「なまえちゃん、俺の名前呼んでみて。『百汰先輩』って。」
……私はあの時、恥ずかしくって遊馬先輩のお願いに応えることができなかった。
「きょ、今日こそは遊馬先輩のお名前を言ってみせるんだから…!!」
そう意気込んで唇が「も」の字をつくる。
途端に遊馬先輩の顔がぽんと出てきて、顔から火が出そうになった。
壁に思わず擦り寄る。冷たくて気持ちがいい。
と同時に、ちょっぴり惨めな気持ちになる。
「壁に向かって練習なんて…斗真にでも手伝ってもらえばよかったかな」
でも斗真めんどくさがりそうだし。
斗真には斗真って言えるし…言える、のに。
遊馬先輩には下の名前を心に浮かべることすら照れくさい。
うう、恥ずかしい。私にはまだ早いのかな…。
けど、遊馬先輩が呼んでみてほしいって言ってたんだから、私は、遊馬先輩の期待に応えたい…!
そ、それに、私も少し、呼んでみたい…百汰先輩、って。
心の中で呼んだだけなのに、また顔に熱が集まる。
けど、恥ずかしさより何より、遊馬先輩の喜ぶ笑顔が見たい。
そう思って、目を瞑り、手のひらに力を込める。
「も…もも、たっ、せんぱい…!」
「なまえちゃん?」
「ひゃあっ!?!!?!」
驚いて思わず飛び上がる。おそるおそる振り返ると、
後ろにいたのは先程から何度も何度もチャレンジしているのに一向に上手くいかなかったその名前の持ち主、遊馬先輩だった。
「あ、あああ遊馬先輩、い、つからそ、そこに…!!!」
「?今来たとこだよ。なまえちゃんが見えたから呼んでみたんだけど…どうかしたの?」
「な、なんでもないです! 」
あまりに恥ずかしくって耐えられなくって思わずそこから走って逃げ出す。
ごめんなさい遊馬先輩今度会ったらお詫びします!!!
なまえが走り去った後、俺は思わず照れ臭くなって鼻をかいた。
まだ少し、胸がどきどきしている。
「…最初から聞いてた、なんて。言えそうにないなあ」
けれどまた、あの秘密の練習風景が見られるのなら、少しくらい嘘をついてしまっていても仕方ないかもしれない、……なんて。