗に整理されており、物も少ない。
「2日後だ」
彼はドアを閉めながらそう言う。
「さっき、ハンジから。明日はお忙しいかと思いまして」
「そうか。行く前に、ナマエには会っておきたかった」
同じことを考えていたらしいとわかって、少し笑う。伊達に長く一緒にいたわけではない。
エルヴィンは執務用の机の椅子に、ナマエはその前にあるソファに座る。こうやって同じ部屋で座れば、昔を思い出す。ナマエは入団後、エルヴィンの分隊に配属されて、彼が団長になるまでずっと彼の元で戦ってきた。
「よく寝ていたようだな。疲れは」
「回復しました」
「そうか。今回の作戦を実行できるのは、ナマエのおかげだ」
「なによりです」
「立体機動装置を改造した訓練兵がいると聞いて目をつけてはいたが、想定以上に君は実績を残しているな」
これまでにエルヴィンに依頼されて、実際に製造した物たちを思い返す。
「私は団長の班でなければ、ここまで生きていませんから。それに団長は割と無理難題投げてくるし、やりがいがありました」
「それは悪かった」
「正直、まだハンジのほうがかわいいですよ」
「おならの鳴る椅子か?」
そんなものも作ったなあ、と思い出し笑いをする。ハンジが提案して、ナマエが作ったのだ。あのときの、ちょっと困ったようなエルヴィンの表情は忘れられない。
「まだ引きずってるんですか?」
「いや?」
彼には、必要なものがたくさんあった。だが、技巧科はエルヴィンの依頼には答えなかった。だから、知識のあったナマエが、エルヴィンの語るやりたいことと欲しいものを、実際の物として完成させてきた。
一方で、立体機動も戦闘も平均程度の実力しかなかったナマエが生き延びてこられたのは、エルヴィン班に配属されたからでもあった。生存を最重要とするエルヴィンの班でなければきっとすぐに死んでいたし、ミケやナナバたち、昔のエルヴィン班のメンバーは、調査兵団の中でも特に強かったからナマエはたくさん救われてきた。
おならの鳴る椅子を皮切りに、互いに昔話がぽんぽんと出てくる。
訓練兵時代に突然エルヴィンがナマエを訪ねてきて周りが騒然となったこと、ミケがその鼻を活かしてゲルガーの隠し持っていた酒を見つけ彼に黙って皆で飲んだこと、普段は優しいナナバがナマエのために組んだ特別訓練が想像以上に鬼畜だったこと――ナマエは文字通り死にかけた――。
「あれこそまさに、獅子の子落としだった」
「ナナバさんには、本当にお世話になりました」
ナナバは、ナマエにとって姉のような存在だ。
「地下街にも一緒に行ったな」
「リヴァイ捕獲作戦ね。事前情報以上に口と態度は悪かったけど」
「確かに、事前情報以上に口と態度は悪かった」
あの時は、当時のエルヴィン班の4人で地下街へ潜入した。リヴァイたちが、粗はあっても軽やかに立体機動を使いこなして飛び回っていたのをナマエは覚えている。
リヴァイの仲間だったイザベルとファーランは、そのあとの壁外調査で死んだ。あの時のリヴァイは、本当に絶望の淵にいた。
エルヴィンも、当時を思い出していたのだろう。
「……リヴァイを、酷な道に引きずり込んだと思っている」
そう淡々と言う。
「リヴァイは、彼は、たくさんの命を背負わなくてはならない。1番生存確率が高いからな」
それから彼は、ナマエに真っ直ぐと視線を合わせた。
「ナマエのことも、酷な道に引きずり込んだと思っている。もう君には『死に時』がない。だから、背負うしかない」
ナマエは苦笑する。
「やめてください。私の場合、わかってて引きずり込まれてます。10年以上も、たくさんの仲間に守られてきたから、ちゃんと恩返ししたいし」
ナマエは少し考えて、言うと決めて、口を開く。
「……それに、もらった大切な夢を叶えたくて、調査兵団に入ったから。そっちもちゃんと恩返ししないと」
「夢」
こんな話、ほとんどしたことないけど、と前置きする。
「私、100年前に失われた、過去の人類の技術を見つけたくて調査兵団に入ったんです。きっとどこかに、彼らの遺跡とかあるはずだから」
エルヴィンの目がゆっくりと見開かれていく。それから彼の口角が、ふうっと上がった。
「面白いな。確かに、遺跡もあるかもしれない。全く見つかっていないが」
「そうなんですよね。少なくともシガンシナ区が陥落するまでは、私たちはそれこそ壁外を探索していたはずですけど、ひとつも見つかっていないんです。不思議です」
ふと、エルヴィンはそうか、と何か納得したように頷く。
「中央憲兵にあれだけ怒っていたのは、そういう理由だったのか。たくさんの技術者が、君と同じ夢を追って、中央憲兵に殺されたんだな」
「祖父からその話を聞いただけなんですけれど。でも、死んでいった技術者が遺した知識をもらいました。その夢に共感したから、彼らへのお返しのためにも夢を叶えたくて」
「……見つけたかったんだろう」
ナマエはゆっくり頷く。
見つけたかった。お返しもあったが、なにより自分が、昔の人類の遺跡を見つけることにわくわくしていた。
「なあ、ナマエ」
はい、と首を傾げる。
「……本当に、壁の外には人がいないんだろうか。どうやって、壁の外に人類がいないと調べたのだろう」
覚悟を決めたように吐かれた言葉。まるで何年も、口にすることを避けていたかのような。
「何を――いえ、」
口を閉じて、ナマエは考える。
確かに、ないものをない、と証明することは難しい。なのに、それが当たり前のように信じられているし、いま問いかけられるまで、ナマエもそれはそういうものだと思い込んでいた。巨人の先の世界には、廃墟があると思っていた。
それはなぜ?もちろん、壁外調査へ行ってもいまだ人類に会ったことはない。自分の目では見たことがない。けど、そのもっと先は?もし、壁の外にも人類がいたとしたら、どうしてその事実はひた隠しにされているのだろうか?
エルヴィンが少し笑った声が聞こえる。
「俺の突拍子もない発言を否定せずに考えてからものをいうところは、君も、リヴァイも、同じだな」
彼の言葉は右から左へと抜けていく。そんなことはどうでもいいのだ。
「団長は、それが知りたくて、調査兵団に入ったんですか」
「……」
無言は、肯定だ。
自分と似ている、と思った。
「……もう少し早く、この話ができたら良かったです」
思わずそう言えば、彼は、はは、と声を上げて笑う。
「そうだな、ただ残念ながら大きな声で話すことはできない。わかるだろう」
「はい。それに、……やっぱり、殺してきた仲間たちの命は、重い」
「ああ、重い」
その言葉も、重く響いた。
ナマエは理解する。目の前のこの男は、恐ろしいほどの精神力で、この数年、団長をしてきたのだ。
自分の夢を追いかける、なんて、人類の自由と言う大義名分からは対極に位置する、究極の自分勝手だ。本当は自分勝手のために調査兵団に入ったのに、それでもエルヴィンは団長になってしまったから、だから全く望んでいなくても、部下たちに時に死ぬことを命令してきたのだ。
「団長、」
「ああそうだ、ナマエ。私は、団長だ。彼らの命を背負う責務がある」
死ぬことを覚悟したいと、エルヴィンは言っている。
エルヴィンとしての夢は諦めて、団長として、必要があれば死ぬことを。
重たい仲間の命に報いるために。
ナマエは大きく息を吸って吐く。
そんなにも辛いことを数年もやってきた人に対して、まだ生きてください、なんてナマエは言えない。
目を閉じれば、先程のハンジが思い浮かぶ。
ナマエは、ことり、と松葉杖を頼りに立ち上がって、エルヴィンの横まで移動する。エルヴィンがこちらを見上げる。
「団長」
右手をそっと左胸に当てる。
日が落ちかけていて、東からの光がこちらを見上げるエルヴィンの表情を赤く照らしていた。
「きっと直前まで迷うんだろうなと思います。夢を諦めるって、そんなに簡単なことじゃない」
「……」
「でも、もし夢を諦めなくてはならない、そんな状況になったら安心して死んできてください。残念なことに私は技術班で、生存可能性がとても高いので」
エルヴィンの目がふっと強まった。
「世界を」
「は?」
「世界中をくまなく見て確認してくれ」
思わずため息をつく。
「……相変わらず、依頼がはちゃめちゃですね」
「いいじゃないか。壁の外がどのくらい広いかなんてわからないんだ。つまり、どこまで行けば人類が見つかるのかもわからない」
「もう」
わかりましたよ、とナマエは頷く。
「死んでもついてきてくださいね、団長」
エルヴィンが立ち上がって、残っている左手を左胸に当てた。彼の表情は強くて。
「ありがとう、ナマエ」
ナマエは彼を見上げた。強く、右手を握って、左胸に当てた。
「心臓を、捧げよ」