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襲撃事件があった翌日、学校は休みとなった。その翌日、俺は病院で検査があったため午後からの復帰となったが、襲撃があったあとにも関わらず、学校全体は既に他の話題で盛り上がっていた。
「雄英体育祭…?」
「風間知らねぇの?有名よ?」
「あー…前は、そういう情報が回ってないところにいたからさ。そんなに凄いのか?」
「風間くん…死闘を繰り広げる雄英体育祭を甘く見ちゃいかんよ…勝ちに行くよ…」
「…麗日が、麗日じゃない…」
登校してすぐ皆からは怪我の具合を聞かれたので、大事に至らなかったことを伝えた。
そして授業が終わるや否や、すぐに体育祭の話題で盛り上がり始めた。違う世界にいた俺や外部との接触がなかった守形には、初めて聞く行事だ。
普通の体育祭とは違い、多くのプロヒーローや世間の目が注目する雄英の体育祭は、将来も見込まれた一大イベントらしい。
「…風間、ちょっといいか」
「あ、轟。いいよ、俺もお前に話があるんだ」
麗日のキャラがブレブレなのも気になったが、まずは彼に礼を言わなければならない。俺は皆に断わってから席を立ち、心做しか表情の暗い轟と人気のない階段下へと向かった。
「…怪我、大丈夫なのか」
「ん、大丈夫。リカバリーガールが、止血のおかげで大事に至らなかったって。…助けてくれてありがとな」
「…っ、…火傷の痕は…」
「…時間が経ってたから残るって」
俺はそう言いながら、見せておくべきだろうと腹部を露出させる。痛々しく残る火傷の痕を、彼はじっと見つめていた。
そんな彼に、俺は眉を下げ微笑みかける。彼は何も悪くないし、悔やむことではないのだ。寧ろ、俺の方が謝るべきだと思う。
「…ごめんな。左は使いたくないって言ってたのに…でも、お前が使った個性のおかげで、俺は生きてるんだ。…何も悔やむことないだろ?」
「!…お前は、悪くねぇ。…こんな個性でも、お前を助けられたなら、よかった…」
「ん……轟も、怪我なくてよかった」
ほっとしたような表情を浮かべた轟の頭を、俺は何となく撫でてみた。見た目よりもふわふわしているその髪は、本当に綺麗に半分に分かれている。
頭を撫でられた轟は目を丸くすると、少し居心地悪そうに俺の手を掴んだ。
「何、してんだ…」
「いや…何となく、撫でたくて」
「意味がわからねぇ…」
「あー…悪い。嫌だったか?」
彼の眉を顰めた表情を見れば、こちらも申し訳なくなり眉を下げる。轟は末っ子気質というか、甘やかしたくなってしまうのだ。弟が欲しかったせいかもしれない。
何か言いたげな彼の表情を汲み取り、男に撫でられるのは嫌だったんだろうなと、掴まれている手を引っ込めようとした。
「!っ、い…嫌じゃねぇ。…ただ、」
「なんだ、よかった……ただ?」
「……変な、気分になった。ここが…お前のことになると、変になっちまう」
嫌ではなかったのだと安心したのも束の間、轟は言いにくそうに口を開く。言葉にするのが難しいのか、自分の胸の当たりを抑え、ぽつりと零した。
「俺は、自分がわからねぇ…」
今まであまり感情を表に出すことがなかったのだろう。轟は初めて抱く謎の感情に悩まされているようだった。
何とかしてやりたい気持ちはあるが、如何せんその感情は俺にもわからない。轟本人にしか、分からないことなのだ。
「……そ、れは…俺には、どうすることもできねぇから……轟がしたいようにすればいいし、もっと自分に素直になる…とか」
「…素直に?何すりゃいいんだ」
「っ、ははっ、それは轟にしか分かんないだろ?」
俺の言葉にきょとんとした顔で見つめてくる轟がおかしくて、少し笑ってしまった。俺が笑ったのを見た轟は「そうか、分かった」と何故か納得したようで、意を決した様に目線を合わせてきた。
「爆豪のこと、名前で呼んでるだろ。俺も呼んでくれ」
「……え、そんなんでいいのか」
「ああ、呼ばれてぇんだ」
「…………焦凍?」
「っ、…」
まさかの解答に少し驚いたが、それくらいならお安い御用だと名前を呼んでみる。名前を呼ばれた彼は、少し頬を染め、息が詰まったような表情をしていた。
ーーーそんな顔されたら…
「……顔が赤ぇ」
「え、…っ…お、お前もだろっ…あーっ、なんか恥ずいっ…」
「……空悟…」
お返しだと言わんばかりに名前で呼んできた轟は、そっと右手で俺の腹部に触れる。火傷の痕を確かめるように、慈しむように、するりと撫でる。
彼の右手は少し冷たくて、自然に身体がピクリと揺れた。
「んっ、ちょ…と、とど」
「焦凍」
「……しょ、焦凍」
「空悟」
「…く、擽ってぇんだけど…」
「悪い」
ーーーいや、やめねぇのかよ…!
暫くの間、俺は彼に腹部を撫でられながら、名前を呼び合うという羞恥プレイを強いられていた。彼は一体何が分かったのか。本当に何を考えているのだろうか。
「空悟、ーーー」
「なに……、…は…?」
轟は俺に顔を近づけ、耳元で囁く。
ぽかんと口を開けている俺を見て、満足そうに微笑んだ彼は、踵を返して教室へと足を進めた。
一人取り残された俺は、突然の出来事に顔に熱が集まり、まさに茹でダコ状態である。
『……空悟にぃ、照れてる?』
「て、照れてない…!」
『僕もドキドキしちゃった…』
「だ、だから、照れてねぇて…っ、くそ…」
普段あまり表情の変えない轟が、俺に名前を呼ばれ、そして呼び返すことによって満足気な表情になったのだ。
それに、極めつけは最後の一言。
ーーーー“俺がシてぇようにするからな”
「…何されんだよ、俺…」
轟の意味深な言葉に頭を抱える。確かにそう言ったのは俺自身だが、何故か違う意味に聞こえたのは気の所為だと思いたい。
体育祭がもう目の前だと言うのに、俺の頭の中は轟の一言で埋め尽くされている。正直、精神的には体育祭どころではない。
俺は病み上がりの心臓を抑えながら、教室へとゆっくり足を進めるのだった。
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