「君、みゆきって言うの?」
「ん?おう」
「ふーん‥‥」
そう言うなり俺をじろじろと見定めるように見つめたかと思うと、彼女は目を細めて柔らかく笑った。
「可愛い名前だね、みゆき」
▽
教室に入ってきた長身の女に、俺は自然と目をやった。艶のある長い黒髪が、後頭部で高く結い上げられている。振り向きざまにあの毛束に当たるとなかなか痛いんだよなあ、なんて思い出して苦笑いする。その間に近付いてきた彼女の手にあるはずの物がなくて、声をかけた。
「あれ、どした?昼飯は?」
「‥‥財布を、忘れた」
「はっはっはー、昨日も忘れて帰ってきてなかったか〜?」
なまえはムスッとした表情をして、鞄の中に手を伸ばす。数秒間ガサガサと手を動かしてから、あからさまにしまったという顔をした。
「とうとう家に忘れた?」
「ち、違う!今日は‥そう、昼食は抜きにするつもりだったんだ!そう、そうだよ‥‥」
俺がからかったからだろうか、ダイエットだとか適当に理由をつけて昼飯を抜きにしようとしているなまえに、思わず笑ってしまった。
「飯抜きで部活頑張れんの?」
「うっ‥」
「ここにお金を持った心優しい青年がいるけど、どうする?」
彼女の方から俺を頼る言葉が聴きたくて遠回しにそう言ってみれば、なまえは悔しそうに顔をしかめながら、「お金貸して」と言った。満足してニッコリと笑いながら財布を取り出して、彼女の手に放り投げた。
「さすが、コントロールだけはいいね」
「だけってことはないだろ?」
「確かにだけは言い過ぎたかも。まあ、性格は最悪だけど」
耳をすませなければ聞こえないような声量でありがとうと言ってから、なまえは再び購買へ向かった。
それからなまえが見えなくなって数秒、崩れ落ちるように机に向かって突っ伏してから、盛大にため息をついた。
「あーーー‥ったく‥‥可愛すぎんだろ‥‥」
負けず嫌いな癖に礼儀正しいもんだから、あんな風に小声で言ったんだろうけど、正直彼女をそういう目で見てる俺からしてみれば盛大なデレでしかない。
初めて名前を訊かれた時から‥いや、初めて笑顔を見た時から既に彼女という存在に落ちた自覚はあったが、そろそろ言葉に出してしまいそうだ。
長身なだけじゃなく剣道部で女子のカケラも感じ取れないような性格のうえ趣味嗜好まで男臭いくせに、そういう可愛いところ出すなよな。
再び大袈裟にため息をついてから、ふと考えた。いっそ、言葉にした方がいいんじゃないか?そうすれば俺だけが動揺してばかりじゃなくなるし、上手くいけば照れた顔が見られるんじゃないか、なんて。
彼女のただいまと言う声に顔を上げるや否や、じいっと彼女の顔を見つめた。
「何?顔に何かついてる?」
「お前が可愛いなーって」
「え」
俺のその言葉になまえはきょとんと目を丸めたかと思うと、いつか見た笑顔と同じくらい愛らしく、愛おしそうに目を細めた。
「御幸の方が可愛いよ」
その言葉を聴いて、俺はまた、先程よりも大袈裟に、盛大にため息をついた。
‥‥‥嬉しくねえよ、バカ。今俺が照れてんのは、嬉しいからでも、恥ずかしいからでもなくて、お前の。‥俺の苗字をいたく気に入る、お前の笑顔が可愛いからだ、バカ。